2016.03.01
日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第149回】 2016年3月1日
【著者紹介】
藤川 玲満(ふじかわ れまん)
近世文学担当
近世中後期の文学と出版について研究しています。
『不転先図会(ころばぬさきのづゑ)』考
私は、名所図会を研究対象のひとつにしてきました。そのため、「図会」と称する書物があると気にとめてしまいます。そうした関心から知った書物に『不転先図会(ころばぬさきのづゑ)』というものがあります。名所図会の流行に乗じたと思われる小品ですが、この書物の周辺を確かめてみると、少しややこしい事情と疑問が浮かび上がりました。今回は、そのことを書きたいと思います。
まず、『不転先図会』がどのような書物かご紹介します。
架蔵『不転先図会』は、全1冊、縦15.5cm横11.2cm、全17丁。無署名の序と木米(経歴未詳)の跋
(ともに寛政8年(1796)春)があり、粗描の挿絵2図が入ります(画像1)。刊記はありません。作者は沖の白帆という人です(経歴未詳)。本文は、人の一生を旅の道中に擬(なぞら)え、人生の節目・危難を名所に当てはめて軽妙に綴っています。冒頭、次のように始まります(句読点は私意に施した)。
【第149回】 2016年3月1日
【著者紹介】
藤川 玲満(ふじかわ れまん)
近世文学担当
近世中後期の文学と出版について研究しています。
『不転先図会(ころばぬさきのづゑ)』考
私は、名所図会を研究対象のひとつにしてきました。そのため、「図会」と称する書物があると気にとめてしまいます。そうした関心から知った書物に『不転先図会(ころばぬさきのづゑ)』というものがあります。名所図会の流行に乗じたと思われる小品ですが、この書物の周辺を確かめてみると、少しややこしい事情と疑問が浮かび上がりました。今回は、そのことを書きたいと思います。
まず、『不転先図会』がどのような書物かご紹介します。
架蔵『不転先図会』は、全1冊、縦15.5cm横11.2cm、全17丁。無署名の序と木米(経歴未詳)の跋
(ともに寛政8年(1796)春)があり、粗描の挿絵2図が入ります(画像1)。刊記はありません。作者は沖の白帆という人です(経歴未詳)。本文は、人の一生を旅の道中に擬(なぞら)え、人生の節目・危難を名所に当てはめて軽妙に綴っています。冒頭、次のように始まります(句読点は私意に施した)。
母の胎内をかしまだち*1してこの世界へ。誕生通りを一すじに、宮参りの産名(うぶすな)川より
喰初(くいぞめ)の橋をうちわたりて、程なく髪置*2村を過て、袴着(はかまぎ)の松あり。この所
みやげの串たんご*3名物。それより、寺入村、手習坂。古歌に坂に車をおすごとく*4といへるもこの
あたりの事なり。
(*1旅立ち。2幼児が髪を伸ばし始める儀式。3団子と端午。4「手習いは坂に車を押す如し」
学問は少し油断をすると元へ戻ってしまうこと。)
このように出発(誕生)、成長していきますが、この先「元服峠」を越えた辺りから、立寄る所々で身を持ち崩します。途中を見てみましょう。
これよりまっすぐに行ば、一家の面々異見*1の松あり。これより本海道へ立かへればよけれ共、き
かずの浜より尻に帆をかけて*2とびいだせず、一さんに居続け*3の浦へ出る。これより親々は愛相も
築*4嶋にいでて、久離*5の里へいづる。此辺に勘堂*6有。本尊は町内評義菩薩の作にして、親父の御顔は十面*7の観音也。
(*1諫め。2慌てて逃げ出して。3遊里で遊び続けて帰らないこと。4尽を掛ける。5不品行の
失踪人に対する親族関係断絶のこと。6勘当。7渋面(しかめ面)。)
難所が続きますが、この先「妻むかへの社」「子持坂」を経て「仁義五常(人が守るべき5つの道)の橋」を渡り、めでたく「本心(本来の正しい心)の町つづき」に出て終わります。多分に可笑しみを込めた内容です。
さて、冒頭に述べました、この書物をめぐる事情とは、これと同じ書名で内容も重なる、別の本があることです。
国立国会図書館蔵『不転先図会』(181-153)がそれにあたります。2巻2冊、縦22.0�B横13.1�Bと前述の架蔵本(以下小本と記す)よりも大きな書型です。小本と違って国会本は絵本で、風俗画17図に、先程と同じ本文(異同有り)が添えられたものです(画像2)(以下国会本(181-153)を絵本と記す)。画工は二柳斎吉信(浮世絵師)です。
喰初(くいぞめ)の橋をうちわたりて、程なく髪置*2村を過て、袴着(はかまぎ)の松あり。この所
みやげの串たんご*3名物。それより、寺入村、手習坂。古歌に坂に車をおすごとく*4といへるもこの
あたりの事なり。
(*1旅立ち。2幼児が髪を伸ばし始める儀式。3団子と端午。4「手習いは坂に車を押す如し」
学問は少し油断をすると元へ戻ってしまうこと。)
このように出発(誕生)、成長していきますが、この先「元服峠」を越えた辺りから、立寄る所々で身を持ち崩します。途中を見てみましょう。
これよりまっすぐに行ば、一家の面々異見*1の松あり。これより本海道へ立かへればよけれ共、き
かずの浜より尻に帆をかけて*2とびいだせず、一さんに居続け*3の浦へ出る。これより親々は愛相も
築*4嶋にいでて、久離*5の里へいづる。此辺に勘堂*6有。本尊は町内評義菩薩の作にして、親父の御顔は十面*7の観音也。
