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日本語日本文学科

2006.01.05

ウッタテ考|佐野 榮輝|日文エッセイ27

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日本語日本文学科

日文エッセイ

佐野 榮輝 (書道担当)
書の実技・理論を通して多様な文字表現を追求しています。
 
 毛筆を用いた楷書の基本用筆の学習では、小中学校の国語科書写、高等学校の芸術科書道でも、最初に横画の「一」の字を、起筆(書写では始筆、書き始め)・送筆・収筆(書写では終筆、書き終わり)の三部に分析して学ぶ。この三部分は、俗に「トン・スー・トン」とも、三折・三過などともいう。
 ウッタテという用語は、岡山に赴任して聞いた耳慣れない言葉の一つとして印象深い。娘が小学五年の二学期に転校し、書写の授業で配布されたプリントを示され、横画の始筆部分にウッタテと注意書きしてあり、どういう意味かと尋ねられたのが初見であった。すでに十年ほども経つ。
 以来、初めて担当する学生にはこの語を尋ねているが、知っていると答えるのは皆、県内出身者だけで、どうしてウッタテというのかと、かさねて尋ねてみるが、始筆・起筆の意味としか理解していない。逆に、この語が全国版でなかったことに、少なからずショックを受けるようだ。それほどに、この用語が浸透していることを物語っている。『日本国語大辞典』の「うったて【打立・討立】」の項には、

①いくさに出向くこと。出陣。②物事をはじめること。また、そのはじめの段階。[方言]最初。手はじめ。徳島県、香川県。

とある。岡山県でも「始筆」の意味のほかに、②の方言として、以下、〔 〕は引用者注、

「ウッタテをちぁーんとせにゃー、おえん〔はじめをきちんとしないと、いけない〕。」

というのを聞いたことがある。学生たちはこのような言い方は知らないというから、もはや中高年でしか用いないのだろうか。
 ウッタテは「はじめ」「始筆」の意でも通ずるのだが、それなら、送筆・収筆については、ウッタテのような同等の方言としての呼称がないのは何故なのか。 
 始筆・起筆は実は二つのアクションによって構成される。現行の検定済み中学・高校の教科書では、以下の三社がこの二つの動作について詳述している。図は省略する。

(一)始筆 「矢印の方向①〔左上〕から静かに筆をおろし、②のように〔左上へ〕少し穂先を押し戻す。」
【学校図書『中学校書写一』p.3筆使いの基本】
(二)起筆 「左斜め方向より鋒先を下ろし(図1)、突き返すようにして圧力を加える。(図2)」
【大阪書籍『高校書道Ⅰ』p.11用筆の基本】
(三)起筆 「左斜め上方向より穂先を下ろし、突き返すようにして筆毛に弾力を働かせます。」
【中教出版『書道芸術Ⅰ』p.9基本的な用筆法】


上記三社本の記述をまとめると、
A「左斜め(上)方向から鋒(穂)先を(静かに)下ろし」て、
B「少し穂先を押し戻す」か「突き返すようにし」ながら、
C「圧力を加え」て、もしくは「筆毛に弾力を働かせ」て、

