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英語英文学科

2017.03.14

キャンベラのつれづれ話│中村善雄准教授

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英語英文学科

エッセイ

もう20年前ほどになるだろうか、キャンベラにあるオーストラリア国立大学で1年ほど過ごした。シドニーとメルボルンの2大都市がわが方こそ首都とお互い譲らず、妥協策として両都市間の中間の放牧地帯に作られたのがキャンベラである。これは有名なエピソードであるが、キャンベラを首都に選定したもう一つの理由は、海岸部では外敵からの侵入を受けやすいということである。自己防衛の意識は、キャンベラの都市設計にも見られ、国会等の首都機能を有する施設に至るには、間に横たわるバーリー・グリフィン湖に架かる2本の橋を渡るしかないように設計されている(地図参照)。

キャンベラの地図

キャンベラの地図

この懸念はあながち杞憂でもなかった。オーストラリアの歴史の中で本土が攻撃されたのは2度あるが、それは日本軍による1942年2月のティモール海沿いの都市ダーウィンへの空爆と、同年5月の潜航艇によるシドニー湾攻撃であった。キャンベラにはその歴史を伝えるために戦争記念館があり、今では観光スポットの1つとなっている。

こうした日本との暗い因縁もあるが、キャンベラ自体は大自然のなかに首都機能が移転されたので、「森の中の首都」(ブッシュ・キャピタル)とも言われている。実際そこで暮らしてみると、自然の中の都市であることが実感できる。「野生動物注意」の道路標識がそこかしこに見られ、大学寮の裏山には野生のカンガルーがピョンピョンと跳ねている光景を日常的に目にしたものである。予想以上に大きなカンガルーと出くわした時には、進退窮まって手に汗握ったものである。加えて、キャンベラはアメリカの建築家ウォーター・バリー・グリフィンの都市デザイン案によって建設された典型的な計画都市であるため、自然と議事堂や省庁といった建物が程よく調和し、道路網は整然と整備され、非常にクリーンで美しい都市である。

「森の中の首都」という異名と共に、アボリジニの言葉で「キャンベラ」は「出会いの場」を意味し、人口30万強と小規模の首都ながらも、外国人が多く集う場でもあった。学生寮にも特にアジア諸国からの留学生が多く住んでいた。大学では比較文化を主に専攻していたが、寮にて彼らとその実践編という体験を色々したことは良き思い出である。仲の良かったネパール出身の学生がもてなしてくれたカレーを彼の流儀に倣って、スプーンを使わず右手だけを使って食べることが至難の業であることを知り、学生時代に部活動していた関係で少々腕に覚えのあった卓球は、大して上手くないという中国人学生との試合によって、その自信も木っ端みじんに吹き飛ばされた。共用の冷蔵庫に入れていた卵のパックは夜の料理時には姿を消しており、その傍らの、チェーンで巻かれた食材を目にして、食料防衛の必要性を痛感した次第である。短い期間ではあったが、こうして振り返ると、大学以外でも多くの異文化の学びがあった。

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