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日本語日本文学科

2018.02.06

学生の作品紹介|「終わりと始まり」(福富 彩) 文学創作論・文集第15集『パレット』(2017年度)より

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日本語日本文学科

文学創作論

本学科の授業科目「文学創作論」では、履修生が1年をかけて作り上げた作品をまとめて、文集を発
行しています。
今年の第15集は『パレット』です。学生による、「個々の個性の色を絵の具に見立てた」(編集後
記)命名です。
この文集『パレット』に掲載の一作を、ここにご紹介します。
文集は、オープンキャンパスなどでご希望の方にお頒ちしております。機会がありましたらぜひお手
にとってみてください。

第15集文集『パレット』(2017年度)表紙

第15集文集『パレット』(2017年度)表紙

終わりと始まり
作・福富 彩

 
 にぎやかな小学校の休み時間。五年生の勇斗は教室のすみっこで一人静かにノートに鉛筆を走らせていた。それが楽しくて仕方ないと言わんばかりにその表情はいきいきしている。だから、クラスの男子数人が自分の前に立っていることに気付きもしない。
「また書いてるぜ、こいつ」
「ニヤニヤしながらなに書いてんだよ」
 クラスの男子たちはノートを取り上げた。勇斗は驚いて椅子から立ち上がる。
「や、やめ」
「めっちゃ書いてるじゃん」
「気持ち悪いやつ!」
「返してよ」
 勇斗は蚊の鳴くような声で言った。その声は誰にも届かない。そのときチャイムが鳴り、担任の先生が教室に入ってきた。
「はいみなさん、席についてください」
 先生が入ってくると、男子たちは何事もなかったかのように自分の席に戻る。パッと床に投げ捨てられるノート。勇斗は慌ててそれを拾い、しおしおと自分の席についた。
「えー、この前の校内作文コンテストを覚えていますか? その最優秀賞がこのクラスから選ばれました」
 クラスがざわめく。お前じゃないか、と隣同士で小突き合う男子たち。自分が予想した名前を囁く女子たち。先生は静かに、と手を叩いた。
「最優秀賞は、甲本勇斗くんです。みなさん拍手!」
 先生の拍手につられて生徒もぱらぱらと拍手をしだす。誰も予想していなかった人物にクラス全員が驚いていた。それは勇斗本人も例外ではなかった。
「おめでとう。受賞者はみんなの前で作文を読むことになってるから頑張ってね。あとで職員室に寄ってちょうだい」
 先生とクラスメイトから拍手を浴びながら、勇斗は顔を真っ青にしていた。
 放課後。勇斗は職員室で担任の先生から詳しい話を聞かされた。作文を読むのは来月の全体集会。校長先生がスピーチをするように、体育館の壇上から自分が書いた作文を読まなければならないらしい。勇斗は想像するだけで膝ががくがく震えた。
「せ、先生、本当に、僕が」
「そうよ。勇斗くんの作文は素晴らしいって先生方全員が言ってたわ」
「で、でも」
「どうしたの?」
 読みたくない。全校生徒の前でなんて無理だ。その日休んじゃダメですか。言いたい言葉が喉の奥で詰まって出てこない。黙り込んだ勇斗に先生は顔を曇らせる。
「緊張してるのね。勇斗くん、ちょっとあがり症だもんね。でも大丈夫、きっといい経験になるから。頑張ってね」
「はい......」
 返事はやっぱり蚊の鳴くような声だった。
 帰り道の公園でブランコに座りながら、来月の全体集会のことが勇斗の頭の中でぐるぐる回っていた。
文化活動が盛んになる秋にちょうどいい、ということで来月――十月の最初の月曜日に決まったらしい。
タイムリミットまで二週間と少し。
「休めないかな。でも仮病はバレるだろうし」
「なにぶつぶつ言ってんだよ」
