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日本語日本文学科

2015.12.01

虎と桜|星野 佳之|日文エッセイ146

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日本語日本文学科

日文エッセイ

星野 佳之 (日本語学担当)
古代語・現代語の意味・文法的分野を研究しています。
 
 トラは古来日本にいなかった。だから異国情緒が際立つのか、『宇治拾遺物語』に載せられた虎の話は印象深い。「虎の鰐取りたる事」は、筑紫の商人が新羅からの帰りに虎に遭遇する話。描写に迫力があって恐ろしくも面白いのだが、私がよく読み返すのは「遣唐使の子、虎に食はるる話」の方である。タイトル通りのあらすじで、我が子の足跡が「大きなる犬の足形」と行き遭って途絶えるのを見て、事態を悟る親の姿が「せん方なく哀し」い。既にない新羅や遣唐使が出てくるから文字通り「今は昔」の話だが、さてこれらは当時の人にどう映ったであろうか。特に後者、遣唐使は「子をば死なせたれども」、刀を抜いて足跡をたどり、虎を討って子の亡骸を抱え帰ってきた。それを見て唐の人たちが驚嘆したという結びを、どう思って読んだだろう。

唐の人は虎にあひて逃ぐる事だに難きに、かく虎をば打ち殺して、子を取り返して来たれば、唐の人はいみじき事にいひて、「なほ日本の国は兵(つはもの)の方は並びなき国なり」とめでけれど、子死にければ何にかはせん。
(本文は、小学館『新編日本古典文学全集 宇治拾遺物語』による)
 
「とても自分たちにはできない、さすが武の国だ」と言ったという異国の人の言葉は、誇らしかっただろうか。それとも文明国の側に立つ自意識を嗅ぎ取って顔をしかめたであろうか。異国は普通こちらから見るものなのに、突如異国から見た"日本像"を突きつけられるのが、この話をより魅力的にしているのだと思う。
 
* * *

 そうした興味からは、沖縄の古謡集『おもろそうし』に現れる日本、というよりヤマトも、同じような感慨を持たせるものである。

一 勝連わ 何にぎや 譬ゑる
  大和の 鎌倉に 譬ゑる
又 肝高わ 何にぎや

 気高い勝連の良さは、何にたとえることができようか。大和の鎌倉にたとえられよう。すぐれて立派なことだ。
(本文・訳ともに、外間守善『古典を読む おもろさうし』岩波書店)

沖縄本島中部の勝連(かつれん)は、首里王府に弓引いて破られた英雄・アマワリの本拠地である。それを称える言葉が「大和の鎌倉」であり、ここにあるのは先進国として日本を見るまなざしである。
 沖縄はそのヤマトからの攻勢に悩まされもした。

一 せりかくののろの
  あけしのののろの
  あまくれ おろちへ
  よるい ぬらちへ
又 うむてん つけて
  こみなと つけて
又 かつおうたけ さがる
  あまくれ おろちへ
  よろい ぬらちへ
又 やまとのいくさ
  やしろのいくさ

 勢理客のノロが、アケシノノノロが、(神に祈って)、雨を降らせて、敵兵どもの鎧を濡らして、(呪詛を続けたのに、敵兵どもは恐れげもなく)運天に船を着けて、小港に船を着けて(上陸してきた)。(ますます懸命に呪詛を続け)、嘉津宇嶽に垂れ下がるような雨雲を呼んで、雨を降らして、敵兵どもの鎧を濡らして(やったのに、とうとう上陸してきてしまった)。この人たちは大和の軍勢である。山城の軍勢である。
(本文・訳ともに、外間守善『鑑賞日本古典文学25 南島文学』角川書店)

 この時の「やまとのいくさ」が、薩摩の琉球侵攻なのか倭寇の類なのかは諸説あるらしい。いずれにしても沖縄の巫女であるノロが、侵入を防ぐべく必死で呪詛する相手が、ヤマトなのであった。
 その後複雑な経緯をへて日本の県の一つとなった沖縄から、ヤマトは依然遠い。近代に本土の紡績工場で働く女性を唄った「女工節」は、その辛さを切々と述べ立てる名歌である。

那覇までやわ島 船乗りば大和
いつか銭もきて わ島けいらど
大和かい来りば 友一人ん居らん
桜木にかかて わみや泣つさよ

 那覇までは私の故郷 船に乗ればヤマト
 頑張ってお金をかせいで 故郷へ帰ろう
 ヤマトに来てみれば 友は一人も居らず
 桜の木にもたれて ひとり泣くばかり
(歌詞・訳ともに、CD我如古より子with吉川忠英『唄遊び』のライナーノート(大須賀猛氏)による)

 女工が故郷を偲んで泣く時にもたれかかる桜は、華やかで、散るのを惜しむあまり風まで恨むような、私たちが慣れ親しんだあの桜と同じだろうか。彼女がせめて寄りかかりたかったのは、例えば沖縄のどこでも見た、台風から家を防いでくれるフクギではなかったか。友一人いない孤絶を象徴する冷たい桜の姿に、私たちが出会うことは余りない。
* * *
 
 上に見た中世の説話や沖縄のうたが示す日本・ヤマトの像は、私たちが普段漠然と思う自分たちの姿とは必ずしも重ならない。輝かしいものも重苦しいものもあり、読んで時にたじろぎもする。しかしそうして改めて出会う「日本」をも、長い間にたどった道のりの一部として含んで、今の私たちはあるのだ。毎年8月になると、日本が世界の中でどのような立場にあるか、あったか、あるべきかを考えさせられる機会が多い。今年は特に多かった。その際「自虐史観」や「修正主義」やといった言葉もよく聞かれるが、私たちは「良い」とか「悪い」とかの言葉で片付けられるほど単純な存在であろうか。そうした一言で何かを言った気になるのとは無縁の、自らに問うて「私たちは何者なのか」を見出す営みの一つが「文学」であると思う。それが必要でなかった時はない。

勝連城跡は、国道58号線や沖縄自動車道からは少し外れますが、今でも威容をたたえる立派なグスクです。

勝連城跡は、国道58号線や沖縄自動車道からは少し外れますが、今でも威容をたたえる立派なグスクです。

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