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英語英文学科

2016.06.30

「国際人」としてこの世に残せること│木津 弥佳

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英語英文学科

エッセイ

イギリスがEU離脱を決める数週間前、ロンドン大学SOAS(東洋アフリカ研究学院)で行われた創立100周年記念シンポジウムに参加してきました。SOASは、1916年に設立され、現在では英国におけるアジア・アフリカ・中東の地域研究に特化した大学として知られています。実は、SOASは一昨年まで私自身が約10年間教鞭を執っていた大学で、この旅はちょっとした里帰りという気分でしたが、その滞在中、過去イギリスに在住していた二人の日本人女性に想いを馳せる機会がありましたので、今回はこの二人についてお話ししたいと思います。

一人目は、第二次世界大戦前に駐日英国大使館付次官だったフランク・ダニエルズという英国人の妻おとめです。おとめは大戦中にSOASで日本語を教えていた日本人教員の一人ですが、現在の外国語教育が平和な世界を築くための異文化間理解という目標を掲げているのとは異なり、戦時下の対日軍事情報員を養成するための語学教育を行っていたのです。日本語教育に暗い時代があったことは知ってはいましたが、同じ大学の歴史の線上に、おとめと私自身が並んでいることを意識することはありませんでした。当時、いわば自国に不利になるようなことを教えなければならなかったおとめは、どのような思いで教壇に立っていたのでしょうか。

二人目は、私が日本に帰国する少し前に、若くして亡くなった日本人の友人のことです。彼女はフリーランスでときどき翻訳の仕事をする傍ら、子どもの通う現地の小学校のお母さん方と一緒に、PTAの仕事をしたり私設カフェを開いたりして、イギリスの文化に誰よりも溶け込んでいるようでした。また、東日本大震災の直後には、小学校で日本食を提供するディナーパーティーを開催して寄付を募ったりもしました。おそらく、彼女のおかげで日本と日本人を知り、理解するようになった人は少なくないでしょう。私も大学で教えていましたが、それはもともと日本に興味を持っている学生が対象であって、日本に関心がなかった英国人にも影響を与えるようなものではありませんでした。

日本では、「国際人」の育成が盛んに推奨されています。でも「国際人」というのは何も華々しく活躍している人とは限らないと思うのです。おとめは、確かに「国際的な」仕事をした人ですが、その仕事は誰かの目に触れるものではありませんでした。また私の友人も、おそらくは日本で言われているグローバルな人というイメージからはかけ離れているかもしれません。けれども、おとめの教え子たちの何人かは、その後親日家に転じて日本とイギリスの架け橋となる業績を数多く残していますし、私の友人と関わったイギリス人とその子どもたちは、きっと日本に対して肯定的な感情を持ち続けることでしょう。この二人の女性が残してくれたものを考えると、私たちの知りえない、表舞台ではないところでの国際貢献も、確かにこの世界を形作っているのだと感じます。

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