 勇斗はびくりと肩を震わせた。振り向くと、さっき勇斗からノートを取り上げたクラスの男子たちがにやにや勇斗を見ていた。
「今から作文読む練習か?」
「お前が集会で作文読むとか無理だろ」
「いっつもしゃべれないし」
「この前の日直だってすげー下手だったし」
「全校生徒の前でとか無理無理!」
 そんなの自分が一番わかってる。僕だってやりたくない。代わってほしい。勇斗から反論の言葉は出てこない。
「おい、なんとか言えよ」
「あっ」
 勇斗はランドセルを奪われ、中身を地面にぶちまけられた。
「俺が発表してやろうか。ついでにこのノートも読んでやるよ」
「や、やめて」
 男子たちが再び勇斗のノートを奪う。表紙に教科の名前もない、何の変哲もないノート。しかしその中身は勇斗にとって一番大切なものだった。勇斗は必死で男子たちからノートを取り返そうとするが、反対に突き飛ばされて地面に転んでしまった。そのときだった。
「やあやあ少年たち、ごきげんよう」
 その場に似あわない明朗な声が響いた。全員が視線を向けると、若い男がベンチから立ちあがるところだった。清潔感のある白いシャツに品のある光沢を放つ黒のスーツ。顔はそこそこ整っているのにどこか笑顔が胡散臭い。通販番組に出てきそうな人だな、と勇斗は思った。
「誰だおっさん」
「おっさん! なんと嘆かわしい。私はまだお兄さんと呼ばれていいはずだ」
「なにこいつ、不審者?」
「訂正したまえ。私は怪しい者じゃない。私は魔法使いさ」
「は?」
「めっちゃ怪しいじゃん」
「い、行こうぜ」
「おやおや、もう行ってしまうのかい。仕方ない、人生に別れは付きものだ。またどこかで会おう、少年たち」
 男子たちはびくびくしながら逃げていった。それを男は元気よく手を振って見送った。勇斗は慌てて立ち上がり、目の前の男が自分にとって危険人物なのかどうか考えていた。そんな勇斗には気付きもせず、男は地面にぶちまけられた勇斗の持ち物を拾っていた。
「これは」
「あ」
 男は男子たちが投げ捨てていったノートを拾うと、じっくり読み始めた。
「か、かえ」
 返して、という勇斗の言葉を男は手で制した。無言で熟読する男がますます怖くなったが、ノートを捨てるのも嫌だった。勇斗はびくびくしながらその場でじっとしていた。しばらくして中身をすべて読み終えてしまった男は、ノートを閉じると子供のように無邪気な笑顔を勇斗に向けて言った。
「すごいじゃないか。これは君が作ったのか?」
「え」
 ノートに書かれていたのは、物語だった。勇者が冒険を経て成長していく、ありふれた物語。勇斗はそれを勇者の視点から日記形式で書いていた。ときには挿絵も描いた。ノートの後ろのページには、登場人物の設定や物語の世界観、年表が細かく書かれている。
「これは全部一人で?」
「は、はい」
「すごいな。君、これは才能だよ。大事にしたまえ」
 男はノートについた汚れを払うと、それをうやうやしく勇斗に返した。
「あ......ありがとう」
 勇斗は嬉しかった。今まで誰も勇斗にそんなことを言ってくれなかった。物語を書くこと、それは勇斗にとって唯一で最大の喜びだった。けれど中身を読んだ両親はこんなことする暇があったら勉強しなさいと顔をしかめ、クラスメイトは勇斗が熱心に物語を書いている姿だけで気持ち悪いと笑って中身を読んだこともない。勇斗は嬉しくてたまらないのに、それを言葉にすることができなかった。代わりに涙が溢れた。知らない人の前で泣いてしまうなんて恥ずかしい。笑われるかもしれない、嫌な顔をされるかもしれない。そう思いつつ涙は止まらない。しかし勇斗の予想に反して、男はハンカチを差し出してきた。勇斗は驚きつつもハンカチを受け取り、涙を拭いた。
「書くことは好きかい」
「うん」
「では話すことは」
