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日本語日本文学科

2016.02.01

宇治を旅する|原 豊二|日文エッセイ148

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第148回】 2016年2月1日
【著者紹介】
原 豊二(はら とよじ)
古典文学(中古散文)担当

源氏物語など平安時代の文学を多角的に研究しています。
 
 宇治を旅する 地域の中の「古典文学」
 今年のゼミ合宿では宇治を歩いた。『源氏物語』宇治十帖の主な舞台であるこの地をめぐるのは、久しぶりであったが、学生たちとともに楽しく過ごすことができた。
 この数年でかなりの変化があったようで、あの平等院に立派な展示施設ができたことに少し驚いた。さて、JR宇治駅を降りて、雨の宇治川を渡ると、宇治神社・宇治上神社を抜けて源氏物語ミュージアムに辿り着く。そこは、なかなかの「見せる展示」で、映像や音声などが効果的に使われているものだった。ここ宇治は『源氏物語』とともに生きる、そういう決意をしたのだろう。街の中には様々な『源氏物語』に関わる意匠が並んでいる。
 時折、地方の大学で古典文学を教えるということは、どういうことなのか?といったことを考えることがある。全国的な学界(学会)での議論やその到達点を学生たちに示すということは、やはり重要なことに違いない。そうでなければ、大学教育とは言えないであろうから。けれども、そういうことを前提にした上でも、それぞれの地域で古典文学のあり方はもっと相対的であってよいのではないか、ということを考える。岡山には岡山の「古典文学」がある。それが、たとえ都で書かれた作品であったとしても、その受け止め方は地域によって違っていて当然だ。
 全国基準の学問の体系とは別に、地域ごとに浮かび上がる「古典文学」の様相はやはり異なるべきであろう。北海道や沖縄などでは顕著な事例が多いが、京都府内の宇治でさえも、その域内での独自性を意識している。問題は地域研究と「古典文学」の結び付け方である。 
 多くの場合、私たちは勤務地と居住地の二つを持ち、それらはともに重要な暮らしの場である。そうであるならば、学界(学会)への敬意を抱きながらも、それぞれが可能な範囲で身近な地域の文化的様相に対して関心を抱くのは自然なことである。そして、なにより地域の方々に、その地に関わる「古典文学」を知って欲しいと思う。そういう観点からすれば、宇治地域の取組みは一つの成功例として受入れられるものに違いない。
 もちろん、この街で『源氏物語』が観光の大きな素材として、ビジネスの役割を担っているということはあるだろう。けれども、実利的なビジネスの枠を越えて、自分たちが住み、そして暮らす地域への深い理解を促すことは、その地に文化資本という新たな力として蓄えられるということである。そして、文化資本の蓄積は、その地域の社会関係資本(人間や社会のネットワークとしての基盤)の形成を強く押し進めるはずである。
 雨の宇治を歩きながら、そんなことを考えてみた。同行のゼミ生、お疲れさま!

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