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英語英文学科

2017.07.14

母の想い出│坂口真理教授

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英語英文学科

エッセイ

 本学児童学科の村中李衣先生の『哀しみを得る看取りの生き方レッスン』を読ませていただいた。ご家族一丸となって、和気あいあいと介護にあたる姿に感動した。李衣さんのだんな様が葬儀の後で大泣きされた場面が印象的だった。

 私も1年前に母を亡くした。その葬儀の時に涙をぽろぽろ流したのは、5年間介護に協力を惜しまなかったアメリカ国籍の夫だった。母も李衣さんのお母様と同様、くも膜下出血で倒れた。私の週末遠距離介護の体験は、退職後いつか書いてみたいと思っている。

 母の場合、幸い倒れた後も意識や言語機能をとりとめた。亡くなる一週間前まで、話しができた。私たちは、興味深い話を沢山した。本や手紙の読み聞かせも沢山した。(母は倒れる前から腰を痛めて車椅子だった。)リハビリで、手足の機能も嚥下機能も回復したが、母は認知症になった。

 社会には、認知症に対する偏見がまだ沢山ある。認知症になると、性格が変わってしまうといわれている。母の性格は変わらなかった。ユーモアがあって、優しく人を思いやり、自由を重んずる人でもある。そういうところは、少しも変わらなかった。性格が変わって、暴れる認知症患者がいるのは、大方周囲の人が理解してあげないからだと私は考えている。

 母は、かつて父と外国で暮らしたこともあって、体調が良いと、"I know." "Quite right." などの英語が飛び出すと施設の職員さんが言っていた。施設の主任さんがカウンターで介護師さん達と話していると、母は「あなた、ここで油売っていて、いいの?」とたしなめた。お茶大出で、昔女学校の数学教師をしていた口調が出ていた。面白いことをいうので、施設でも人気があった。認知症になってからも、漢字も読めるし、百人一首や俳句の上の句をいうと、下の句がすらすら言えた。

 しかし、自由人であり、独立心がありすぎるため、困ったことも沢山あった。ある別の施設にいたとき、自分の部屋のある4階から(車椅子を操って)勝手にエレベーターに乗り、4階の職員さんたちが気づいたら、2階の事務局のカウンターで事務の人たちと話しているという具合だった。そんなわけで、その施設では、母は要注意のブラックリストに載った。(その施設は交通量の激しい通りに面していたので、入居者の出入りには細心の注意を払っていた。)

 認知症の人たちは、私たちとは世界の見方が異なる。そして、彼らは自分たちの日ごろの願望をこめて、世界を見ているように思われる。ある時、夫と私は、施設に母を訪ねたとき、母に別の入所者を「さぶちゃん」だと紹介された。「さぶちゃん」は母のすぐ上の兄の名で、母の兄はもう何年も前に癌で亡くなっている。母は、当時大阪で父の看病をしていたため、神奈川の姉の下で療養していた「さぶちゃん」の世話を充分できなかったことをいつも悔やんでいた。夫と私は、母の言うことを否定せず、その入所者に「さぶちゃん」として挨拶した。その人は、何のことかわからなかっただろう。

 ある段階まで来たら、認知症の人の考え方を否定も訂正もできない、優しく受けとめることしかできないということを私は学んだ。私たちには、途方もないと感じられる彼らの言動にも何か理由があるのである。

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