 勇斗は首を横に振った。家族が相手ならなんとか話せる。しかし学校のクラスメイトや先生、初対面の人だとまるで話せない。とにかく緊張してしまい、声が出ない。出たとしてもそれはとても小さく、つかえていたものがようやく出てきたような声だった。そんな勇斗をある者はからかい、ある者はため息を吐き、ある者は存在を無視した。
「そうか。実にもったいない。これだけの才能があるのに」
 もったいないと言われても勇斗にはどうしようもない。気付いたときにはこうだった。自分はしゃべるのが下手だとよくわかっている。だから作文コンテストで最優秀賞をもらえたことが嬉しかったのも一瞬だった。全校生徒の前で発表しなければならないとわかった瞬間からつらくて仕方なかった。それを聞いた人たちがどんな反応をするかわかりきっていたからだ。
「そうだ。君、私の弟子になりたまえ」
「へ?」
 そのとき勇斗は思い出した。目の前の男が自分を魔法使いと名乗る不審人物であったことに。勇斗は一気に体を強ばらせ、ランドセルにつけていた防犯ブザーの紐を抜こうとした。
「こらこら、ちょっと待て、そう警戒するな。私が魔法使いだと言ったから不審者だと思っているな? 嘘は言ってない」
 男はもったいぶるように咳払いすると、誇らしげに胸を張った。
「私はね、言葉の魔法使いなんだ。君もそれだけの作品が書けるのだからわかるだろう。言葉には魔法の力がある。そうは思わないか」
「言葉の、魔法」
 男の言うことが勇斗にはなんとなく理解できた。けれどやはり男は怪しさ満点だった。
「君が満足に話せるようになるまで私がレッスンしよう」
「お金、とられる?」
「とらないよ」
「じゃあ誘拐?」
「しない」
「じゃあ」
「法に触れるようなことはしない。人道的、倫理的でない行いはもちろん、私の名誉や社会的地位が危ぶまれるような振る舞いもしない。誓うよ。最近の子供はしっかりしているな」
 男は笑っていた。それを見ているうちにだんだん勇斗の警戒心が解けていった。どうしようもなく怪しいけど悪い人じゃない気がする、と思い始めていた。
「本当に」
 勇斗は必死で声を絞り出す。魔法使いはそれを黙って待った。
「本当にできるの。コンクールで賞とっちゃったから、来月作文を、全校生徒の前で読まなきゃいけなくて。本当に、できる?」
「できる。絶対に」
 自分を見つめる瞳は力強く、吸い込まれそうだった。その目を見て勇斗は決断した。
「わかった。やります」
「よろしい、決まりだ。君の名前は?」
「勇斗。勇ましいに北斗七星の斗」
「では勇斗、君は今日から魔法使いの弟子だ」
 二人はきつく手を握り合った。こうして勇斗は不思議な男と師弟の間柄となった。
「では今からもごもごしゃべるのはやめたまえ。もっとはっきり、声を腹から出して」
「えっ」
「私の弟子になるのだろう? だったら胸を張りたまえ。大丈夫、君は必ずやってのけるよ。私のことは師匠と呼ぶように」
「は、はい」
「もっと大きな声で」
「はい!」
「いい返事だ」
 魔法使いはにっこり笑った。勇斗は胸の高鳴りを感じていた。
 レッスンは翌日から始まった。基本的には勇斗の学校が終わり、日が暮れる少し前まで。魔法使いのレッスンというから勇斗は怪しいものを想像していた。不思議な薬を飲んだり杖を振ったりするかもしれないと思っていたが、その予想は大きく外れた。ある日は土手の上から大声で叫んだ。合唱クラブがやっているような早口言葉から映画の台詞まであらゆる言葉を叫んだ。別の日はわざわざ買ってくれたのか魔法使いがボールとミットを持ってきて、しりとりをしながら文字通り言葉のキャッチボールをした。それから宿題として寝る前の筋トレを言い渡された。魔法使い曰く、腹から声を出すために腹筋が必要だそうだ。レッスンの合間に二人はたくさん話をした。特に魔法使いは勇斗の話を聞きたがった。好きなこと、嫌いなこと、家族のこと、学校のこと。他人と話すのが苦手だった勇斗の言葉を、魔法使いが少しずつ引きだしていた。魔法使いは勇斗の声が小さいと注意をしたが、彼が言葉に詰まっても次の言葉が出てくるまで静かに待ってくれる。勇斗が書く物語、『勇者の冒険ノート』のことですっかり話しこんでしまったときなど、なかなかおしゃべり上手じゃないかと勇斗を褒めた。
