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日本語日本文学科

2015.10.01

六月雪(ろくがつせつ)|佐野 榮輝|日文エッセイ144

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日本語日本文学科

日文エッセイ

佐野 榮輝 (書道担当)
書の実技・理論を通して多様な文字表現を追求しています。
 
 二年前、かねてから懇望していた〈六月雪〉を同門の稲村龍谷兄より剪枝十本ほどいただき、一月ほど水栽培して発根したのを土植えした。今、わが家の二階のベランダのその一鉢は花の盛りを誇っている。
 アカネ科に属する常緑性の低木という。1cmほどの白い五弁の花をつぎからつぎに咲かせ、春から秋にかけて楽しませてくれる。この六月雪について言及した文献に、昭和12(1937)年10月、『書道』第6巻第10号、西川寧「趙墓と六月雪」(『西川寧著作集』第三巻に再録)というエッセイがある。以下に大略紹介する。
 継述堂先生が西湖の西、丁家山のふところに趙撝叔の墓を尋ねたおり、ほとりに生い茂っていた灌木のミショウを一芽摘んで日本に持ち帰った。彼の地では六月雪と呼んでいる。今では私もその一株を頂戴して書斎の南園に植え下ろした。俗にハクチョウキと呼ぶものに似た葉と花で、枝はコゴメ桜ほどではないが、しだれ延び、夏から秋の間咲きつづけるこの趙墓上の花をこよなく愛玩している。
 継述堂先生は河井荃廬。西湖は中国・杭州の景勝地。ふところは麓。趙_叔は趙之謙の字(あざ
な)。ミショウは実生。_廬は西川の師であり、また西川は趙之謙に心酔私淑し、独自の書の境地を拓いた。趙墓上は趙墓のほとり。

 荃廬がこの趙墓上の六月雪を日本に舶載したのは何時か。田辺斉廬「六月雪」(昭和33〔1958〕年11月『書品』94号)には、松尾謙三氏から一株もらったこと。_廬が「掃墓せられたのは二回目の渡華の際」といい、「土のついた植物の入国はやかましいので、鞄の底に秘めて、根もとに土があるかなしかのみじめな姿で持ち帰られたのが根附いたと聞いてゐる。いふまでもなくもとの株は先生に殉じた」が、かつて西川、松尾氏に分与されたという。
 荃廬が呉昌碩に会うために初めて渡華したのは、明治33(1900)三十歳の時で、以後隔年ごとに訪中したらしい。小林斗_氏によれば、第2回目の訪中は明治35(1902)年。そのおりの「訪中日記」(西川寧『河井_廬の篆刻』1978年5月、二玄社pp.8~21)は、前半を欠いているが、長期間杭州に滞在している。日記は12月2日の杭州より始まり、翌年2月6日杭州をはなれ、15日上海から乗船、18日長崎に寄港し、翌19日下関に至るまでが記されている。趙墓の記述はなく、時は真冬で六月雪は開花していないことなど、やや疑問が募るが、仮にこの時とすると、趙撝叔(1829~84享年56)逝世後19年。

 荃廬は昭和20(1945)年3月10日の東京空襲に遭遇し、九段の自宅で宝蔵する書画とともに殉じた。享年七十五歳。その間、推定して明治35(1902)年から以後、六月雪は西川寧・松尾謙三両氏らに分与され、趙之謙墓、河井_廬への欽慕の墨縁が重層し、先述した稲村龍谷兄は關正人先生から、それは松丸東魚先生から、それは松尾謙三氏から、それは河井_廬翁からと、絶えず受け継がれた墨縁、「えにし」である。ちなみにわが家は六世孫木となろうか。 
 松尾謙三は虎ノ門にあった晩翠軒、のち徳鄰堂主。昭和19(1944)『清朝名人印景』、発行年不詳『徳鄰堂欣賞』などの印譜を編輯している。保多孝三先生刻に同氏の住址印がある。この松尾氏から、松本芳翠・松丸東魚・田辺斉廬諸氏に伝えられていったのだが、文献で識られる限りでは、継述堂から直接の伝播は意外なほど少ない。過去は闇に消えていく宿命であるから、もはや由来を背負わずに広く繁茂しているのであろう。

 先の昭和12年10月、『書道』第6巻第10号(この号は趙之謙特集であったか)の、楠瀬日年「趙悲_の墓」と題した全文を、中西慶爾氏が「趙墓と六月雪」中に転載している(『書品』256号、昭和53年6月)。_廬墓参のおりすでに荒れ果てていたようだが、日年の時にはもっとそれが進んでいるようだ。その年代の不明なこと、夏草の生い茂る中での六月雪に言及がないことなどが惜しまれる。

 六月雪は別名〈満天星〉。夜中、地上に満天の星を観る心地がする佳い名である。
 ハクチョウキはハクチョウゲ。白蝶花、白丁花などと記される。日本でも江戸時代から園芸に利用されていたらしい。昨年、本学の中央棟(水鏡)からグランドに向かって左のきれいに刈り込まれた生垣が、まさに六月雪であることに驚嘆。
 日常通りすがるだけでは誰も目に留めもしない、その可憐な白い花は、紛れもなくわが家の六月雪と「瓜二つ」である。施設管理の担当者によれば「ハクチョウゲ」として、附属小学校移設にともない植樹したとのこと。
 だが私はわが家のベランダに開花する六月雪の、重層する墨縁を大切にしたいと思う。すなわち悲盦・荃廬に連なる「よすが」であろうから。
 

付記
 笠井雋堂兄よりご恵贈賜った『封山通信』第29号(平成26年8月)は「六月雪のことども」と題する特集が組まれ、上記引用を含め八編を全文収録している。おそらく六月雪に関する唯一の随筆集成である。

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