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日本語日本文学科

2016.08.01

小説の中の教師たち ー重松清の小説からー|綾目 広治|日文エッセイ154

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
 
【第154回】 2016年8月1日
【著者紹介】
綾目 広治(あやめ ひろはる)
近代文学担当

昭和~現代の文学を、歴史、社会、思想などの幅広い視野から読み解きます。
 
 小説の中の教師たち ―重松清の小説から―

 重松清という作家
 重松清という作家を知っていますか。重松清は岡山市出身の作家で、彼の小説にはテレビドラマになっているものも少なからずありますが、重松文学の本領は、学校を舞台とした、教師と生徒との小説にあると言えます。その中に登場する先生たちは、必ずしも立派な人たちばかりではありません。むしろ、いわゆる教育関係者からは顰蹙(ひんしゅく)を買うようなところさえある教師も登場します。しかし、そのような教師たちからこそ、生徒たちや私たち読者は、人生において何が大切であるかを学び、さらには生きていく励ましを得ることができるのではないかと思われます。重松清の教師小説にはそのような教師が多く登場します。たとえば、『気をつけ、礼。』という小説です。
 
 小説『気をつけ、礼。』
 社会科の中学校教師に、本名は「山本康司(コウジ)」ですが生徒たちからヤスジと呼ばれていた先生がいました。主人公の「少年」には吃音(きつおん)があり、そのもどかしさとコンプレックスから暴力沙汰を繰り返す「少年」のことを、ヤスジは「本気で心配」してくれる先生でした。「ヤスジは少年に面と向かって「おまえは『どもり』なんじゃけえ」とはっきり言う」のですが、「ヤスジ以外の教師は誰も、どんなに言葉につっかえても気づかないふりをする。「なかったこと」にしてしまう」のでした。「自分の思うとることをビシッと言えんと、将来困るじゃろうが」と「少年」に言う先生は、ヤスジ一人でした。 

 「人間のいちばんビシッとした姿勢」は、「気をつけ、礼」の後の背中を起こす姿勢にあるというのが、ヤスジの持論でした。「この姿勢が自然にできるようになりゃあ、おまえもどもらんようになるんじゃ。どもらんようになったら、いらん喧嘩もせんでええようになるんじゃ」と、ヤスジは「少年」に言っていました。そのヤスジの唯一の欠点がギャンブル狂だったことで、あちらこちらで借金をして、ヤスジは姿を暗まします。もちろん、ヤスジは学校も辞めました。しかし、「少年」の母親は、「あんたのことを、ほんまに心配してくれとったんじゃけえね、あの先生は」と言います。

 数年後、「少年」は髪をリーゼントにし、「学生服の裏地に刺繍(ししゅう)をした竜虎(りゅうこ)がちらちら覗(のぞ)くように」上着を着て歩く高校生になっていました。学校をサボり、「路上に唾(つば)を吐き」捨てるような高校生でした。ある日、「少年」は商店街で偶然にヤスジに会います。ヤスジは少年に「学校はどげんしたんか」と「叱(しか)りつける声」で言います。ヤスジは「浮浪者」のような格好をしていましたが、「だが、ヤスジはヤスジだった」と語られています。ヤスジは、「なんな、その格好は。どこぞのちんぴらと変わりゃせんが」と言い、そして「ビシッとせんか!」とどなり、「こげな格好をしとるんじゃったら、まだ『どもり』のままか。のう? ろくにしゃべれんのじゃろうが。おまえ、そげなことでやっていけるか。ほれ、『礼』じゃ、『礼』」と言って、「少年」に「気をつけ、礼」をさせます。
「少年」が「先生......」と声をかけると、「わしはもう先生と違うけん」と「ヤスジは少しだけ笑って、うつむいた」と語られています。
 
 ヤスジは一級の教師
 ギャンブルで人生を失敗してしまうヤスジが、不器用であり弱さもあるような人だと思われますが、しかし生徒を思いやることにおいてはやはり一級の教師だったと言えましょう。崩れてしまった自分の人生に対して忸怩(じくじ)たる思いがなかったはずはありませんが、そのことよりも生徒にはきちんとした姿勢で生きていけと励ますのです。そういう教師は、弱さや不器用さも引っくるめて、生徒にとって懐かしく、また生徒の心の一つの支えとなっている教師でしょう。それから二十年以上の時が流れ、「少年」は「いま、小説を書いて生活をしている」とされています。彼はヤスジに「会いたいとは思わない。ただ、生きていてくれたら、いい。どこかで見ていてくれたら、うれしい」と語っています。やはり、ヤスジは「少年」にとって心の一つの大きな支えになっているということでしょう。

 重松清だけでなく、実にたくさんの作家たちが教師が出てくる小説を書いています。それらを読むと、教育とは何かという根本の問題をも考えざるを得なくなります。教職志望者も含めて、教師たちが登場する小説を研究することを通して、教師と生徒の関係や教育の問題を考えてみませんか。

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