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日本語日本文学科

2018.02.23

授業紹介|古典文学入門(その2)

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日本語日本文学科

授業紹介

授業紹介|古典文学入門(その2)

日本語日本文学科では、その名の通り日本文学も日本語学も、また書道も国語科教育も学べます。
ただ、そういう所に進学してきた学生の全員が、もとからこの分野に自信を持って来ているわけではありません。特に「古典」という分野は、興味を持つ人も多い一方で、ハードルの高さを感じることも多いのではないでしょうか。
本学科には、そういう学生にこそ受けて貰いたい「古典文学入門」という授業があります。
どのような授業なのか、2017年度の講義内容(担当、木下華子准教授)をもとに、2回にわたってご紹介したいと思います。

「授業紹介|古典文学入門(その1)」はこちらをごらん下さい。
 
「第15回 漢文を読む4 日本の漢詩(森鴎外・夏目漱石)」「漢文」と聞いて思い浮かべるのは、普通は孔子とか李白とかですかね。
もちろんそうした漢文の古典もこの授業では扱います。「漢文を読む」の1は『白氏文集』、2は日本の漢詩(菅原道真)と、彼我の漢籍に目配りのされた授業構成です。
しかし「4 森鴎外・夏目漱石」って、興味深くないですか?
3回目の取材はこの回にしました。
日本が西洋の学問や技術を必死に取り入れて近代化を果たした明治時代ですが、少し意外なことに、新しいものを取り入れていった知識人が、漢詩を詠んでいるそうです。
例えば、新聞社(朝野新聞)を創立した成島柳北(なるしま・りゅうほく)という人が、アメリカ大陸を横断した際に作った「那耶哥羅観瀑詩」という漢詩。
「那耶哥羅(なやがら)」、つまりナイヤガラの滝を見て、「この滝に比べれば、あの廬山の滝も小さな流れに過ぎない」と感嘆していることを紹介して、木下准教授は「古典的教養」の役割を説明しました。
「廬山をもとにしてナイヤガラを捉え、『世界はもっと大きいのだ』と理解する。明治の知識人たち
は古い教養を基礎とすることで、初めて出会った物事や出来事を速やかに吸収できたのです。」
実際、森鴎外はドイツに留学する際の船上で飲んだコーヒーについて、夏目漱石は一時危篤に陥ったいわゆる「修善寺の大患」を、それぞれ漢詩に詠んでいるそうです。
鴎外の、給仕係に起床を促されて「薦め来たる骨喜(コーヒー) 一杯の香」と結ぶ漢詩は、船中ののどかな時間がよく伝わります。
漱石の「なんぞ知らん 門外に一天開くを」(彼らは知るまい、門の外には新しい天地が開けていることを)の一句は、この後に『こころ』を含む「後期三部作」が著されたことを考えると、趣深いものがあります。
そしてこの授業のよいところは、漢詩の構成のルールを一から教えてくれるので、こうした漢詩も自分たちで読めるようになるところです。

鴎外と漱石の漢詩。読めるようになります。

鴎外と漱石の漢詩。読めるようになります。

この回は、15週にわたる「古典文学入門」の総まとめです。
木下准教授の締めは、次のようなものでした。
「古典はビン詰めの中にあって外から孤立しているものではありません。
古典を経由して新しいものを理解する、そういうものです。
私たちは、自分たちのものやシステムを外国のものと比較する『空間上の相対化』はよく行うけれど
も、さらに古典を読めば、『時間上の相対化』という機会も持つことができます。
それによって未来に手を伸ばすこともできる。古典は常に"現在性"を持っているのですよ。」

「空間上の相対化」と「時間上の相対化」の交差するところに、「今」があります。

「空間上の相対化」と「時間上の相対化」の交差するところに、「今」があります。

初回の授業でも木下准教授が言っていた通り、「それを読まないなんてもったいない」。
「古典は苦手だな」とか「とっつきにくい」と思っている学生にこそ、ぜひ受けてほしい授業です。
 
「古典文学入門」を受講して 受講生N・Aさん(岡山県立東商業高等学校卒業)のインタビュー
というわけで、取材していて私は面白く授業を聞いたのですが、当の学生たちはどうなのでしょう。
受講生の一人、1年次生のN・Aさんにインタビューしました。お読みください。
* * *
入学前から古典はもともと好きでした。高校の国語の授業で、『竹取物語』を先生の後について音読したり、みんなで分担して現代語訳をしたりして、楽しかったです。ただ、商業高校だったので、普通科より古典の時間が少なかったのが、どうしても不安でした。
私は国語科と書道科の教員免許取得を目指しているので、古典は避けられません。
そう思っていたところ、木下先生に「こういう授業があるよ」と薦めてもらいました。
受けてよかったです。
分かりやすく一つ一つ丁寧に解説してくれました。
例えば古典の複雑な敬語の使い方ってよく分からなかったんですが、現代語で説明してくれたりして、納得できました。
何でも基本的なところから始めれば分かるんだなと思いました。
この授業を受けて、前よりも古典がリアルに感じられるようにもなりました。
『源氏物語』は前から読んでみたいなと思ってはいましたけど、「でも分からないだろうな」とも思ってたんです。
今は「読めるんじゃないかな」と思っています。
簡単ではないだろうけど、面白さに気づける気がします。
古典を読むことは、将来に直接は関係ないかもしれないけれど、無駄ではないと思います。
知らないでこれからを過ごすより、得られるものがあるんじゃないかなと思うんです。
それが何かは具体的にまだ分からないんですけど、卒業する頃には分かるといいなと思います。
* * *

N・Aさんには、色々なものが伝わった授業だったようです。
彼女が大学を巣立つときに、また話を聞いてみたいと思います。
  
文:日本語日本文学科広報小委員会・星野佳之

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