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日本語日本文学科

2019.11.01

幽霊を「書く」方法|野澤真樹|日文エッセイ193

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
 野澤 真樹(のざわ まき)
 近世文学担当
 江戸時代の小説を主な研究対象としています。


幽霊を「書く」方法


 先日、京都南座にて九月花形歌舞伎『東海道四谷怪談』を観劇し、中村七之助さん演じるお岩の美しく鬼気迫るさまに魅了されました。『東海道四谷怪談』のお岩は夫・伊右衛門に裏切られ、死後に怨霊となって報復します。近世の怪談として最もよく知られるものの一つといってよいでしょう。
 近年、日本製のホラー映画を意味する「ジャパニーズホラー」という言葉がよく使われるようになりました。その火付け役とされる「リング」が公開されたのは、今から20年ほど前の1998年のことです。映画館で友人と一緒に「リング」を観た後、作中の「呪いのビデオ」の影響が自分にも出るのではないかとしばらく落ち着きませんでした。恐ろしい姿で怖がらせるだけでなく、このようにじわじわと身に迫る恐怖を残すことが「ジャパニーズホラー」の特徴の一つでしょう。今年公開された「貞子」(5月24日公開)では、ビデオではなくインターネット上に投稿された動画が物語の発端となっているそうです。観る人に「horror(恐怖)」をもたらすことを目指しながら、時代に合わせた設定や趣向を様々に変えることで、例年いくつもの作品が公開され、ファンを獲得しています。
 『東海道四谷怪談』は歌舞伎、「リング」は映画と、視覚的に幽霊の姿を見せるものです。それに対し、文字と少しの挿絵からなる小説で、幽霊はどう表現されていたでしょうか。江戸時代の怪異小説をいくつか見てみましょう。
 延宝五年(1677)に京都で刊行された『諸国百物語』に収められる「安部宗兵衛が妻の怨霊の事」では、宗兵衛という男が妻に辛く当たり、食べ物もろくに与えなかったことから、妻は病気になり夫への怨みを残して死んでしまいます。宗兵衛は弔いもせずに遺体を山に捨てますが、すると死後七日目に女房が次のような姿となって現れるのです。


 夜半のころ、かの女房腰より下は血潮に染まり、たけなる髪をさばき、かほは緑青(ろくしょう)のごとく、鉄漿(かね)黒くつけ、鈴のごとくなるまなこを見開き、口は鰐のごとくにて、宗兵衛が寝間に来たり、氷のごとくなる手にて宗兵衛が寝たる顔を撫でければ、宗兵衛も身をすくめゐたりければ、女房からからとうちわらひ、宗兵衛がそばに寝たる女房を七つ八つに引き裂き、舌を抜き懐へ入れ、「もはや帰り候ふ。また明晩参り、年月の怨み申さん」とて、消すが如くに失せにけり。宗兵衛驚き、貴僧高僧を頼み、大般若を読み祈祷をし、明くる夜は弓鉄砲を口々にかまへ、要害して待ちければ、夜半のころ、かの女房いつの間に来たりけん、宗兵衛が後ろへ来たり、つくづくと眺めゐたり。宗兵衛何とやらん後ろ寒く覚へ、見返りみれば、かの女房きつと見て、「さてもさても用心きびしき事かな」といひて、宗兵衛が顔を撫づるとみへしが、にわかにすさまじき姿となり、宗兵衛を二つに引き裂き、あたりにゐたる下女どもを蹴殺し、天井を破り虚空にあがりけると也。
(『諸国百物語』巻之三、五「安部宗兵衛が妻の怨霊の事」)



 ここでの幽霊の姿は腰から下を血に染め、髪は長く、顔色は青銅のよう、お歯黒を付け、目は鈴のようで口は鰐のように裂けていたとあります。幽霊は夫の近くに寝ていた女房を八つ裂きにし、舌を抜くという残忍な方法で殺します。その後、夫を殺す様子も臨場感があり、光景が目に浮かぶように表現されています。
 もう一つ別の作品を見てみましょう。『雨月物語』(上田秋成作、安永5年(1776)刊)に収録される一篇「吉備津の釜」です。この物語では夫に裏切られた女、磯良(いそら)がまずは生霊となって夫を奪った女をとり殺し、死後怨霊となって夫の正太郎に迫ります。正太郎は陰陽師から授かった「朱符」を門や窓に貼り、磯良の四十九日まで物忌みに籠もります、その間、毎夜磯良が訪れ、恨み言を残して去って行きます。四十九日の晩、これが最後の夜といつも以上に油断なく過ごしているうちに、やや空が白み始めます。安心した正太郎は身を寄せていた家の男、彦六に声をかけ、彦六が軽率にも正太郎の籠もる家の戸を開けると、正太郎は悲鳴とともに姿を消します。