送筆部に移行するということになる。三つの動作のように思うかもしれないが、C はB に因って附随する働きで、A 下筆して鋒を紙面に置き、あるいは寝かせる、開く。そのまますぐに右方へ送筆するのではなく、B 寝ている鋒を一度起こす動作を加えることによって、C のような圧力が紙面上に加わり、毛筆特有の弾力が生まれる。
 始筆・起筆は、A の鋒を開いた状態から、その直後にB の「突き返し・押し戻し」を行うことによって、鋒先が「S 字状」に折れ曲がって起立する。書論には「折鋒」あるいは「蹲筆」ともいうようだ。蹲は相撲の蹲踞の蹲、膝を折り曲げ腰を下ろしてかがむことだが、そこまでかがむ必要は無く、ほんのちょっと膝を前方に屈して、かかとが床から持ち上がる状態になればいいので、私は学生たちに「爪先立ち」と教えている。
 この「爪先立ち」は開いた鋒の尖端は静止させて動かないようにしたまま、筆の軸だけを入筆した角度と正反対に「突き返す」動作で、「爪先立ち」によって、バサッと開いた鋒は収斂して閉じ、送筆部は鋒が閉じ筆圧が紙面にかかり、引き締まった線となる。
 「爪先立ち」は起筆にだけ特有の動作ではない。開いた鋒を収斂させて方向を転換するための用筆なので、漢字・仮名に限らず、私の古典臨書の実習では、「ここで鋒を開きます。それから爪先立ち。そして方向転換」を連発する次第。
 明治末・大正初め頃に東京では始筆を「うちつけ」と呼んでいる例を挙げておこう。
 明治四十五年(大正元年・1912 年)、東京高等師範学校附属小学校での国語科「書キ方」に大字を導入した際の児童の感想の一つに、『うちつけも、とめも、はねも、どれも、はっきり書ける』(水戸部寅松・本田小一共著『小学校教授用 書法及書方教授法』大正二年発行。第五章「書方教授の教材」第六節「練習せしむべき文字の大きさ」より)という一文を載せる。「うちつけ」は、最初・発端の意味として始筆を指すと考えてよいだろう。
 さらに冒頭の「トン・スー・トン」を、大正末期に「トボン・スー・トボン」と指導していたとの証言もある(江守賢治著『字と書の歴史』p.116、昭和48 年、日本習字普及協会刊)。福井県出身の著者は文部省教科書調査官として書写・書道の教科書検定に携わり、大正4 年に生まれ、大正11 年に小学校入学(一部訂正。下記参照)。小学一年後期に国定第四期の、いわゆる『ノメクタ本』に拠って毛筆を学習した。起筆における具体的な指導は述べられていないが、この『ノメクタ本』は、唐の四大家の顔真卿の書風、顔法といわれる。書者は日高秩父。当時の国威発揚を反映した力強い書であるが、顔法は筆鋒を露わにしない「蔵鋒」を特徴とし、起筆が「こぶ」のようになる弊害もあった。 江守氏と同年に生まれた小説家の三浦綾子氏は、「起筆も終筆もなにも知らない、とにかくわたしの書き方は、筆を斜めに打ち込み、打ち込んだ筆をそのまま素直に運ばずに、ひとひねりして横に運ぶので、必ず起筆がこぶになる」(昭和53年6月21日付『出版ダイジェスト』「わたしと書道」)と述懐している。この頃はまだ始筆・起筆などの用語による指導が確立していなかったのではないかとも憶測する。
 また、「押し戻す・突き返す」を「逆勢」という例があり(田中海庵著『書道教育の原理と実際』昭和十三年発行。第二章「用筆上に於ける基本運筆」(一)横画)、起筆部を「筆の起しはじめ」と定義し、「打ち込む場所へ来たならばパシャリと打ち入つて筆毛は紙面に勁くタッチする。タッチしたならば次に逆勢〔略〕となつて〔送筆部に〕自然に運」ぶという。起筆の第一段階をウチコム、ウチイルと表現し、第二段階としての「逆勢」を、徒競走のヨーイ・ドンの時の前に出るために後ろを蹴る力に喩える。
 以上、ウッタテとは、「ウツ(鋒を開く)+タテル(起こす→突き返す=爪先立ち)」と見て起筆部における二つの動作についての用語であったのだろうと仮定し、単に「はじめ」の一動作であるよりは、二動作を絶妙に言い表した岡山県ならではの書写・書道教育上、効果的な用語であると考えておく。
 ただし、この二動作の度合が過ぎると、中国では八病や字病といわれる「大頭」「釘頭」「牛頭」「竹節」など。日本では「金釘流」、頭デッカチで書に堪能でないことの代名詞になってしまう。力の加減はほどほどに。
 本リレーエッセイは平成十八年丙戌正月五日の更新予定だそう。今年は例年より一週間早まり十二日から十五日まで、岡山県生涯学習センターで第11回書道卒業制作展を開催する。新年早々ゆえ「ウッタテをちぁーんとせにゃー、おえん」と自戒を込めて。
 
【訂正について】
本文中で言及した『字と書の歴史』の著者・江守賢治氏について、2006 年1 月5 日掲載時に「広島県出身」と記しましたが、2008 年9 月に広島市の田村道夫氏から「福井県出身の筈」とのご指摘をいただき、福井県であることを確認しましたので、上記の内容を訂正いたしました。田村氏には心より感謝申し上げます。 佐野榮輝 2008年10月14日

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