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日本語日本文学科

2016.10.25

学生の作品紹介|第10回 活水文学賞受賞作品(女子大学生部門・ジャンルA<優秀賞>) 赤松郁実 「カランコロンカッカッカ」

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日本語日本文学科

文学創作論

本学科生の創作作品が、活水文学賞受賞作品(女子大学生部門・ジャンルA<優秀賞>)を受賞しま
した。
ここにその作品を紹介致します。
 
カランコロンカッカッカ
作・赤松郁実

 
 寒さもなお激しい二月半ば。正月を終えて一月も経ってしまい、皆、普段通りの生活に戻っています。今年度から仕事を始めた私も、平日は早朝から電車を乗り継いで職場に向かい、就業時間になると逆方向に電車を乗り継いで帰宅する日常を送っておりました。

 常と同じと言っても私は女だてらに田舎の新聞社に入社したもので、男性社員ばかりの中、男なぞに負けるものかと忙しない日々を過ごしております。女であっても充分な働きをしてうんと出世してみせるという目標を胸に身支度を済ませると、今朝も私自身を奮い立たせ、まだ日の昇らない暗闇の中、突き刺さるような外気に飛び込みました。

 電車に乗り込んで落ち着くと、仕事柄か、最近の事件事故が思い出されます。大きなものですと東京で起きたホテルニュージャパンの火災のこと、地元のものですと連続空き巣被害のことなどです。そういえばその空き巣というのは随分妙な輩でして、警察によりますと留守宅に侵入しては下駄箱を荒らしていくのだそうです。けれどもそれだけなのです。金目のものは一切盗らず、使い古した靴が数足、姿を消しただけなのです。どうもよく分からない事件でして、我が新聞社でも記事の書きように難儀したものです。

 そうこうする内に終点まで着きました。私は少し離れた駅に行って、別の電車に乗り換えねばなりません。このことは私に限った話でなく、今乗ってきた電車を利用した人のほとんどが、同じ駅に向かって歩きます。

 ここは片田舎の駅周辺ですが、すっかり舗装もされて、私の履いている黒いパンプスは普段のようにカツカツと軽快な音を響かせています。これは就職祝いに父が買って下さった靴で、会社に行くときは必ず履いている愛用のものです。愛用と申しましたが、服で言うところの一張羅に近いかもしれません。

 私はこのヒールの音が好きでして、時にはわざと音をたてるように力強く踏み出します。ヒールとコンクリートが出会う度に鳴るこの音は、今から会社という名の戦場に向かう私を鼓舞してくれる鼓のようなものです。靴が鼓であるならば、羽織っているロングコートはさながら踊り衣装と言ったところでしょうか。ハタハタと北風にたなびくコートを脱ぐと、勝負服であるスーツが現れます。私は身につけているそれらと共に、万全の体勢で職場に向かうのです。その中でも私の気に入りで、最も重要な欠かせないものがこの黒のパンプスなのです。

 この日も私はまだまだ暗い早朝から、鼓を鳴り響かせるかのように意気揚々と歩いていました。当然そこには私以外にも、大勢の人が様々な靴音を立てながら駅に向かっています。けれども私にとっては、自身の靴の音だけが特段に良い音色として耳に残るのです。
カランコロン

 歩みを進める私の耳に、聞き慣れない音が飛び込んで来ました。もちろん、私の足下から発せられたパンプスの音ではありません。後ろの方から、かすかに聞こえてきます。

 カランコロンカランカラン

 その音はだんだんと大きくなっています。近づいてきたことが明白です。私はたいへんその音に好奇心を抱きました。

 遠くからでも響き、周囲の音と異彩を放つこの音はいったい何なのか。しかし異彩と言っても、それなりに聞いたことがある気がする。私の注意はすっかり、謎の音に引きつけられていました。

 カランカランカラン

 ついにその音の正体が、私の右斜め後ろまで迫ってきました。何やら下の方から響いています。私は何気ない素振りに見せかけ、その実、興味津々に首のみをその方向に回しました。

