• Youtube
  • TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • LINELINE
  • InstagramInstagram
  • アクセス
  • 資料請求
  • お問合せ
  • 受験生サイト
  • ENGLISH
  • 検索検索

日本語日本文学科

2017.02.01

図会のなかの故事|藤川玲満|日文エッセイ160

Twitter

Facebook

日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第160回】 2017年2月1日
【著者紹介】 藤川 玲満 (ふじかわ れまん)
近世文学担当

近世中後期の文学と出版を研究しています。

図会のなかの故事

 私のこれまでのエッセイでたびたび取り上げてきました、秋里籬島による名所図会(1)は、寺社や山川を項目に掲げ、これにまつわる古今の文献の記述を挙げながら解説を施しています。そのなかで、多種の書物から蒐集した記述から解説を構築していく手法には、作者の工夫が凝らされており(2)、また、独自に加えられる俳諧や狂歌などは、文学性が豊かで味わい深いものです。今回は、そうした図会の表現のうち、故事を用いた一例に着目してみたいと思います。
 『和泉名所図会』(3)(寛政8年(1796)刊)では、和泉国の紅葉の名所、牛滝山を次のようにあらわしています。

 此山の丹楓(もみぢ)は高雄通天にも劣らずして、谷の低も峯の高きも紅ならざるはなし。其くれなゐの中より三つの瀧だんだんにおちて牛石さしはさみて水の音つよく、霜に染たる紅葉ば此牛の背に散かさなりて錦の褥(しとね)を着(きせ)たるが如し。

このように、高雄山や通天橋(東福寺)にも劣らぬ紅葉の壮観を述べ、その紅葉が牛石(山上にある牛の形をした石)に散りかかるありさまを、「牛に錦の褥を着せたよう」としています。錦は紅葉をたとえていう語です。また、錦の褥とは、錦の布でふちどった美しい立派な敷物で、宮中などで用いられたものです。そして、この描写に続けて古歌と発句を並べ、末尾に、

   牛滝のもみぢを見て狂哥をよめる
 紅葉見て耳は洗はず酒て去(い)ぬわれは巣父(さうふ)ぞ牛滝の本(もと)

という自詠の狂歌を添えています。ここに詠み込まれているのが、「巣父」の故事です。この話は、堯帝(古代中国の帝王)が、賢人と評判であった許由(きょゆう)に帝位を譲ろうとして告げたところ、清廉のであった許由はこれを聞かされたことを厭って頴川(えいせん。川の名)で耳を洗い流し、また、その場に牛を連れて来ていた巣父(そうふ)は、許由がその耳を洗った川水を牛に飲ませることを厭ってさけた、というものです(4)。籬島の狂歌は、紅葉の散りかかる牛石の景観を、牛、錦の褥―帝位、滝―川、というように繋げ、紅葉狩の酒興と巣父の故事を重ねているのです(5)。

 ところで、秋里籬島はのちに、この許由と巣父の故事に別の図会作品のなかでも触れることとなっています。『保元平治闘図会』(6)(享和元年(1801)刊)の一場面です。この作品は、軍記物語を図会形式にして保元の乱と平治の乱を描いたもので、許由と巣父の故事が出てくるのは、『平治物語』を原拠とする次の場面です。

 保元の乱後、藤原信頼(右衛門督)は、権勢を誇る信西(藤原通憲)に不満を持ち、源義朝と結んで挙兵、信西を自害に追い込みました。その後、公卿の藤原光頼(左衛門督)が参内してみると、御所では、信頼が政権を握って帝のごとく振る舞う有様でした。光頼は、信頼方に付いていた舎弟の惟方(検非違使別当)を呼びつけ、厳しく諫めました(画像)。これに続き、次のようにあります。

 我いかなる宿業によつて、かかる世に生れ合、うき事をのみ見聞らん。むかしの許由にあらねども、今の内裏のありさまを聞(きか)ん輩(ともがら)は、耳をも目をも洗ふべくこそ侍れとて、上の衣の袖をしぼる斗(ばかり)歎れけり。

この光頼の嘆きに続けて、「許由典故(きょゆうがこじ)」とする一条に、前述の堯帝の譲位をめぐる故事が語られます。そして、終局で牛を連れて川を去る巣父の「例よりも(いつもより川水が)濁りて見へつるが穢たりけり。然らば我牛にものまさじ(飲ますまい)」との言を受けて「今の信頼の所行、光頼卿の目より、濁り穢れしとぞ見給ふらん。」と結び、この故事が光頼の洞察を説くところとなっています。

 『保元平治闘図会』の場合は原拠の『平治物語』のものですが、素材の活用の在り方について考えさせられます。そして、殊に牛滝山の狂歌は、故事の世界に転ずるその着想が、ひときわ鮮やかなものに思われます。


(1) 江戸時代の名所案内書。『都名所図会』(安永9年(1780)刊)にはじまり、畿内各国(大和・和泉・摂津・河内)や東海道、木曽路のものがつくられた。
(2) 拙著『秋里籬島と近世中後期の上方文学界』(勉誠出版、2014)に述べた。
(3)  引用は、国文学研究資料館蔵本による。句読点は私に施した(以下同様)。
(4) 『高士伝』(晋・皇甫謐撰)等に伝わり、日本の中世・近世作品にも取り上げられている。
(5) この籬島の詠については、拙稿「秋里籬島の狂歌―籬島社中と名所図会に関して―」(『清心語文』18)に述べた。
(6) 引用および画像は、架蔵本を用いた。期の文学と出版を研究しています。

日本語日本文学科
日本語日本文学科(ブログ)

一覧にもどる