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現代社会学科

2014.09.26

中世瀬戸内の音を聴く:学科の紹介【6】―海賊衆村上氏と能島―

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現代社会学科

学科ダイアリー

中世瀬戸内の音を聴く
―海賊衆村上氏と能島―


西尾和美教授
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  多くの人が小学校以来、学んでくる身近な日本の歴史。詳しい年号や人名の暗記に苦労した人も多いでしょう。でも、知らないこともまだまだあります。
 たとえば、新幹線も高速道路も飛行機もなかった中世では、人は遠くへ出かけたり、たくさんの重い荷物を運ぶとき、どうしていたのでしょう?地方の荘園から都に年貢を納めるのに、また都から地方へ下るのに、荷物は人や馬が陸路を運んだのでしょうか?

 実は、海や川が重要な交通路、すなわち船が大きな交通・運輸手段でした。近代に鉄道が現れるまで、瀬戸内海は京の都と西日本各地ひいてはアジアを結ぶ最大の幹線交通路でした。
 船が進むには風向きや潮の流れに左右され、人力が頼りだった中世。航行に適した風や潮を待ち、また水や食料の補給のために、船は港に頻繁に立ち寄り、ときには幾日もとどまりました。そのため、沿岸や島々には多くの港町が栄えたのです。

 さらに、現代、橋の上から見れば青い海に緑の島々が浮かぶ穏やかな瀬戸内海ですが、あちこちで島と島、島と本土が接近しています。そこは、水路が狭まり潮の流れが激しくなる「瀬戸」と呼ばれる難所でした。
 慣れない船が瀬戸を通行するのは容易ではありません。そこで、不慣れな船に一緒に乗って難所を無事に通過させる「上乗り」という仕事をするプロ集団が発達しました。海賊衆と呼ばれる人々です。
 代表的な海賊衆である村上氏の拠点のひとつは、その名も「船折瀬戸」をにらむ能島という小さな島でした(写真1)。その周囲は、急流のような潮が段差をもって、あるいは渦を巻いて流れ(写真2・3)、島はまるで堅固な要塞でした。

写真1 能島の全景

写真1 能島の全景

写真2 能島周囲の潮の流れ

写真2 能島周囲の潮の流れ

 戦国時代に日本を訪れ瀬戸内海を移動した宣教師は、村上氏から通行証を出してもらい、中小の海賊の略奪行為を免れてもいます。宣教師は、村上氏を日本一の海賊と称しました。

 今は無人島や過疎の島も多い瀬戸内海。しかし、かつて、そこは地域や国境を越えたさまざまな人々が行き交い、互いに接触し、港町が栄えるにぎわいとつながりの海でした。
 中世の歴史は音や声を残していませんが、新たな知識によって、中世瀬戸内に満ちていた音を聴いてみませんか。

写真3 能島周囲の潮の流れ

写真3 能島周囲の潮の流れ

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