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日本語日本文学科

2014.09.01

ウッタテ考 その2|星野 佳之|日文エッセイ131

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日本語日本文学科

日文エッセイ

星野 佳之(日本語学担当)
日本語の意味・文法的分野を研究しています。
 
「日文エッセイ」27号、佐野榮輝教授の「ウッタテ考」は、本学科のブログの中でも特に読まれている記事で、地元誌のコラムにも取り上げられたことがある。岡山県下の小中学校の書写の授業で、始筆・起筆の意味する「うったて」という言葉が用いられることに、県外出身の佐野教授が驚いた経験の紹介から始まるエッセイである。むしろこの言葉が"岡山特有"のものであると知って驚かれた読者も多いのではないか。未読の方は是非お読みいただきたい。今回はこの「ウッタテ考」の、書道担当でもない私がつづるまさかの第2弾である。

 上のエッセイにもある通り、この「うったて」という言葉は、岡山では(1)書道の始筆・起筆のほかに、(2)「物事をはじめること。また、そのはじめの段階。」(『日本国語大辞典』小学館)という意味でも用いられる。
 この(2)の用法は『日本方言大辞典』(小学館)によれば徳島県、香川県でも見られ、更に「うちたて」の語形で奈良県吉野郡にもあるという。つまり「物事のはじめ」の方は西日本では広く見いだされるもので、書道専用の「始筆・起筆」の用法が岡山特有なのである。
 
うったて
(1)書道の始筆・起筆 ... 岡山県
(2)物事をはじめること。また、そのはじめの段階。 ... 岡山県、徳島県、香川県、奈良県吉野郡

 さらに『日本国語大辞典』によれば、「うったて」は古くは「出陣」をも意味したという。「立つ」という語はもともと「出立する(四段)/させる(下二)」を時として表した。それが「うち」という接頭辞を伴って特化したものと考えればよいのだろう。

都辺に 立つ日近付く 飽くまでに 相見て行かな 恋ふる日多けむ (万葉集・巻17・3999)
ますらをの 呼び立てしかば さ雄鹿の 胸別け行かむ 秋野萩原 (同・巻20・4320)


 安定した状態に移行するのが「ゐる」、安定の状態から動的になるのが「立つ」である。「いても立っても」とか「立ち居振る舞い」のように両者はペアを為すのだが、「ゐる」段階から「立ち」、更にどこかへ「行く」のだとすれば、「立つ」は「移動の開始局面」を切り取る語である。「出立する」という意味の「うったつ」を持つ方言は、『日本方言大辞典』によると岩手県九戸郡、気仙郡、長崎市、熊本県、宮崎県東諸県郡、鹿児島県揖宿郡、屋久島など、現代でも少なくない。
 この「出立」の用法が、「移動(の開始局面)」という具体的な行為から抽象化されて、「物事の開始局面」を意味するようになった。岡山県等の(2)の用法に至る経路はそんなところであろう。一方で、動詞形の「うったつ(うちたつ)/うったてる(うちたてる)」が開始局面を表す用法は岡山でも活発ではないようで、名詞形しか持たない岡山の「うったて」なる語はなかなか興味深い。大辞典の教えるところから「うったて」の変遷について大雑把な推測を試みたが、それには理由がある。
 なんと岡山から遠く離れた沖縄県に、「うったてぃ」と呼ばれる祭があるというのだ。毎年開催される八重瀬町志多伯(したはく)区の豊年祭は、人の年忌と同じく33年で一巡し、新しい周期の一回目の祭を特に「うったてぃ」と呼ぶそうだ。これは偶然似通った形の語なのではなく、地理的には遠くとも意味的には近いわが「うったて」の兄弟であること、間違いないのではないか。
 ある所では移動動詞として、ある所では抽象的な開始局面の名詞として、というように、全国の各地で「うちたつ」に連なる語が色々な居つき方をした中で、「周期で一番最初の祭」というところまで特化した志多伯区の「うったてぃ」はやはり珍しい。『沖縄古語大辞典』(角川書店)が「首里方言ではウッタチュンといい、勢いよく立つ、勢いよく出発する、などの意を表す」(「うち-たつ」の項)と説明するように、沖縄では動詞形も行われているのに、それが移動動詞のままであるらしいことを考えに入れれば、なおのこと珍しい。それと同じく、動詞形の「うったつ」を持たないまま、書道の「起筆」を意味するに至った岡山の「うったて」も珍しいのである。
 そしてこういう"珍しい"用法は、それほど珍しくなく色々なところにあるのではないだろうか。多くの岡山の人たちが、全国の書道の授業で「うったて」という言葉が使われていると思い込んでいたように、当たり前の顔をして人々の前に立っているに違いないのだ。
 さて、この八重瀬町志多伯区の豊年祭であるが、戦後間もない1946年を1年忌として再開したものが、2012年には遂に3巡目に突入したという。つまり貴重な「ウッタティ」をこの目で見る機会はあと30年ほど先なのであって、もっと早く知っていればと惜しまれる。しかし、今年は「ウッタティ」ではないけれども、3年忌豊年祭にあたるので、「獅子加那志(ししがなし)」と呼ばれる区の守り神の舞が披露されるらしい。沖縄戦を生き延びた住民によって、地区内の焼け残ったデイゴの木から作られたこの神様の舞が見られるのは、今回を逃したら4年後の7年忌を、それを逃せば13年忌を待たねばならない。やはり今年勢いよく出発するべきだろうか。
【後記】
結局、志多伯の豊年祭を見に行ってきました。その様子をまとめましたので、こちらの記事もごらん
下さい。
志多伯の豊年祭に行ってきました!(リレーエッセイ番外編)
 
【参照リンク】 
チャラ字・チャラ書き|佐野 榮輝|日文エッセイ107
 「書く」ことに関してもう一つ"特有"な語である「チャラ字・チャラ書き」についての佐野榮輝教授によるエッセイ。
DEEokinawa「志多伯の獅子加那志33年忌豊年祭」
 志多伯のウッタティについては、こちらのサイトがとても分かりやすく、また楽しく説明しているので、ぜひ参照してください。
盛大に獅子加那志 舞台で勇壮演舞
 2012年のウッタティに関する地元紙「琉球新報」の記事。
 
*画像素材提供はフリー素材屋Hoshino。
  画像の無断転載を禁じます。
 

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