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現代社会学科

2014.10.06

私の史料読みから:八重樫前教授 特別寄稿

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現代社会学科

学科ダイアリー

 現代社会学科のブログに、八重樫直比古・前教授(日本社会史、日本古代史)のエッセイ「私の史料読みから」が掲載されました。
 八重樫・前教授は2014年3月に本学を定年退職されましたが、岡山にご在住です。今回は、重厚なご研究の一部を、特別寄稿という形で、御恵与いただきました。ぜひご覧ください。
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私の史料読みから

八重樫直比古 前教授

・古代最後の女帝(称徳天皇)の宣命
 西暦769年(神護景雲3)10月1日,称徳天皇の宣命が発せられました。

 宣命とは,天皇の意志を口頭で臣下に伝えるための,いわば読み上げ用の台本です。耳で聞いて理解させようとするわけですから,当時の日本語で書かれています。まだカタカナもひらがなも有りませんから,すべて漢字で記されています。けれどもこれは漢文ではありません。当時の日本語を考えるためには大変貴重な資料です。

 おそらくはそのすべてではありませんが,奈良時代を中心として天皇たちの発した宣命が『続日本紀』に引用されています。全部で63あります。そのうちに孝謙・孝謙太上・称徳天皇のものが29あり,約半数弱となります。これだけ数が多いとなれば,これらの宣命から,古代最後の女帝,聖武天皇・光明皇后の娘,阿倍内親王(後の孝謙・称徳)の肉声を聞き,その人物像を読み取るのもの容易ではないかという期待が生まれます。実際はなかなか簡単ではないのですが。

 『続日本紀』に引用された宣命を理解するために必ず読むべき注釈書として挙げられるのが,本居宣長の『続紀歴朝詔詞解』です。宣長の没後,1803年(享和3)に刊行されました。江戸時代の注釈書ですが,その水準は驚く程に高く,依然として現役の注釈書の一つであり続けています。


・宣命に見える仏典の引用
 さて,最初に挙げた769年(神護景雲3)10月1日の称徳天皇の宣命です。宣長はこれを『続日本紀』の中の第45番目の宣命,「第四十五詔」と称しています。この第45詔は大変長いものです。元正天皇や聖武天皇が残したことばなどを引用して,臣下の者たちに対して自分に忠誠を尽くせてと説いています。未婚で直接の跡継ぎを持たない,しかも老境に差し掛かった女帝,称徳が,何かある事件の処理が片づいたところで,同じような事件が起こらないようにと,牽制や説得を試みたものと言えます。「何かある事件」はここでは省略します。

 この宣命に,仏教経典の一つ『金光明最勝王経』の一節の引用もあります。

 新日本古典文学大系15『続日本紀』4(岩波書店,1995.刊)の訓読文に依って,漢字表記をひらがなに改め,また読み仮名や送り仮名などを補いました。なお経文の引用,「若造善悪業,......,治擯当如法」は,この宣命が読み上げられた時には,訓読されずに棒読みされたと私は考えます。そこで訓読文に改めることはしませんでした。

 宣命は,人間の姿をした神のことばとして読み上げられるのが原則ですから,仏教経典を引用する,しかもこのようにはっきりと典拠を示して引用するというのは異例です。後にも先にも,この宣命のみと言っても言い過ぎではありません。なぜこうした異例な引用をしたのか,それもここでは省略します。

・本居宣長の指摘
 この引用について,宣長の『続紀歴朝詔詞解』に注釈があります(本居宣長全集7,筑摩書房,1971.,430頁)。それによれば,宣長は,経文の引用を江戸時代に流布していた『金光明最勝王経』に突き合せました。けれども一致する箇所を見つけられませんでした。

 宣命の引用と宣長が見た経文を,今ここで必要な部分に限って並べてみると,以下のとおりです。「 」の文字の異なりに注目してください。「在」・「世」の違いはさほど問題とならないでしょう。その一方で,「善」・「諸」と「共」・「不」の違いは問題です。語られることが大きく異なってしまうからです。

 宣長は,宣命の引用は,経文の他の箇所をも寄せ集め,作り変えたものだろうと推定しました。圧縮改変引用説と呼んでおきます。その上でさらに次のように言っています。

 然れども「造悪業」ものを,「諸天共護持」といひては,ことわり背きてうらうへ也。いかヾ。作者の失なるべし。

 人間の善い行いに対して諸天,つまり仏教にいわゆる天界の神々が加護してくれるのは納得できる。けれども悪い行いの場合にも,諸天が協力して加護してくれるというのは納得できない。理屈に背いてあべこべだ。宣命を起草した者の誤りに違いない,というのです。「いかヾ」をどう現代語訳すればよいか,決めかねるので省きました。

 私が初めて宣長の注釈を読んだ時には,随分細かいところまで丹念に読み込んでいるものだと感心し,自分の大まかな読みを反省したものでした。また,指摘はそのとおりであり,なるぼど,奈良時代の宣命にもかなりいい加減なところがあるものだとも思ったものでした。

・「西大寺本金光明最勝王経」
 奈良時代の写経の一つに,「西大寺本金光明最勝王経」と呼ばれるものがあります。春日政治氏の『西大寺本金光明最勝王経古点の国語学的研究』という大部の研究書があり,この「西大寺本」のすべてが写真版で掲載されています。念のため,宣命の引用の箇所を写真版で見てみました。すると,驚いたことに,宣命の引用にほぼ一致し,宣長の見た江戸時代に流布していたであろう『金光明最勝王経』とは一致しないのです(春日政治著作集別巻,勉誠社,1985.,写真版160頁)。

