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現代社会学科

2017.06.07

徳川将軍への鷹・巣鷹・捕獲鳥の献上:学科の紹介【30】

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現代社会学科

授業・研究室

徳川将軍への鷹・巣鷹・捕獲鳥の献上

藤實久美子教授
 

  2017年は酉年。

 博物館では鳥にちなんだ展覧会が盛んである。今回は、江戸時代の鳥、とくに鷹に関する話をしたいと思う。

 江戸時代、鷹の使用は徳川将軍家や大名などの限られた上級武家によって独占されていた。また鷹が捕らえた獲物は贈答儀礼のなかで重要な位置を占めた。220家を超える大名家より徳川将軍家に贈られる四季折々の産物品―「時献上(ときけんじょう)」の品―は、鮎・海老・鯛、牛蒡・小麦粉・柿・ミカンなど多様であったが、鷹とその捕獲鳥は特別なものであった。

 図版1「黄鷹 きだか」はその年に生まれた鷹である。

 徳川将軍と大名家の贈答互礼の品は、武鑑(ぶかん)という書籍によって調べることができる。武鑑は本屋が編集・出版した大名および幕府役人の名鑑で、江戸時代のロングセラーブックの一つである。

図版1「黄鷹 きだか」

図版1「黄鷹 きだか」

図版2「天明元年刊 須原屋茂兵衛 版『天明武鑑』第1巻 尾張徳川家 部分」

図版2「天明元年刊 須原屋茂兵衛 版『天明武鑑』第1巻 尾張徳川家 部分」

 図版2「天明元年刊 須原屋茂兵衛 版『天明武鑑』第1巻 尾張徳川家 部分」(早稲田大学図書館古典籍総合データベース)はその一例である。

 一口に武鑑といっても詳細版や抄録版があり、抄録版は4種類ある。今回、探ってみたのは、4冊で一揃えとして売られた「大武鑑」である。

 文政13年(1830)刊の須原屋茂兵衛版『文政武鑑』(深井雅海・藤實編2000『江戸幕府大名武鑑編年集成』15、東洋書林)から、「時献上」のなかの鷹・巣鷹(鷹の巣で捕まえたヒナ鳥)・鷹が捕獲した鳥(鶴・白鳥・雁・鴨)に関する記事をピックアップした。つまり鷹を使用しない網猟、わな猟、追込み狩等での獲物や対馬宗家の「朝鮮寒塩鴨」は含まない。


 (1)鷹・巣鷹 10家
  仙台伊達(10月黄鷹)、久保田佐竹(11月若黄鷹)、会津松平(暑中青鷹)、盛岡南部(寒中若黄鷹)、米沢上杉(10月黄鷹)、弘  前津軽(10・11月黄鷹)、松本松平(巣鷹、網懸鷹)、新庄戸沢(10月黄鷹)、高島諏訪(5・6月中巣鷹)、松前(10月若黄鷹13   据・若隼2据)

 (2)鶴 17家
  尾張徳川、紀伊徳川、水戸徳川、松江松平、会津松平、仙台伊達、萩毛利、鳥取池田、岡山池田、津藤堂、盛岡南部、八戸南   部、米沢上杉、姫路酒井、鶴岡酒井、二本松丹羽、中村相馬

 (3)白鳥 5家
  仙台伊達、盛岡南部、多胡松平、二本松丹羽、土浦土屋

 (4)雁 17家
  尾張徳川、紀伊徳川、水戸徳川、高松松平、福井松平、彦根井伊、津藤堂、米沢上杉、松山松平、桑名松平、忍松平、中津奥   平、小倉小笠原、姫路酒井、松山酒井、二本松丹羽、高槻永井

 (5)鴨 30家
  高松松平、加賀前田、大聖寺前田、熊本細川、佐伯毛利、彦根井伊、津藤堂、久留米有馬、米沢上杉、桑名松平、忍松平、中津  奥平、高田榊原ほか

 重複する家があるので総数は62家であった。このなか越前福井藩主松平家のように「在国之節拝領之御鷹捉飼 雁・鴨」と、将軍より与えられた「御鷹」で捕らえ、生きたまま雁や鴨を江戸に運んだと考えられる事例がある。一方で、「塩雁」「塩鴨」とあって加工したのちに江戸に輸送した事例がある。

 鷹の飼育と日常的な訓練、渡り鳥に関する情報の入手、実際の狩り、捕獲した鶴・白鳥・雁・鴨の飼育と輸送、塩漬け料理の製作。在国中も大名家は徳川将軍の存在(権威)を意識し、緊張のなかで定例の贈答品の調整に努めたことであろう。

 以上、鷹、鷹の捕獲物の贈答といった鳥と人の関係を歴史的にとらえることで、武家社会の様子が明らかになったと思われる。

図版3「鷹狩一覧(部分)」(明治6年1873)

図版3「鷹狩一覧(部分)」(明治6年1873)

図版3「鷹狩一覧(部分)」(明治6年1873)は国立公文書館デジタルアーカイブ(URLアドレス < http://www.digital.archives.go.jp/ >)より転載した。

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