キュルテペ遺跡、世界遺産暫定リスト掲載に!
紺谷亮一教授
トルコ共和国カイセリ遺跡調査プロジェクト(KAYAP)の詳細はこちら
ユネスコの世界文化遺産(略称は世界遺産)の暫定リストに掲載されるというのは、トルコ共和国政府が、それが自国の歴史上、最も重要な役割を果たした文化遺産であり、長く後世に残すための調査、保存、整備活動を優先的かつ積極的に行うように、国内外に強く発信するに十分な価値があると判断したからである。これによって、我々は、世界各地でキュルテペ遺跡を思う存分、紹介する権利を得た。
写真1:キュルテペ全景(Directore of Kultepe-Kanesh Excavation)
我々、日本の考古学チームは、2008年からアンカラ大学と共同で、キュルテペ遺跡の発掘調査および遺跡周辺の考古学調査を行ってきた。だが、まさか調査中の遺跡が世界遺産の候補となるとは思いもしなかった。
では、なぜキュルテペは世界遺産の候補となったのであろうか。
キュルテペは約4,000年前の大交易都市である。メソポタミアとアナトリアの間では、銅、金、銀、錫、織物、皮革製品等が交易品として取引された。互いに1,000km以上離れた地点を、ロバを使ってキャラバンが往来していたのである。
商取引に関する内容は詳細を極めており、先物取引、取引保障、取引上の裁判等、現代の商取引にも勝るとも劣らない。これらの内容は、発掘された200,00枚を超える粘土板文書に記載されている。
つまり、古代世界屈指のマーケティングが、キュルテペを中心に展開されていたことが、科学的に証明できるのである。
トルコ共和国政府は、今後1年から10年をめどに、ユネスコの当該委員会への登録申請を目指している。これに応えるべく、発掘調査隊長(フィクリ・クラックオウル/アンカラ大学教授)の協力を得て、日本チームは編年構築を目指して、トレンチ発掘(最下層を目指した立坑)を開始する。また「キュルテペ遺跡」展の日本での開催も夢物語ではなさそうである。
写真2:粘土板文書