「でも、師匠と話せるようになっただけで、他の人とはこんな風にできないよ」
「私と話せるなら他の人とも話せる。これまで君が他の人と話せなかったのは君の主張が彼らより弱かったからだ。でもこれからは、同じくらい自分のことを話せる」
「そうかな」
「そうだとも、自信を持ちたまえ」
 心をこめて読む練習文の材料としてこの『勇者の冒険ノート』が採用された。物語を読む度に魔法使いは勇斗の才能を称えた。しかし勇斗は魔法使いがお手本として朗読してみせたときの演技力に感動してそれどころではなかった。彼が朗読するとまず空気が変わる。彼の声しか聞こえなくなる。そして魔法使いがすっと目を細めた次の瞬間には、勇斗の頭の中にしかいなかった登場人物たちが飛び出してきたように目の前にいる。完璧な話し方や身振り手振りはいつまでも見ていたくなる。このレッスンは勇斗のお気に入りだった。
 魔法使いと出会って一週間、勇斗は少しずつ自分の口から言葉が滑り出てくるようになっているのを感じていた。すると生活にも変化が見られた。クラスメイトや担任の先生も勇斗の変化に気付いていた。授業中の返答も少しずつはきはきしたものになっていたからだ。特に国語の授業での朗読が以前とは比べものにならないほど上達してちょっとした話題になっていた。
「甲本くん、最近変わったわね。もちろんいい意味で」
「えへへ、そうかな」
「なにがあったの?」
「あー、それは内緒」
 勇斗は魔法使いについてわずかなことしか知らなかった。彼が魔法使いを名乗っていること、そして、そう名乗るだけの実力があること。あとはイケメンだけどちょっと変わっているということくらいのもの。魔法使いは勇斗のことをたくさん知りたがったが、魔法使いは勇斗に自身のことをあまり教えなかった。
「本番が楽しみになってくるな、勇斗」
「えぇ、なに言ってるの師匠。楽しくなんかないよ」
「いやいや、予言してもいい。今は修行が大変でもそのうち本番が楽しみになってくる。私だってそうだから」
「師匠は修行なんていらないんじゃないの?」
「私の修行に終わりはないよ。常に高みを目指さなければならないからね」
 そのときの魔法使いの真剣な顔に勇斗はどきりとした。
「それって大変じゃない?」
「大変だとも。しかし、それを選んだのは私だ。それに、存外悪くないものだよ。特に本番を終えての達成感は何物にも代えがたい」魔法はわからない。
けれど一緒に過ごすうちに魔法使いが親や教師、周りの大人とは違うと感じていた。話し方が大げさで熱が入ると手まで動き出す変わり者。しかしそれでいて話を聞くときはとても穏やかになる。レッスンで見せてくれる朗読は他の誰より上手で、彼が読み始めると勇斗は世界の中心が彼になったような気分にさせられた。師匠は何者なのか。どうすれば師匠のようになれるのか。どうして自分のためにここまでしてくれるのか。何度も気になったが、一生懸命自分を指導してくれる人にそんなことを聞くのは信頼していないようで嫌だった。だから勇斗は魔法使いを詮索しようとはしなかった。
 勇斗は全体集会で作文を発表するための練習を少しずつ始めた。
「選ばれるってわかってたら、こんなこと書かなかったのに」
「なにを言う、これはたくさんの人を見返すチャンスだよ」
 ある日は魔法使いのタブレット端末でいろんな人の演説を見た。中にはモノクロのものや英語のものもあった。内容は理解できないのに勇斗は不思議と聞き入ってしまった。そのことについて魔法使いに尋ねると、彼は演説のコツを勇斗に授けた。
