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日本語日本文学科

2013.09.01

外来語|星野佳之|日文エッセイ119

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日本語日本文学科

日文エッセイ

星野 佳之 (日本語学担当)
古代語・現代語の意味・文法的分野を研究しています。
 
 外来語は往々にして人々の反発の対象になる。使用を抑制すべきだという求めに応じるように、国立国語研究所は「言い換え提案」を数次にわたって発表したし、NHKが"外国語を乱用"しているとして訴訟が起きたりもした。ここまで外来語が疎まれるのはなぜだろう。「日本人なのだから日本語を話すべきだ」と説明されることもある。とてもわかりやすくてシンプルな理由だが、一方では「外来語は外国語そのものではない」とか「原語の用法と異なる間違った言い方だ」ということも外来語の非を鳴らすときによく言われることであって、外国語でないのなら結局は日本語ということになってしまいそうである。思うに外来語は、人々から感覚的に嫌われているのであって、功罪を吟味されることは余りないもののようだ。
           
 試みに、外来語を対応する"日本語"に置き換えてみよう。たとえば「ハウス」という語で、「ライブハウス」「セミナーハウス」「レストハウス」の下線の部分を"日本語"にしてみよう、ということである。「ハウス」にはまずは「いえ(家)/住宅」があたるだろう。「ライブいえ」は論外としても、「ライブ住宅」というのは、私たちが今「ライブハウス」と呼んでいるものを表してくれそうにない。街中でこういう看板があるとしたらそれは「ライブもできるように作った家」を売り出す不動産広告にでもなるのではないだろうか。「レスト住宅」「セミナー住宅」というのも同様で、私はセミナー住宅など決して住みたいと思わない。「ハウス」は「いえ(家)/住宅」の非日本語版というように見えながら、その実「個人の家」は意味していないようである。逆に言えば「住宅」は、人が住むということが思った以上に強い前提となっているようである。
 建物のつながりで「ルーム」対「部屋」はどうだろうか。世には「献血ルーム」「ショールーム」「キッズルーム」などがあるが、これを「献血部屋」「シャワー部屋」「キッズ部屋」とすると、やはりおかしい。聞き慣れないというだけでなく、自宅に献血するためのスペースがあるような印象になるのではないだろうか。「部屋」という言葉も、「個人が住む家の一部」を指し、「ルーム」の方はそれを指さない。「ルーム」は「献血」とか「製品の展示」とか「子供を遊ばせる」などの"単機能"を持った公共もしくは商業的施設、という意味に特化されつつあるように見える。
          
 こうしてみると、私たちの「日本語」は、既に外来語と非外来語が互いに意味を補完しあっているようである。

・○私のはこの近くです。
 ×私の住宅はこの近くです。
   ×私のハウスはこの近くです。
・×展示場
 ○住宅展示場
 ×ハウス展示場 
・×新しいライブ
 ×新しいライブ住宅
 ○新しいライブハウス
・○狭い部屋に二人で暮らす。
 ×狭いルームに二人で暮らす。
・×献血部屋は2階です。
 ○献血ルームは2階です。


 この現状を肯定的にとらえるか否定的にとらえるかはともかく、既に外来語とそれ以外が互いにもたれあって機能しているのであれば、もはや簡単に取り除ける異物などでないことは確かだろう。
            
 確かに先人の作った「権利」や「冷蔵庫」などの造語は、その物事の特徴を簡潔かつ十分にまとめたできのいい語だ。どうも外来語嫌いの背景には、こういう造語の成功例への志向があるような気がするのだがどうだろうか。それ自体は悪いことと思われないが、しかし外来語を使わなければ厳密で正確な名付けになるというほど事は単純ではない。

 「ケータイ」は「携帯電話」から生じたもので外来語のはずはないが、これとてさほど緻密な命名ではない。身につけて持ち歩くものは電話以外にもあるではないか。従来場所を動かなかった電話が持ち運べるようになったことが意識されて、「携帯電話」(と「固定電話」)という語が誕生した。さらにそれが注目され続けたため「ケータイ」になった、というだけのことで、時代といきさつが少しずれていれば、腕時計でもMP3プレーヤーでもこう呼ばれる余地はあったはずだ。「冷蔵庫」に比べて「ケータイ」はかなり大雑把な作りなわけで、物事の進展の中でとりあえず付けた名が定着した例と言ってよいだろう。

 世の中にはこれからも新しい物や事が現れるだろうし、それに応じて新しい語も生じるだろう。その際に場当たり的な名付けをすることも私などは悪いと思わないのだけれども、そうではなくて、やはりうまい名付けをした方がよいということならそれもありだろう。しかしそのためには他ならぬ私たちの言葉の使い方を予断なく振り返ってみることが結局は近道であると思うし、少なくとも外来語だけに粗製濫造の罪を背負わせるのは何とも酷な話に思えてならない。

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日本語日本文学科(ブログ)

「セミナーハウス」というのはやはりこういうものだと思います。

「セミナーハウス」というのはやはりこういうものだと思います。

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