 見てみれば何てことのないものです。遠くからでは分かりませんでしたが、振り返る直前に九割方想像していたもの。確信していたと言っても良い、下駄を引きずって歩く音でした。私が九割と申しましたのは、残り一割に季節と時間の疑問があったからなのです。

 率直に言って、二月のこの寒い時期に早朝から下駄を履かねばならない理由は考えられません。スーツに合わせてパンプスを履いている私はともかくとして、普通は足先も防寒対策をするものです。まだ朝の五時なのです。

 もし仮に日中、下駄が必要であるならば、別に持って行けば良いだけの話です。それをわざわざ寒さに耐え、履いて行かねばならぬ道理はないでしょう。振り返って分かったことですが、この初老の男は、手ぶらでかつ、裸足で下駄を履いていたのです。

 よく見ると格好も妙な男です。下駄を履くならば和装が適切ですが、この初老男、スーツと下駄を合わせています。和洋の不思議な合わせ技にも目を引かれますが、男の手と首を手袋とマフラーがちゃんと守っているのも謎の部分なのです。初老男はコートを纏っており、全体像を眺めると下駄を履く足のみが季節外れの寒々とした風を表しています。

 私はこの初老男をいつのことだったか、電車の中で見たような気がします。ですがその時は、下駄なぞ履いていなかったと思います。この歩く音はよく響くものですし、おそらくは今日辺りから下駄になったのではないでしょうか。ですが、少し古びた下駄に見えますので、新調して履き始めたのではないかもしれません。推測ですが。

 ともかくも、私はこの初老男自体に、好奇な視線を向けざるを得ませんでした。向けられても文句は言えないでしょう。実際、その初老男には不審という意味で、数多の注目が集まっていました。 

 私が例の初老男を見た翌日、早朝。いつものように電車を降りて次の駅に向かうと、また下駄を引きずる音が聞こえてくるのです。

 カランコロンカランカラン

 私は昨日の初老男だと思い、始めは気にしなかったのです。ですから私もおもいきり靴音を鳴らして歩いておりました。異変に気付いたのは、目的の駅が見えてきた時です。

 カッカッカッカ

 また何かが聞こえてきたのです。木でできた何かがコンクリートにぶつかるような、そんな音に感じました。涼しげな、この季節からすると、寒々とした音です。私にはこの音が何重にもなって耳に入ってきます。

 カカッカッカカカッカッカカ

 私は驚いて、大きな動きで周囲を見回しました。すると、後方に下駄を履いた人が確認できます。それも例の初老男ではありません。三、四人だったでしょうか。皆、洋服に下駄の組み合わせで歩いていました。

 私はつい歩みを遅らせて、彼らを注視してしまいました。その人たちは何も変わった様子もなく、ただただ駅に向かっています。私はもう一度足下を観察しましたが、やはり下駄であることを再び認識することになりました。その際に分かったことは、例の初老男以外は、下駄を引きずることなく歩いていることです。昨日と違う音の理由は把握できましたが、なぜ急に下駄になったかが理解できません。私は下駄の流行りでも来ているのかと、思うようにしました。
 
 ところがまた次の日。異変は悪化していました。今度は女、子どもまでもが下駄を履いて、集団で音を立てているのです。私のパンプスが鳴り響いている日々が嘘のようでした。この日も私は、下駄が流行しているのだと無理矢理納得しようとしました。

 しかし、その翌日もです。その翌日も、そのまた翌日も。とうとう例の初老男を目撃した日から五日経つ頃には、私以外の全員が下駄を履いて駅に向かうようになりました。

 カランカカッコロンカッカカ

 カッカランカランカカカッカ

 歩き方によって下駄は様々な音を生み出し、幾重にもなった音はこの薄暗い空間を支配しています。私の靴音は木製の音にかき消されており、愛用のパンプスの音はあって無きようなものだと思われるかもしれません。ですが、真実はその逆です。

 様々な音と言っても全て下駄の音。一方で、その音と私のパンプスの音が同じはずがありません。周りとは違う私の生み出す音が、よけいに目立って響き渡るように聞こえます。下駄が木製特有の音を出すのなら、まるで私のパンプスは金属製の音のようです。もちろん金属の靴ではありませんが、それほどまでの違いを感じるのです。以前、軽快に聞こえていたパンプスのカツカツという靴音は私にとって、ただの雑音と成り果ててしまいました。

