日本語日本文学科

人間生活学科

2014.06.01

七絃琴のこと ~源氏物語を起点として~|原 豊二|日文エッセイ128

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    日文エッセイ

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日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第128回】2014年6月1日
【著者紹介】
原 豊二(はら とよじ)
中古散文文学担当

源氏物語など平安時代の文学を多角的に研究しています。

七絃琴のこと ~源氏物語を起点として~

 『源氏物語』に表される絃楽器は全部で4種類ある。それぞれ、琵琶、琴、箏(そう)、和琴と呼ばれるものである。このうち、琴(きん)は「七絃琴」とも言い、主人公の光源氏や末摘花、また女三宮が演奏している。奏者がいずれも皇統につながる人物という点で特に注目されている。

 さて、この楽器はよく十三絃の箏に間違えられるのであるが、実はそれとはかなり異なったものであ
る。特に箏や和琴と違って、「琴柱(ことじ)」がなく、一本の絃でも左手を使って多くの音階を出す
ことが可能である。強いて言えば、三味線やギターの奏法に近いと言える。
 漢民族発祥のこの楽器は遣唐使等によって日本にもたらされたようだが、古代の日本ではほとんど定
着することはなかった。演奏の事例もかなり限られている。一般に、『源氏物語』が描かれた時代にお
いては、演奏自体が廃絶したか、あるいはかなり細々と命脈をつないでいたかといったところで、現実世界では決して身近な楽器とは言えなかったようである。

 けれども、七絃琴は文学世界、特に物語文学ではよく登場する。特に平安時代の『うつほ物語』や『源氏物語』『松浦宮物語』においては顕著である。こうした物語の作者の多くは漢籍によく通じていたであろうから、この楽器の中国での重要さは特に承知していたはずである。彼らの好んだ唐代の詩人・白居易(はくきょい)の作品に度々この楽器が登場し、中華楽器の中心的存在として揚言(ようげん)されている。それにしても、どういうわけで日本では現実に失われたはずのこの楽器が、物語文学に限って命脈を長く保ったのであろうか。単に物語作者の漢籍好きに原因があるとしていいのだろうか。
 このことに関する答えはまだ考察中であるが、和歌文学などにこの楽器がほぼ表現されないことを思うと、物語という<ジャンル>に、七絃琴がよく適合したというように考えるのが自然であろう。一般に日本の古典文学は、ある<ジャンル>が生成し、それが潰(つい)えて、また新たな<ジャンル>が生成していくというプロセスをたどることが多い。結果、物語文学というジャンルがほぼ衰滅する時期になると、この七絃琴も忘れられてしまったというわけである。後代になって『源氏物語』は絵画化され、この七絃琴もよく描かれるが、その形状や演奏方法が正確に描かれていないのは、それがためでもある。

どうやら七絃琴とは、物語という<ジャンル>によって生かされたということであるが、もう一つ、この<ジャンル>が他の文学ジャンルに比べて、より東アジア全体を見渡す外交的な視点を保っていた点に注目しておきたい。『うつほ物語』の重要な登場人物である俊蔭は遣唐使の一員であったし、『松浦宮物語』の主人公もそうである。『浜松中納言物語』では中国そのものが描かれ、『竹取物語』ではアジアの舶来品がかぐや姫によって求められ、『源氏物語』では高麗人(渤海国の使者)が登場する。こうしたことに注目すると、この「七絃琴」も東アジア世界に通じる一つのアイテムとして認知されていたように考えられるのである。

 ところで、平安時代に失われた七絃琴はその後どうなったのだろうか。時代は下り、中国では明から清へと王朝の交代があった。その明国から逃れて来たのが東皐心越(とうこう・しんえつ)(1639~1696)である。この時、心越はこの七絃琴を再び日本に伝えるという大変重要なことを成し遂げている。そのため、江戸時代から明治期までの日本の七絃琴の奏者は、すべてこの人物がその祖となるというわけである。岡山を代表する文人・浦上玉堂(うらかみ・ぎょくどう)(1745~1820)も琴師だったが、彼もその楽統であり、多くの演奏歴のあること、彼自身の手で作られた七絃琴のあったということなどから、琴界において江戸時代を代表する人物であった。なお、米子市立山陰歴史館には浦上玉堂制作の七絃琴が残されている。ただ、この楽統も昭和初期にはほぼ失われてしまう。

 よって、現在の七絃琴の奏者は近年の復興によるものである。七絃琴の演奏が家元制度を持たなかったということにも多くの廃絶の要因はあっただろうが、戦禍による文化状況の衰退や閉塞も意識されるべきだろう。
 手前みそで恐縮だが、先般『東アジアの音楽文化』(アジア遊学)という論集を上梓した。七絃琴についても多く掲載されているので、ぜひ手に取って見てほしいと思う。音楽が失われる時、平和も失われる。そんな思いを秘めつつ、編集にあたった。

*画像(上)は米子市立山陰歴史館所蔵七絃琴(下が浦上玉堂の制作)。
  画像(中)は『琴譜正伝』(複製)(演奏法と楽譜が記されている)。
  画像(下)は『東アジアの音楽文化 物語と交流と』(原豊二・劉暁峰編、勉誠出版)。

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