 「西大寺本」によれば,「人間が悪い行いをしても天の神々が加護してくれる」ということになります。そんなことがあるものかと思いました。その一方で,ありがたいとされるお経の文字が,いつの間にか書き換えられていた。これは一体どういうことだと,急にそわそわし出したのですが,日本全国,あるいは世界中の『金光明最勝王経』の書写本時代のものを見て廻って確かめるなどということは,とうてい不可能です。そこで開いてみたのが経典の注釈書でした。経典のどのような文字を相手にしてどのような注釈を付けているか,それを確かめてみれば問題が解決するかも知れない。

・唐僧,慧沼の注釈書(疏)
 『金光明最勝王経』は,中国の唐の時代の僧侶である義浄が,インドに渡り持ち帰って自ら翻訳した経典です。翻訳が終ったのは703年,則天武后の長安3年のことです。この『金光明最勝王経』の翻訳が完了するや,早速その注釈に取り掛かったと思われるのが,やはり唐代の僧侶である慧沼です。慧沼の注釈書が『金光明最勝王経疏』で,これが最古の注釈書であろうと思われます。「疏」とは,「意味を通す」で,注釈書ということです。

 成立の古い方から順番にということで,最初に慧沼の『疏』を開いて,そこに見つけたのが以下の問答体の一節でした(大正新脩大蔵経39,同刊行会,1964.,315頁中)。

問。造善可護。造悪如何護。

答。由昔修善。今得為王。故造悪時。天示悪相。護令改修。

語句を補って現代語訳すれば次のようになります。

問い:善い行いがあれば,天の神々が加護するというのは納得できるが,悪い行いにも加護するとはどういうことか。

答え:前世で善い行いを積んだ結果,現世において国王となることができたのである。だから,国王に悪い行いがある場合には,天の神々は悪い前兆を出現させ,国王を加護しつつ悪い行いを改めさせる。

 ここで慧沼は,善い行いや悪い行いの主体を,人間一般ではなく国王に限定しています。そして,国王とは,前世で善い行いを積んだ結果として,生れ変った現世においてその地位を得た者だとします。また,そうした経緯から,国王とは天の神々の加護の下にあるのだとも見ています。さらに,天の神々の加護は,国王に悪い行いがあれば,そこで直ちに打ち切られるのではないとされます。天の神々は,国王を加護しつつ凶事の前兆を出現させ,悪い行いを改めるよう迫るというのです。

 中国の唐の時代の慧沼は,「悪い行いの場合にも,諸天が協力して加護してくれる」としか読めない経文を問題として,こうした問答形式の注釈を付して疑問を解決しようとしていたのです。問いは,日本の江戸時代の本居宣長が疑問としたことに完全に一致しています。宣長の時代を遡ること約1100年,彼の疑問に対する答えがすでに出されていたのです。宣長がこの慧沼の注釈を見たらどのようなことになっただろうと,想像してみたくなります。「作者の失なるべし(宣命起草者の誤りであるに違いない)」は,完全に宣長の失考ということになり,圧縮改変引用説は成立しません。宣命の起草者は,奈良時代に通行していた経文に何ら手を加えることなく,そのままを引用していたのです。

・新たに生まれる疑問
 けれども,宣長の聡明慧眼ぶりに傷がつくことはないと思います。なぜなら,慧沼の解答には,「悪相(凶事の前兆)」とありますが,これでは,因果応報という考え方に祥瑞災異というまったく異質な考え方を持ち込んだことになります。善因楽(善)果,悪因苦(悪)果という考え方に,物事には必ず前兆がある,吉事には吉兆が,凶事には凶兆がある,という考え方を持ち込めば,例えばこんなことにもなりかねません。「いくら悪いことをやっても,凶事の前兆,凶兆を素早く察知して,後からやって来る凶事を回避すれば良いではないか。何をやっても怖くはないよ」,と。これでは因果応報という考え方の重みや説得力が消えてしまいます。慧沼の答えにはこうした突っ込みを入れられる弱点がありそうで,だれもが納得できる答えとは言えないと見えるからです。新たな疑義が提起される可能性があります。

・私が得たもの
 長くなるので,旧稿*の蒸し返しはここらあたりで止めることにします。最後にこれだけは強調しておくべきかと思います。

 仏教の経典は,釈迦のことばなどを記したものとして,聖典とされる特殊な文献です。勝手に書き換えたりすれば,罰が当たるのではないかと,体に震えが来るかも知れない。にもかかわらず書き換えが起こっていたのです。中国やその周辺の地域では,仏教経典の場合,10世紀以降,写本から木版本に移行します。木版本へ移行する際に,先に挙げたような経文の文字の置き換えが起こった可能性があるのではないか,と私は考えています。手書きから印刷への移行は,大変な進歩です。けれども印刷されたものには,手書きの完全な複写ではない場合もある,ということです。写本が通行していた時代のことを考えるのであれば,後の時代の木版本や,さらに活字本に頼り切るのは要注意である,というのが私の得た教訓でした。

 また,奈良時代の人びとが仏典も含めて,さまざまな古典から何を読み取っていたのか,それを知りたいならば,その時代に通行していた注釈書を開いてみるべきだということも,私の得た教訓でした。

*旧稿=「『続日本紀』神護景雲三年十月乙未朔条の宣命における『金光明最勝王経』の引用」『続日本紀研究』237号,続日本紀研究会,1985.刊。

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