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現代社会学科

2017.03.22

聖書の中の社会調査:学科の紹介【28】

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現代社会学科

授業・研究室

聖書の中の社会調査
中山 ちなみ 講師
 2015(平成27)年10月に実施された国勢調査は、インターネットによる回答方式が初めて全国的に導入されたことで記憶に残っている方も多いかもしれません。この調査によると、2015年10月1日現在の日本の人口は1億2709万4745人であり、前回2010年調査と比較すると96万2607人の減少となりました。日本の国勢調査は1920(大正9)年にスタートし、戦後の一時期を例外として5年ごとに実施されていますが、第20回目となった2015年調査で初めて、我が国の人口が減少に転じたという点でも大きな注目を集めました。

 国勢調査はセンサス(census)とも呼ばれ、国内の人口や世帯の実態を把握する目的で定期的に実施されるものです。その結果は、例えば各選挙区の議員定数や地方交付税の配分を定めたり、少子高齢化の将来予測や地域人口の将来の見通しを考えたりするための基礎データとして、幅広く利用されています。国勢調査の実施のために、全国で約70万人の国勢調査員が動員され、1回の調査に計上される予算は数十億円にものぼります。また、国勢調査の集計結果が公表されるのは調査から約1年後であることからも、国勢調査が扱うデータ量がいかに膨大であるかがわかるでしょう。国勢調査は、まさに国家の一大事業なのです。

写真1 国勢調査調査票・表面(平成17年のもの)

写真1 国勢調査調査票・表面(平成17年のもの)

 ところで、話は突然変わりますが、クリスマスの時期などにキリスト誕生の話を読んだり聞いたりしたとき、イエス・キリストがなぜ馬小屋で生まれたのか、マリア様は身重の体にもかかわらずなぜ旅をしたのか、不思議に感じたことはありませんか。「ルカによる福音書」第2章1-7節には次のように記されています。

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(新共同訳『聖書』日本聖書協会)

写真2 マッティア・プレティ「羊飼いの礼拝」ウォーカー・アート・ギャラリー収蔵(1660-1699)

写真2 マッティア・プレティ「羊飼いの礼拝」ウォーカー・アート・ギャラリー収蔵(1660-1699)

 この記述からは、皇帝が人口調査の命令を出したため、ヨセフは本籍地であるベツレヘムで登録をしなければならず、当時住んでいたナザレを離れて、マリアを連れて旅をしていたということがわかります。しかし、同じ目的で旅をする人びとが多かったために宿がいっぱいで、やむをえず馬小屋に泊まったということなのでしょう。これが史実であるかについては諸説あるようですが、聖書の時代にすでに国勢調査がおこなわれていたことは事実です。

 じつは社会調査の最も古いルーツは、古代の王や皇帝がおこなった人口調査です。国家を維持し、運営するためには、徴税や徴兵のしくみを整備することが不可欠となります。どの地方からどのくらい税が取れるか、どの地方から何人ぐらい兵を集められるのかといったデータを定期的に更新して、民衆の実態を量的に把握することが支配者にとって何より大切なことでした。国勢調査は昔も、国家の一大事業であったのです。

 このように、社会調査のルーツが権力の道具という側面を持っていたことを、わたしたちは知っておく必要があるでしょう。そして、社会調査が当時の人びとの生活に大きな影響を及ぼすものであったからこそ、その一端が、聖書の中に垣間見えているのではないでしょうか。

参考
大谷信介 他『新・社会調査へのアプローチ』ミネルヴァ書房

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