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現代社会学科

2017.10.31

皇帝と黄龍:学科の紹介【34】

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現代社会学科

授業・研究室

皇帝と黄龍

鈴木 真 准教授
 以前の現代社会学科ブログ【26】では,中国の「五行説」という思想を紹介しました。この思想では,季節や方角や色などのさまざまなものが木・火・土・金・水の五行に対応する,と考えられていました。

 それに関連して有名であるのは,東西南北の四方をつかさどり,その名に色を冠した「四神」と呼ばれる聖獣の存在です。「青龍」(東)・「朱雀」(南)・「白虎」(西)・「玄武」(北)といえば,耳にしたことがあるかもしれません。日本では高松塚古墳の石室内部に描かれた壁画が有名ですし,幕末の会津藩ではこの四神の名称をあたえられた部隊が編成されました(とくに白虎隊が知られています)。また,平城京や平安京において宮城の南門を「朱雀門」としたのは,五行説に基づいた唐の長安城などにならっての命名ともいわれます。

写真1:紫禁城の北門である神武門(手前の自動車との比較で,門の大きさが分かります)

写真1:紫禁城の北門である神武門(手前の自動車との比較で,門の大きさが分かります)

 同じように,長安の宮城の北門は「玄武門」と呼ばれました。玄武は亀と蛇とが合体したような外見をしており,「玄」は「くろ」色を意味します。そういえば,遣隋使・遣唐使に同行して唐の長安にも滞在した高向玄理(黒麻呂)という人がいました。

 ただこの玄武門ですが,清朝(1636~1912)において,1644年以降の宮城であった紫禁城(現・故宮博物院)の北門は,ある時期に「神武門」と改称されました。第四代皇帝・康熙帝玄燁(こうきていげんよう,在位1661~1722)の時代のことです。

 これは中国の「避諱(ひき)」と呼ばれる,貴人の本名を避ける慣習に基づきます。古来中国では,自分の父祖やその王朝の歴代皇帝の本名をはばかり,それらの漢字の使用を避けるという慣習がありました。
 そのため,北方の守護神の名称に由来する玄武門ですら,康熙帝玄燁の名を避けて,神武門とあらためなくてはならなかったのです。いかに皇帝という存在が偉大であると考えられていたのかがうかがえます。その偉大なる皇帝を象徴する存在が,「黄龍」でした。

写真2:階と階との間に彫刻された,皇帝を象徴する五本爪の龍

写真2:階と階との間に彫刻された,皇帝を象徴する五本爪の龍

 はなしを五行説に戻します。東の青龍(木)・南の朱雀(火)・西の白虎(金)・北の玄武(水)とくれば,残った方角はひとつ,「中央」(土)ということになります。そしてこの四神に囲まれた中央に配置されるのが黄龍(異説あり)で,つまりは皇帝が天下の中心に存在することをあらわしています。

写真3:紫禁城の太和殿の屋根に並ぶ「走獣」たち(先頭は鳳凰に乗った仙人,2番目が龍)

写真3:紫禁城の太和殿の屋根に並ぶ「走獣」たち(先頭は鳳凰に乗った仙人,2番目が龍)

 明・清時代の皇帝の住まいであり,天下の中心であった紫禁城。その屋根瓦は皇帝(黄龍)を象徴する黄色で塗られ,広大な空間のあちらこちらに,ある時はあからさまに,またある時にはさりげなく,大小さまざまな龍が隠れています。もし訪れることがありましたら,ぜひ探してみてください。
 

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