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日本語日本文学科

2017.05.01

ご注文は以上でよろしかっ〈た〉でしょうか?|尾崎喜光|日文エッセイ163

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第163回】 2017年5月1日
【著者紹介】 尾崎 喜光(おざき よしみつ)
日本語学担当

現代日本語の話し言葉の多様性に関する社会言語学的研究。日本語の男女差、年齢差(加齢変化)、地域差(方言)、方言と共通語の使い分け、敬語行動、現在進行中の言語変化、韓国語との対照言語行動研究など。研究テーマも多様。
 
 ご注文は以上でよろしかっ〈た〉でしょうか?
 
 最近聞いた店員さんの言葉
 先日、岡山駅に入っているスーパーで買い物をしてレジで代金を払おうとしていたときのことです。買い物が小さなペットボトル一つだけであるのを見たレジの店員さんが「おしるしでもよろしかったですか?」と私に聞きました。「おしるし」というのはお店のシール(ビニールテープ)のことです。つまり、ペットボトル一つだけなのでレジ袋は不要ですよねと私に確認したのです。

 これを紹介したのは日本の環境問題について考えたいからでもなく、お店のサービスの在り方について考えたいからでもありません。日本語表現について考えたいからです。といってもここで考えたいのは「おしるし」ではなく、その直後の「よろしかったですか?」の方です。なぜ「よろしいですか?」ではなく「よろしかっ〈た〉ですか?」と過去形で尋ねたのかを考えてみたいのです。

 過去形にしない「おしるしでもよろしいですか?」で意味は十分通じますし、店員さんは私のその場での判断を尋ねているわけですから「よろしいですか?」の方がむしろ適切な表現だと考えられます。それなのになぜ「おしるしでもよろしかっ〈た〉ですか?」と過去形で尋ねたのでしょうか?

よく話題にされる「間違った日本語」
 「よろしいですか?」を「よろしかっ〈た〉ですか?」とするこの種の表現は、コンビニエンスストアやファミリーレストランの店員さんがよく使う「間違った日本語」としてときどき話題になります。使用される頻度も比較的高いため、気になるお客さんも多いと思います。その後東京でこんな発話も耳にしました。やはり過去形です。

①「一万円でよろしかっ〈た〉ですか?」
 これは家族と一緒に深大寺(調布市)でそばを食べ、会計で妻が一万円札を出したときの店員さんの言葉です。

 10年近く前になりますが、愛知県岡崎市で敬語の調査をしていたとき、昼食で入った食堂で次の発話も耳にしました。いずれも店員さんから私に対するものです。

②「メニューの方、お下げしてもよろしかっ〈た〉ですか?」
③(空いた食器を見ながら)「こちら、お下げしてよろしかっ〈た〉ですか?」
④(530円の代金に対し会計で1,030円を出したとき)「1,030円からでよろしかっ〈た〉ですか?」

 過去形にするには理由がある?
 過去形にしたこれらの表現は単なる言い間違いでしょうか?
 言葉遣いの中には、言った本人も直後に「あっ!」と思う言い間違いも確かにあります。しかしこれらの表現は単なる言い間違いではなさそうです。では、単なる言い間違いとは異なる次元の間違った日本語表現ということでしょうか?

 言葉に関する一般向けの本の中には、間違った日本語について指摘し、正しい日本語を指南する本がたくさんあります。学生の中にはそうした本を読み、正しい日本語を使うよう心掛けたいという感想をレポートの中で書く人もいます。それはそれで大切なことであり、社会に出てからはおおいに役立つでしょう。

 しかし、一般に正しくないとされながらも現実には広く流通しているからには、何かそれなりの理由があると考えた方がよさそうです。ある表現を自分で非論理的だと思いながら使うということは普通は考えられませんから、従来とは異なる<別の論理>がその人の中にあり、それに基づいて使っていると考えるべきでしょう。
 どんな論理?
 ではどんな論理が考えられるでしょうか?
 誰もが一度は聞いたことがあると思われる、ファミリーレストランで客の注文を復唱した直後の「ご注文は以上でよろしかっ〈た〉でしょうか?」という店員さんの言葉で考えてみましょう。

 客が注文をするということは、当然ながらそれ以前に、客は心の中で何を注文するかを決断しています。
「よし、きょうは鴨南蛮そばにしよう!」などと決断しているわけです。
 問題の「よろしかっ〈た〉でしょうか?」という表現は、その決断を下した時点にまで客と一緒にさかのぼり、店員が復唱した注文と照らし合わせたとき、確かにそれで間違いないか、注文するのを忘れている品はないかと客に確認しているのだと考えられそうです。

 つまり、「過去の決断との照合」という、従来なかった論理により、こうした表現が使われているのだと考えられそうです。

 ファミリーレストラン等でアルバイトをしていてこの種の表現を使うことがあるという人は、自分の意識内省し、私の考えたこの論理に同意できるかどうか考えてみてはいかがでしょうか。もし同意できない場合は、これとは別の論理があるのかもしれません。どんな論理が自分の中に働いているのかを考えてみると、言葉の研究につながります。

 大学での勉強
 大学での勉強では、一般に正解とされているさまざまな新しい事柄を学んで覚えることもとても大切です。しかしそれと同時に、誤っているとされながらも広く流通している事柄については、「それは誤りである」と簡単に断じて思考停止するのではなく、誤りであるにもかかわらず広く流通しているのは一体なぜなのだろうか、何か合理的な<別の論理>がもしかしたらあるのではないだろうかと考えを巡らせることもまた大切です。それを研究として展開し、卒業研究としてまとめた後、さらに究めたい人には大学院も用意されています。

 上に示した他の発話例は、それぞれどんな論理によるのでしょうか。考えてみましょう。
 また、「1,030円からでよろしかったですか?」については「から」の部分もよく話題になります。
「1,030円でよろしかったですか?」ではなく「1,030円〈から〉でよろしかったですか?」とするのにはどんな論理が働いていそうでしょうか。考えてみましょう。

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