…戸を明くる事半ばならず、となりの軒に「あなや」と叫ぶ声耳をつらぬきて、思はず尻居に座す。こは正太郎の身のうへにこそと、斧引提げて大路に出れば、明けたるといひし夜はいまだくらく、月は中天ながら影朧々として、風冷やかに、さて正太郎が戸は明けはなしてその人は見えず。…いかになりつるやと、あるひは異しみ、或は恐る恐る、ともし火を挑げてここかしこを見廻るに、明けたる戸腋の壁に腥々しき血濯ぎ流れて地につたふ。されど屍も骨も見えず。月あかりに見れば、軒の端にものあり。ともし火を捧げて照し見るに、男の髪の髻(もとどり)ばかりかかりて、外には露ばかりのものなし。浅ましくもおそろしさは筆につくすべうもあらずなん。夜も明けてちかき野山を探しもとむれども、つひにその跡さへなくてやみぬ。
(『雨月物語』巻之三「吉備津の釜」)



 夜が明けたと思ったのは磯良の怨霊が惑わせたのでした。正太郎の悲鳴が響いた後、戸脇の壁には血がべったりと付き、軒に男の髻だけが引っかかっていました。しかし正太郎の体はいくら探してもついに見つからなかったのです。
 「吉備津の釜」では先に挙げた『諸国百物語』と異なり、毎夜正太郎のもとを訪れる磯良の姿は描かれません。また、物忌みを破ってしまった正太郎は流れた血と髻を残してあとかたもなくなり、彼がどうなったかは読者の想像に委ねられています。「吉備津の釜」と『諸国百物語』とでは、どちらが恐ろしいと感じるでしょうか。
 『雨月物語』は『諸国百物語』よりも百年ほど後の作品です。しかし『雨月物語』のほうが新しいから怪異の描写が異なったかと思えばそうではなく、秋成と同時代の伊丹椿園という人は「吉備津の釜」を利用した『深山草』(天明2年(1782)刊)という作品の一篇において、上記の場面を次のように改めました。(注1)


きつと顔を見れば、二人の幽霊已前よりもおそろしき姿にて「恨みを報ずべき時こそ来れ」と莞尓(かんじ)と打ち笑み、口より青き炎を吹き出す有さまを見て、傍にありし男女「あつ」と叫びて、ことごとく悶絶しありけるに…伝蔵がすがた見へざれば、怪しみそこここと尋けるに、軒をつたふて落つる滴りあり。「雨もふらざるにふしぎや」と、よく見れば鮮血なり。「さてこそ」と屋上を火に照らし伺へば、伝蔵を二つに引き裂き捨て置きたり。 
(『深山草』巻之一、二「娼妓死後に怨恨を報ず事」)



 この場面の幽霊は口から青い炎を吐いています。椿園はこちらのほうが恐ろしいと感じたのでしょう。
 なお、「吉備津の釜」は怪異の描写において「日本文学中の白眉」(注2)と呼ばれました。幽霊の姿をはっきりと描かないことに由来する得体の知れぬ恐ろしさは「ジャパニーズホラー」を楽しむ現代人の感覚にも合うかもしれません。ちなみに『雨月物語』をふまえた『ISOLA 多重人格少女』というホラー映画もありました。(2000年1月22日公開。)

京都南座

京都南座

注1 『深山草』が「吉備津の釜」を利用することは太刀川清氏に指摘がある。
  (『牡丹灯記の系譜』、勉誠社、1998年、第七章「「吉備津の釜」の追従」)
注2 日本古典文学大系56『上田秋成集』(岩波書店、1959年、中村幸彦校注)解説。

【引用文献】
 ※引用に際し適宜漢字を宛て、句読点・濁点・括弧を補いました。
『諸国百物語』…叢書江戸文庫2『百物語怪談集成』(国書刊行会、1987年)
『雨月物語』…『上田秋成全集』第7巻(中央公論社、1990年)
『深山草』…江戸怪異綺想文芸大系2『都賀庭鐘・伊丹椿園集』(国書刊行会、2001年)


画像の無断転載を禁じます。

日本語日本文学科
野澤真樹講師(教員紹介)
 

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