「ポイントは強弱と間だ。淡々と同じトーン、同じペースで話をされるとつまらないだろう。だから声の大小、台詞のスピード、そして間。この三つで緩急をつけるんだ」
 魔法使いは勇斗に落語のCDを聞かせた。おかげで勇斗は演説のコツが少しずつ理解できた。そして原稿と向き合い、この言葉は力強く、ここは少し間を挟んで、などあれこれ二人で話し合いを重ねる。その結果、本番前日までには原稿なしでも発表できそうなほどになった。
「いよいよ明日だが、気分はどうだ?」
「ちょっと緊張してる。でも、大丈夫だって信じてるよ。師匠がたくさん魔法をかけてくれたからね」
「ふっふっふ、では最後にとっておきの魔法をかけてあげよう」
 魔法使いに促されて勇斗はその隣に腰かけた。
「昔の話だけどね、私も君と同じだった。無口で誰にも話を聞いてもらえないような子だった」
「本当に?」
「本当だとも。初めて君を見たときは昔の自分を見ているようだった」
 魔法使いは懐かしそうに勇斗を見ていた。時折魔法使いがこの目で自分を見ていることに勇斗は気付いていた。
「けれど私は運命的な出会いをした。それからの私は何者にもなれた。勇斗、君も同じだ。今の君には以前よりずっと果てしない可能性が広がっている。だから些細なことは気にするな。なにも考えず、これまでやってきたように読めばいい。そうすれば、あっという間に君の発表は終わっているだろう。私の魔法は以上だ」
 勇斗は魔法使いが自分のように話すのが苦手だったと聞いて信じられない気持ちだった。しかし、それはつまり自分も魔法使いのようになれる可能性があるということでもあった。そう思うと明日の発表が楽しみにも思えてくる。
「ありがとう師匠。すごくよく効く魔法だね」
「そうだろう。では本日のレッスンはここまで。またな、勇斗」
「うん、また明日!」
 勇斗と魔法使いは互いに手を振って別れた。
 翌朝。学校に着いた勇斗は自分の席で原稿と向き合う。そして体育館に移動する前、トイレに行くためにほんのわずかな時間だけ席を離れた。しかし勇斗が席に戻ると、机の上にあったはずの原稿が消えていた。机の中やランドセルの中を探しても見当たらない。
「体育館に移動しますよ。みんな並んでください」
 教室の生徒たちが廊下に出ていく。しかし肝心の勇斗が教室に残っているため出発できない。それに気付いた先生が勇斗に声をかけた。
「勇斗くん、どうしたの?」
 原稿がない、と言ったところでどうにもならないと勇斗にはわかっていた。先生に言っても原稿は返ってこない。それどころか全体集会での発表もなくなってしまう。勇斗は首を横に振った。
「大丈夫です」
 勇斗は少し緊張しながら全体集会が進んでいくのを聞いていた。するといつも勇斗にちょっかいを出してくる男子たちが声をかけてきた。
「今ならまだ間に合うぜ」
「倒れたふりでもしろよ」
 勇斗はそれですべてを悟った。そのうえで彼らの目を見て、きっぱりと答えた。
「大丈夫だよ」
「それでは作品を発表してもらいましょう。五年B組、甲本勇斗くん」
「はい!」
 教頭先生に名前を呼ばれ、大きな声で返事をする。一歩一歩踏みしめるように壇上に上がる。もうその足は以前のように震えていない。マイクの前に立って、勇斗は聴衆を見渡す。今までにないくらい大勢の人が勇斗を見ていた。おまけに原稿も手元にない。けれど勇斗は平気だった。むしろこの場にいない人のことを思っていた。
「それでは甲本くん、お願いします」
「五年B組、甲本勇斗。『僕の世界』。僕はあることが大好きです。それをやっている間、僕はなににでもなれます――」
 朝の集会に漂っていた気だるい空気がだんだんと張りつめていく。自分に向けられる視線が徐々に真剣なものに変わっていくのを、勇斗は感じていた。
「――だから、僕の世界は無限に広がっています」
