2012.05.01
日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第103回】2012年5月1日
文学創作をめぐる好循環
著者紹介
山根 知子(やまね ともこ)
近代文学担当
宮沢賢治・坪田譲治を中心に、明治・大正の小説や詩および児童文学を研究しています。
【第103回】2012年5月1日
文学創作をめぐる好循環
著者紹介
山根 知子(やまね ともこ)
近代文学担当
宮沢賢治・坪田譲治を中心に、明治・大正の小説や詩および児童文学を研究しています。
9年の歩み、10年目へ
2011年度の文学創作文集第9集が、出来上がった。本学日本語日本文学科で授業「文学創作論」を開講して、9年が経ったということになる。次はいよいよ10年目に入るのだと感慨を抱きながら、私はその年度ごとの学生たちが積み上げてきた作品完成に至るまでの過程に、かけがえのない心の軌跡が展開され心に刻まれていることを授業担当者として感じている。その経過で得られる意義は、「3つの好循環」として解することができよう。朗読と創作との好循環
1年間を通しての授業の最初には、朗読の実践を行っている。毎年、地域の子供たちに名作の朗読を聞いてもらう日をめざして練習する際に、文学朗読を専門とする朗読家水野智晴先生の指導を受けている。発声練習から読みの強弱、緩急といった基礎的テクニックの修得に加え、朗読する者の姿勢として、いかに深く作品を読み込み作品内の状況や人物の心理をどのように実感を持ってイメージできているかということが、おのずと声の様態に現れるように追究する姿勢を求められている。この名作朗読の体験には、その後の各自の創作において生かされるようにとのねらいがある。2011年度の創作指導をお願いした児童文学作家村中李衣先生からも「創作の授業に、朗読の体験を設けるのは効果的」だとして、「推敲段階で自作をぜひ朗読して確認してごらん」との指示をいただき、学生たちは自作を朗読しながらの推敲を自覚的に進めていた。朗読をすることで、「その文体は、効果的か」「雰囲気で言葉を創っていないか」「その人物の内心から出る言葉は等身大か」などの創作上確認すべき点について、作者本人によって素直に気づかされていくという朗読と創作の好循環が実現されている。
研究と創作との好循環
創作を手がける時期には、学生たち全員が事前配布された各々の創作作品を熟読してきたのち合評会を行う。初めての合評の日、ある学生の口からこんな言葉が発せられた。「いつも私たちは文学作品研究の授業で、主人公の心理変化や作品設定の象徴的な意味など、いろいろ研究するけど、自分の作品はどんなふうに分析されるのか楽しみです」と。本学科では、日頃、文学作品を分析し研究する授業での体験が多いので、作品研究には慣れていくが、創作過程の合評会でその視点から自他の作品を客観的に分析するようになると発見が大きい。合評会では作者も気づかなかった意味を引き出す意見も出れば、「この人物の心理変化を追うことは難しい。ということは、心理が各場面で描けていないのではないか」という表現不足を突く意見も出てきて、作品の仕上げへと向かう貴重な気づきがなされる。また、このような体験後に作品研究をする際には、作家と作品への理解が、実感をともなって深まっていくという好循環へと導かれていることが見受けられる。
人生と創作との好循環
学生が創作体験を重ねていくと、自らの創作姿勢が自己の内面の問題に即して次第に深まってくるという傾向がみられる。最初は、自分の憧れる作品や読者を楽しませる作品をめざして創作を始める学生が多いが、次第に自分の実感ある内面を投入しないと作品にリアリティを込めることができないことに気づき始める。第9集でも、自らそう気づいて最近自分に降りかかった不可解な出来事を素材として書き始めた学生もおり、途中で最初の架空の設定による作品を捨てて自分のひっかかっていた過去の経験を素材にした新たな作品に着手した学生もいた。もちろんそこには効果的なフィクションが交えられていくのだが、こうして文学作品として整えていく試作と合評を通して、作者の問題意識には主人公とともに心の解決を見出す整理とストーリー化がなされていくなかで望ましい変化が起きていることが、学生たちの次第に納得していく表情からも窺える。文学作品を書くという営みがやむにやまれぬ自己浄化の行為であったと思われるこれまでの多くの作家についての理解も、今後は学生たちの心に深く及ぶようになろう。文学創作による一種の文学療法が無意識のうちに行われる実りの場だと思われてならない。人生への思いと創作世界がともに深まっていく好循環を今後も見守りたい。
卒業生による文学創作グループ「水鏡会(みかがみかい)」
こうした深い意義を体得しながら、孤独な作業になりがちの文学創作が、独りよがりの視野の狭い作品にならずに自作の客観視ができるのも仲間と切磋琢磨できる環境があってこそだと切実に感じているのは、かつてこの授業を体験した学生で、社会人になっても創作を続けたいと希望する卒業生である。彼女たちは、この授業で体験したような創作仲間が欲しいと希望し、2011年度、文学創作の会を発足させた。会の名前は、本学の庭に水鏡があることにちなんで「水鏡会」とし、一年間に四回の合評会を開き、最初の一年が充実のうちに経過した。文学賞に挑戦し続ける作家や漫画家の卵が、社会にあっても創作することにこだわり、心の鏡に自分らしい世界を写し出し表現しながら真摯に生きている姿を、これからも応援してゆきたい。画像は、児童文学作家の村中李衣先生から学生が指導を受ける様子。
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