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日本語日本文学科

2016.06.01

漱石とコナン・ドイル|小野 泰央|日文エッセイ152

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
 
【第152回】 2016年6月1日
【著者紹介】
小野 泰央(おの やすお)
古代の和歌と漢詩文担当

日本古典文学と中国古典文学の比較を研究対象にしています。

 漱石とコナン・ドイル

漱石文学の謎
 漱石文学のなかには謎が多い。『坊っちゃん』では、実際に登場しないままマドンナが赤シャツによって延々と語られるし、『三四郎』では、電車で同席した女の不穏な行動がしばらく描かれ、『こころ』では、先生の過去に関することがその大半を占めている。『我輩は猫である』における猫は、珍野苦沙弥の家に集う人間模様を探求し、その行動はあたかも探偵のごとくである。「うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている」、(『三四郎』)「私はその人を常に先生と呼んでいた」(『こころ』)、「吾輩は猫である。名前はまだ無い」(『我輩は猫である』)、どれも冒頭から謎めいていることを考えると、そこには意識的な仕掛けが為されていたと考えられる。
 この謎を作品のなかに織り込むことは、島崎藤村にも森鴎外にも樋口一葉にも基本的に見られない。一方で、漱石以後では、患者「第二十三号」が語る河童の世界を描いた芥川龍之介の『河童』や、そっくりな娘たちの出会いから展開する川端康成の『古都』などが出現する。この謎というものは、物語を読み進めるときの最も重要な原動力で、現代ではこの謎を含まない小説は皆無と言ってよい程である。漱石は近代文学史上、小説に謎を取り入れた先駆者であると言える。

漱石と推理小説
 明治33年(1900年)から明治35年(1902年)に掛けて漱石は、文部省から英語教育研究のために
英国留学を命ぜられた。この時、英国にはアーサー・コナン・ドイル(1859年~1930年)がい
た。有名なシャーロック・ホームズのシリーズは1887年から1927年にかけて発表されている。大学
の授業にも出ず、留学費の3分の1を図書購入に充てていたという漱石が、『ストランド・マガジン』に連載され人気を博していたこのシリーズを現地でかつ原書で読んでいても不思議はない。
 特に1893年12月号に掲載された「最後の事件」は『こころ』と話の筋や人物関係において近似するところが少なくない。ホームズは、宿敵モリアーティー教授を道連れに谷底に落ちていくが、それは自決に等しい。その事情を知らせるのは、ワトソンに残された手紙である。『こころ』でも、先生の決意を私は手紙によって知る。ホームズも先生もどこか妙に悟りきっている。その対応は次のようになろう。

  ホームズ=先生
  ワトソン=私
  モリアーティー=明治天皇もしくはK

推理小説と新聞
 推理小説の出現は産業革命と無関係ではない。連続殺人や猟奇的殺人などは、都市化が進むなかでの複雑な人間関係によって起こるであろう。産業革命における産物の一つ、印刷技術の向上によって市井に広まる新聞は、それらの事件を大衆に知らせるのに大きな役目を果たしたはずである。1888年に英国で起きた切り裂きジャックによる連続殺人では、犯人を名乗る手紙が新聞社に届けられたという。大衆は新聞で発表されるそれらの事件の展開を待ち望んだことであろう。実際に、ホームズシリーズにおいても、しばしばホームズの手柄は新聞に載るし、エドガー・アラン・ポー(1809年~1849年)の「モルグ街の殺人」の主人公たちも、新聞でモルグ街での猟奇殺人事件を知る。つまり、新聞は現実の殺人事件が綴られた推理小説なのである。
 漱石が生きた時代も産業革命まっただ中であった。その小説も時代と無関係ではない。『坊っちゃん』における赤シャツとマドンナは、江戸っ子の坊ちゃんとは対照的に西洋かぶれであるし、『我輩は猫である』では都会におけるインテリが風刺的に描かれ、『三四郎』で、三四郎が名古屋で一泊を共にした女に「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」といわれるのは、東京で出会う都会的な美禰子の伏線でもある。そのプロットをもとに、その謎を展開する。新聞に載る実際の事件が大衆の好奇心を煽ったように、新聞小説における謎は翌日への期待において不可欠だった。大衆が新聞を講読するようになった当時において、連載小説を依頼された漱石も、このような仕掛けを感じていたはずである。

謎と社会
 そもそも謎は人間社会において大衆の心理を掴むのに重要であった。それは謎が古来の古典にも見ら
れることでも理解される。シェークスピアの『ハムレット』では、王子ハムレットが父の亡霊からその
死の真相を告げられる。『古事記』における八俣の大蛇の話は、河から流れてきた箸を辿っていくと、
老父と老女が泣いているという場面から始まる。川上から流れてくる物を辿っていくという話は、中国
神仙譚の定型でもある。古今東西、この謎がお話を形成する際に、重要な要素であった。というより、
そういった話が結果的に残っていったのかもしれない。
 メディアが発達し、情報が溢れる今日、この好奇心を煽ることは、マスコミの常套手段となってい
る。例えば、番組の作り方も、チャンネルを変えないように、重要なことは必ずといっていいほどCMの後である。それは漱石が取った新聞小説における商業的戦略そのものである。

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