 あっという間に発表は終わっているだろうという魔法使いの言葉は正しく、気付けば勇斗は拍手喝采を浴びていた。もう終わったんだと寂しささえ覚えた。教室へ戻るまでの道のり、勇斗はクラスメイトから質問攻めにあっていた。
「甲本くんがなに書いてるかずっと不思議だったの」
「お話書いてたんだね」
 勇斗は作文で、彼の大切な物語とそれを書く喜びについて発表した。その反響はすさまじく、彼は一躍クラスの人気者となった。
「なぁ甲本、俺読んでみたい!」
「僕も読みたい」
「ねぇ、甲本くんに読んでもらいたい。最近すっごく朗読上手だし」
「それ最高! じゃあ今日の昼休みは? 甲本いいかな?」
 それまで話したこともなかったクラスメイトたちから声をかけられ、勇斗はどぎまぎしそうになった。
そんなとき、師匠ならどうするだろうと思ったら勇斗の答えは一つだった。
「うん、喜んで」
 その日の昼休みは『勇者の冒険ノート』の朗読会が時間いっぱい行われた。消えた原稿は勇斗がトイレに行っている間にくしゃくしゃの状態で机の中に戻ってきていた。それを伸ばしてよく見ると、バラバラの筆跡で「ごめん」「かっこよかった」「すげーじゃん」と書き込まれていた。
 放課後、勇斗はクラスメイトに惜しまれながら「約束があるから」と言って魔法使いの元へ急いだ。喜び、興奮、感謝。魔法使いに伝えたいことがたくさんあった。
「師匠、聞いて! 大成功だったよ!」
 待ち合わせ場所の公園に駆け込む勇斗。しかしそこに魔法使いの姿はなかった。代わりに見知らぬ女の人がいた。
「甲本勇斗くん?」
「誰ですか」
「びっくりさせてごめんなさい。あなたの師匠の知り合いなの。これ、あなたの師匠から」
 女性は勇斗に封筒を手渡した。それは手紙だった。宛名は見覚えのある筆跡で勇斗の名前が書かれていた。女性に促され、勇斗は訝しげにその封をきった。
『小さな魔法使いくんへ。今までありがとう。君のおかげで本当にやりたいことがわかった。魔法をかけてくれた君のことは忘れない。追伸、君の作品を最後まで読めないことが残念だ』
 勇斗は驚きすぎて手紙を読み終えても頭で理解できずにいた。
「どういうこと? お別れなの? 僕、もっと師匠と話したい。まだありがとうも言ってないのに。こんなの嫌だよ、ねぇ、師匠に会わせて!」
勇斗がなにを言っても女性はただただ申し訳なさそうに口をつぐんでいた。泣いても喚いてもどうにもならないことを悟り、勇斗は手紙を胸に抱いて家に帰るほかなかった。翌朝は学校に行く気も失せてしまっていたが、休むと自身に起きた奇跡が嘘になってしまいそうで、勇斗はなんとか学校に行った。それから一年が経っても勇斗は相変わらずクラスの人気者だった。時々師匠のことを思い出し、あれは夢だったのかなと思ってはその度に否定していた。
 ある朝。起きたばかりの気だるい体でリビングに行くと、母がテレビを見ながら勇斗の朝ご飯を用意していた。
『今大注目、若きハリウッド俳優を特集します!』
「この人最近有名になったわねぇ」
『純粋な日本人でありながら幼い頃からアメリカで育ち、アメリカで才能が開花。その実力は映画の都ハリウッドでも認められ、二十五歳という若さで世界中の映画ファンにその名を知られています。一時スランプに陥るも再び銀幕に戻ってきた彼は、演技の幅をさらに広げてあちこちの作品に引っ張りだこ!』
『今回の映画見ましたけど、魔法使いというあのいい意味で変人みたいな役柄を演じきれたのは?』
『ある少年と出会ったおかげです。彼のおかげで自分の原点を思い出せたから、僕はあの魔法使いを心から楽しんで演じられた。彼がいなかったら僕はスランプのまま俳優人生を終えていました』
 勇斗の足がテレビの前で止まった。テレビに映っていたのは勇斗の「魔法使い」だった。
 
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