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日本語日本文学科

2004.06.30

奔放な傑作『夫婦茶碗』 ―町田康・織田作之助・井原西鶴―|広 嶋 進|日文エッセイ9

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第9回】2004年6月30日
奔放な傑作『夫婦茶碗』―町田康・織田作之助・井原西鶴―
著者紹介
広嶋 進(ひろしま すすむ)
古典文学(江戸)担当

井原西鶴を中心に、江戸時代の小説・演劇を読み解くことをテーマとしています。


このところ、町田康という作家の小説を立て続けに読んでいます。本学の綾目広治先生のゼミの卒論に、町田康の『くっすん大黒』を対象とした論文がありました。優れた卒論だったため、自分でも一連の町田作品を読んでみたくなったというのがきっかけです。
今回取り上げる町田の『夫婦茶碗』は、金のない夫婦が困り果てて、主人公である夫が「茶碗洗い」という珍商売を考えつくところから話が始まります。

まあ、三千は貰える。そうならばしめたもので、わたしはもともと茶碗を洗うのは、嫌いなほうではないので、午前中だけで、まあ楽に三軒は回れるだろう。午後はちょっと頑張って、五軒も回れば、一日でなんと、二万三千円、昼飯代・煙草代・交通費・洗剤代・たわし代を引いたとしても、二万円は確実に残る。わたしはもともと勤勉なたちだから、週休二日なんて戯けたことはいわぬ、休みは朔日と十五日だけにして、そうすると、月に二十八日ないしは二十九日稼働するわけだから、ええっと、ぎゃあ、五十六万円ないしは五十八万円、という驚くべき高収入になるのである。

事細かな金額の提示、具体的な事物の列挙、畳みかけるようなリズムに、思わず引き込まれます。町田作品を読んでいると、私は自分の専門の井原西鶴の作品を連想してしまいます。

世に、身過は様々なり。(略)大溝の掃除、熊手、竹箒、塵籠まで、持来り、一間を一文 づゝ。木鋏かたげて、立木によらず作を、五分。継木一枝を、壱分づゝ。

一時大工、六分。行水の湯湧して、壱荷を六文。(西鶴『本朝二十不孝』巻一の一冒頭)
(現代語訳。世の中に渡世の道はいろいろある。〈略〉大溝の掃除を、熊手・竹箒・屑籠まで持って来て、一間〈180センチ〉を銭一文〈30円〉ずつでする商売がある。木を切るはさみをかついで回り、どんな木でも一本刈り込んで五分〈1000円〉、接ぎ木は一枝を一分〈200円〉ずつでする商売がある。時間ぎめの便利大工が六分〈1200円〉。行水のお湯をわかして一荷を銭六文〈180円〉で売る者がある。)

 

いかがですか。町田作品をもう一度見てみましょう。

この世の中には、実に様々の渡世があるのであり、めぼしいところを列挙しただけでも、洗い張り、居合道場、漆塗り、桶・樽製造、芸妓置屋、こいのぼり製造、人力車、釣堀、ドイツ料理、納豆製造販売、西陣織、ねじ製造、のれん、馬肉料理、屏風、舞踏、へび料理、まき絵師、みそ醸造、もやし、友禅染、ヨガ教室、など、世間の人というのはみな、わたしなどが思いもよらぬようなことをして飯を食っているのである。

しかし、町田のエッセイを読んでも、西鶴を読んだことは書かれていませんでした。ただ、織田作之助(1913~47)の作品は読んでいるようです。織田は西鶴の文体や発想を吸収した作家として知られていますが、『夫婦茶碗』というタイトル自体が織田の代表作『夫婦善哉』を踏まえたものでしょうし、しっかり者の妻とダメ夫という貧乏夫婦の設定も似ています。『夫婦善哉』の書き出しは次の通りです。

年中借金取りが出はいりした。節季はむろんまるで毎日のことで、醤油屋、油屋、八百屋、鰯屋、乾物屋、炭屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促だった。路地の入口で牛蒡、蓮根、芋、三ツ葉、蒟蒻、紅生姜、鯣、鰯など一銭天婦羅を揚げて商っている種吉は借金取の姿が見えると、下向いてにわかに饂飩粉をこねる真似した。

しかし、『夫婦茶碗』の自由奔放さは織田作之助作品だけによるものではないようで、落語の物売り咄、特に『厄払い』を下敷きにした形跡があります。『厄払い』は、元手のない商人が一もうけしようと師走の街に「厄払い」に行く話です。『夫婦茶碗』でも主人公は次のようにつぶやきます。
自分はリズムに乗り笑顔を作って、「ヤックハライマヒョ、メデタイノンデーハライマヒョ、ヤックハライマヒョ、メデタイノンデーハライマヒョ」とやや甲高い声で厄払いの立て前を唱え、両腕を上下させながら居間の中央に設置した座卓のぐるりをぐるぐる踊り歩き、立て前二回に一回の割合で、突如静止し、今度は恐い顔を作って地の低い声で、「厄払い」と顧客が厄払いを呼ばう声を出す、ということを繰り返した。

「厄払い」は昭和以降完全になくなってしまった職業ですから、右は落語の引用です。主人公はこのあと童話作家になって生計を立てる計画をし、「小熊のゾルバ」を主人公とするメルヘンを執筆します。ところが、意に反して作者にとんでもないことが起こっていくのです。結末はここに記しませんが、明らかに日本の「私小説」のパロディと、私小説作家に対するからかいが意図されています。
『夫婦茶碗』は桂枝雀の軽妙な語り口と、しりあがり寿の描くシュールな漫画と、織田作之助の文体をごちゃまぜにしたような、抱腹絶倒の喜劇、快作です。ぜひご一読をおすすめします(新潮文庫『夫婦茶碗』)。

※このエッセイをまとめるにあたり、星野佳之先生より、桂米朝の落語や『厄払い』について、いろいろと教えていただき、CDまで貸していただきました。ありがとうございます。

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