 それも仕方がないでしょう。何と言っても前後左右、周囲の人間が皆、下駄の音を発しているのです。この空間では私だけが異質。あの初老男を好奇な目で見ていた私自身が、現在ではその視線を受ける側となったのです。私はただパンプスで歩いているだけですのに、右の男性も、左の女性も、皆が皆、私に差別的で哀れみを含んだ視線を投げてきます。

 私は自分の足下だけを見て歩かざるを得ませんでした。そして挙げ句の果てには目を閉じて進み、目的地に一刻も早く着くことを願うまでに至りました。

 カカカランカランッカ

 コロンコロンカッカカ

 しかし視界から下駄を排除するとよけいに、聴覚で下駄の存在、そんな中での私のパンプスの存在感が悪目立ちするように感じました。私は必死に靴音を立てずに歩く工夫をします。足を下ろすのは、つま先から。音の回数を減らすために、可能な限り大股歩きで。

 音は少しましになったかもしれません。ですが気にすればするほど、私の不安感は積もる一方でした。痛いほど寒く感じる季節のはずが、額には汗が滲み、果ては背中からツーっと冷や汗がつたっています。

 どうしようもなくなり、私は目を開きました。するとどうでしょう。人という人が私の足下を凝視しているのです。まだ日が昇っていない薄暗い中で、まるで猫の目のように、皆の目だけがはっきりと光っているように見えました。幼い子どもの目にさえ私は恐怖で縮み上がり、とうとう歩みを止めてしまいました。

 そこまでして、やっとパンプスの音からは解放されました。が、通り過ぎて行く下駄の音は鳴り止まず、私はしばらく道の真ん中で座り込んでいました。
 同日、私は帰宅途中に靴を購入しました。それはもちろん下駄です。私は女性にしては少し足が大きいですから、男性用の小さめのものを選びました。私は夜に玄関で一人、愛用した黒いパンプスを撫で、そっと下駄箱の奥に置きました。そして袋から新品の下駄を出し、下駄の歯を親指でなぞってパンプスの元、定位置に置きました。カラン、と音が響いていました。
 
 私はいつものように電車に乗り込み、職場に向かっていました。普段とは違い、足下は下駄に覆われています。辺りを見回すと皆が下駄です。私の朝の不安感はすっかり拭い去られており、むしろ新しい下駄を得意げに、微笑を浮かべて見つめていました。

 終点に着きました。皆一斉にホームへ降り、改札を通って次の駅に歩いて行きます。どこもかしこも下駄の音。

 カランカコンカッカッカッ

 今日からは私自身もこの一団と共に音を発しています。忌々しい音が聞こえることがなく、嫌な目で見られることもない。私はすがすがしい気持ちになっていました。

 しかし私はまたもや異変に気付いたのです。駅を出た直後のことでした。下駄ではない音が聞こえてきたのです。

 それはカツカツというパンプスと思われる音。まぎれもない、私のお気に入りだったあのパンプスの音です。私はあり得ない事実に愕然としました。聞き間違いだと思いたかったのですが、周囲が下駄だらけの中で悪目立ちするあの音は、私が苦しめられたあのパンプスの音に違いないのです。

 私はぐいっと視点を下げ、自分の下駄を穴が開きそうなほど凝視しました。

 やはりあの音です。もはやカツカツという音しか聞こえません。私は再び恐怖のどん底に落とされたのです。

 けれどもすぐに私は違和感を覚えました。私が踏み出すタイミングとパンプスの音が、微妙にずれているのです。そのずれは、だんだんと大きなものになっていきます。

 私はふいに振り返りました。すると例の初老男が私の後ろにぴったり付いて歩いていたのです。私は緩やかに歩みを止めると、初老男が私を追い越して駅に向かっていきました。

 その背中を眺めていると、見てしまったのです。初老男の足には見覚えのある黒いパンプスが、私の愛用だったあの靴が履かれていました。そこで私はふと、連続空き巣被害を思い出したのです。
 
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