(*1諫め。2慌てて逃げ出して。3遊里で遊び続けて帰らないこと。4尽を掛ける。5不品行の
失踪人に対する親族関係断絶のこと。6勘当。7渋面(しかめ面)。)
難所が続きますが、この先「妻むかへの社」「子持坂」を経て「仁義五常(人が守るべき5つの道)の橋」を渡り、めでたく「本心(本来の正しい心)の町つづき」に出て終わります。多分に可笑しみを込めた内容です。
さて、冒頭に述べました、この書物をめぐる事情とは、これと同じ書名で内容も重なる、別の本があることです。
国立国会図書館蔵『不転先図会』(181-153)がそれにあたります。2巻2冊、縦22.0�B横13.1�Bと前述の架蔵本(以下小本と記す)よりも大きな書型です。小本と違って国会本は絵本で、風俗画17図に、先程と同じ本文(異同有り)が添えられたものです(画像2)(以下国会本(181-153)を絵本と記す)。画工は二柳斎吉信(浮世絵師)です。
成立年に関して、絵本は寛政9年1月・京都の美濃屋平兵衛らによる出版(刊記)で、小本は序跋の年記が寛政8年春です(管見の限り刊年不明)。
絵本と小本では、書物全編を通して板木の流用はありませんが、両書で似通っていて、それでも所々に違いの見えるのが序と跋です。特に注目した点を挙げます。まず、序題が、絵本に「ころばぬ先図会序」とあるところ、小本では頭に「後悔道名所」と付いています(画像3)。そして、文中の次の箇所の違いが気になります(下線引用者)。
絵本と小本では、書物全編を通して板木の流用はありませんが、両書で似通っていて、それでも所々に違いの見えるのが序と跋です。特に注目した点を挙げます。まず、序題が、絵本に「ころばぬ先図会序」とあるところ、小本では頭に「後悔道名所」と付いています(画像3)。そして、文中の次の箇所の違いが気になります(下線引用者)。
(絵本)暑にやかれ寒にこごえなけどもかえらぬ後悔道中記。かりに山水の画にかたとり
(小本)なけともかへらぬ後悔道寒にこごへ暑にやかれ憂目つらい目の名處名處を山水の画にかたど
り
下線部の違いと先の序題の件を考え合わせますと、どうも小本の序が「後悔道」と「名所」を強く打ち出しているように見えます。そして、これは『東海道名所図会』のもじりではないかという気がします。ところが『東海道名所図会』が出版されたのは寛政9年11月で、小本『不転先図会』の序の年記(寛政8年春)の時点では、まだ出ていません。『不転先図会』の出版については他に知られるところがなく、この件について推測しかねています。なお、絵本の表現(下線部)に「道中記」とありますが、かねてより人の一生を旅路に擬えた教訓本は作られていて(明和8年(1771)刊『諸人一代道中図之解』など)、『不転先図会』はそうした書物の系統に連なると見ることもできます。
跋は、両書とも木米の署名ですが、絵本では、自分が白帆のこの書き物の板行を書肆(しょし)に勧めたとしていて、小本のほうは、白帆に請われて自分が挿画を加えたと述べています。片や浮世絵師による絵本、片や僅かな粗描の挿画入りという各々の体裁に通じる事情と見えますが、では、この2点は如何なる関係にあるのでしょうか。
(なお、絵本は、序は年記が無く白帆の自序とあり、跋は小本と1年違う寛政9年初春の年記です。)
2点の『不転先図会』の成立の意味、序跋の相違の経緯、両書及び『東海道名所図会』の先後関係(年記の順としてよいのか)等、追跡しかねる点が多いのですが、考えさせられる書物であります。
付記 画像の掲載を御許可くださいました国立国会図書館に深謝申し上げます。
・日本語日本文学科
・日本語日本文学科(ブログ)
(小本)なけともかへらぬ後悔道寒にこごへ暑にやかれ憂目つらい目の名處名處を山水の画にかたど
り
下線部の違いと先の序題の件を考え合わせますと、どうも小本の序が「後悔道」と「名所」を強く打ち出しているように見えます。そして、これは『東海道名所図会』のもじりではないかという気がします。ところが『東海道名所図会』が出版されたのは寛政9年11月で、小本『不転先図会』の序の年記(寛政8年春)の時点では、まだ出ていません。『不転先図会』の出版については他に知られるところがなく、この件について推測しかねています。なお、絵本の表現(下線部)に「道中記」とありますが、かねてより人の一生を旅路に擬えた教訓本は作られていて(明和8年(1771)刊『諸人一代道中図之解』など)、『不転先図会』はそうした書物の系統に連なると見ることもできます。
跋は、両書とも木米の署名ですが、絵本では、自分が白帆のこの書き物の板行を書肆(しょし)に勧めたとしていて、小本のほうは、白帆に請われて自分が挿画を加えたと述べています。片や浮世絵師による絵本、片や僅かな粗描の挿画入りという各々の体裁に通じる事情と見えますが、では、この2点は如何なる関係にあるのでしょうか。
(なお、絵本は、序は年記が無く白帆の自序とあり、跋は小本と1年違う寛政9年初春の年記です。)
2点の『不転先図会』の成立の意味、序跋の相違の経緯、両書及び『東海道名所図会』の先後関係(年記の順としてよいのか)等、追跡しかねる点が多いのですが、考えさせられる書物であります。
付記 画像の掲載を御許可くださいました国立国会図書館に深謝申し上げます。
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