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英語英文学科

2017.09.18

カナダ・トロント講演を終えて ―ユダヤ人と日本人の歴史―│広瀬佳司

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英語英文学科

学科ダイアリー

カナダ・トロント講演を終えて
――ユダヤ人と日本人の歴史――

 
ノートルダム清心女子大学 広瀬佳司

 私は、2017年8月にトロント・ユダヤ協会イディッシュ語部門委員会(UJA Federation's Committee for Yiddish)主催の講演会での特別講演講師として招待された。
 今回は、「知られざる日本人救助者――小辻節三」というタイトルで、杉原ビザをいかに小辻がリレーして4600名ものユダヤ難民の神戸での生活費を援助し、彼らの日本滞在期間を最初の10日から数か月にまで延長したのかを説明した。色々と日本の政治的な状況とも深く関わる問題だ。小辻がいかにユダヤ教にたどり着くのか、そして、なぜ京都の加茂神社の代々神官家系の出である小辻が、60歳を過ぎてユダヤ教に改宗したのかを、彼の聖書ヘブライ語への情熱も関係づけて話した。

トロントのリパ・グリーン・センターでの講演(2017年8月17日)

トロントのリパ・グリーン・センターでの講演(2017年8月17日)

 小辻自身が自著で語るように、13歳の時に、初めて日本語翻訳の旧約聖書を手にして深い感銘を受ける。そして、そのユダヤ教の聖書の中に、『古事記』や『日本書紀』に描かれた神秘的な神々の世界との類似性を直感的に感じ取ったようだ。そんな経験が後に小辻をキリスト教、そしてユダヤ教へ導くことになる。

 小辻をユダヤ人救済に向かわせた動機の背景には、聖書研究があった。聖書ヘブライ語を学ぶことで次第にユダヤ文化への理解と興味が深まる。そうした学問的な情熱がアメリカ留学へと彼を駆り立てた。ただ、これだけであればユダヤ人救済に多大な貢献をした小辻節三は生まれなかった。彼の人生の大きな転機が後の外務大臣、松岡洋右との出会いである。1938年、当時満鉄総裁だった松岡はヘブライ語学者の小辻を説得し、満州におけるユダヤ人問題顧問として招聘した。二人は2年間に渡り、ともに満州で働くことで親交を深めた。1940年に神戸に難民として渡って来たユダヤ人救済に小辻が大きく貢献できたのも当時外相であった松岡との親交が大きく関わっている。

 神戸のユダヤ人協会からユダヤ人救助を依頼された小辻は、真っ先に外務大臣であった松岡の許へ走り、ビザを延長するための裏技を伝授された。背後には外務大臣がついているわけであるから小辻は随分心強かったに違いない。戦後、連合軍によって戦争犯罪容疑者に指名されたまま病死した松岡の名誉が、最近少しずつ歴史研究家たちによって回復しつつある。小辻はすでに、1964年に著した『東京からエルサレムへ』(From Tokyo to Jerusalem)で松岡洋右が最後の最後まで日米開戦を避ける努力をしたことや、ユダヤ人救済に陰で尽力したことを記している。

 予定通り1時間ほどで講演を終えて質疑応答の時間に入り、聴衆の多くの方が手をあげてくれたので、できるだけ多くの方を指名した。一番前の座席で聴いてくれた中年の女性が、立ち上がり満面に笑みを浮かべ「素晴らしい講演でした」と感激を伝え、私の右手を両手でしっかり握ってくれた。心が震える瞬間である。

 次に、自身がホロコースト生存者である高齢の女性が、ご自分の経験や杉原幸子さんが当地を訪れた時にお会いした思い出などを少し長めに話された。これは直接的な質問ではないので司会のフェルゼン氏は切ろうとするが、聴衆がそれを止めた。貴重な戦争体験であるからであろう。

 次に50代くらいの男性からの質問であった。父親が小辻に直接手紙を書くと立派な現代ヘブライ語で書かれた小辻の手紙が送られてきたという。「広瀬教授の話ですと、小辻氏は聖書ヘブライ語しかできなかったはずであるが、なぜ現代ヘブライ語の手紙が可能であったのでしょうか?」という質問であった。これは講演の中で1940年代の小辻は現代ヘブライ語を操ることは出来なかった、という趣旨の私の説明を踏まえた質問である。1959年にユダヤ教に改宗する前に小辻はイスラエルへ渡り現代ヘブライ語を懸命に学んだ結果なのである。その答えに、男性も納得してくれた。

 別の男性が「私は正統派のユダヤ人なので申し上げますが、聖書は 虚構のお話("story")ではなく事実に基づく話("narrative")なのです」とにこやかにコメントをしてくれた。私の立場をよく理解しての発言である。何気ない言葉も、宗教的な立場が異なると誤解されるので細心の注意が必要であるということを再認識した。

 他にも多くの興味深い質問が相次いだが、9時をまわる頃、フェルゼン氏が「まだまだたくさん質問はあるでしょうが、会場が締まる時間も近づきましたのでこの辺にしたいと思います」、と述べた。私は、雨にも拘わらす遠路はるばる足を運んでくれた多くの聴衆に深々と頭を下げて心から感謝の意を表した。すると、誰一人帰ろうとせず長い間拍手を送ってくれた。私は言葉では表すことが出来ない深い感動に包まれた。1939年12月23日に満州で開催された第三回極東ユダヤ人会議に小辻が満鉄の代表としてヘブライ語で短いスピーチを行った。「すると会場のユダヤ人は驚き、大喝采であった。日本人ヘブライ語学者がユダヤ人の言葉で彼らに話しかけることができたことは、極東のみならず、エルサレムでも新聞で報じられた」(Kotsuji 149-50)と『東京からエルサレムへ』の中でその日の感激を誇らしげに記している。私の心に、当時の小辻の興奮が鮮やかによみがえり、無意識のうちに自分自身を彼に重ねていた。

 ラビ・ピンハス・ヒルシプルグの回想録『涙の谷』で「なぜそこまでユダヤ教を愛しているにも拘わらずユダヤ教に改宗しないのですか?」と尋ねられた戦時中の小辻が次のように答えたと記されている。実際、小辻がユダヤ教に改宗する15年前のことだ。彼がいかに深くユダヤ人を愛していたかが理解できる一言である。


「私が公的にユダヤ人になるよりも、真の日本人としてのほうがより多くユダヤ人に貢献できますからね」(Hirschprung 261)


 小辻節三の人生行路を検証してきて学んだことは、昨今世界各地で起きている異宗教間・異民族間の闘争解決への糸口である。異文化への理解が深まらなければ決して異民族への偏見は消えることはない。理解を深めるにはそれ相当の努力がいる。平和で経済的にも満たされている時は、異民族に対し感情的に優しくできるかもしれないが、そうした状況が失われた時にはなかなかそうはいかない。イエール大学のシュナイダー教授 (Prof. Timothy Snyder) が2015年出版した『ブラックアース―― ホロコーストの歴史と警告』(Black Earth: the Holocaust as History and Warning)の中で述べている一言は正に世界の人々が心に刻むべき一言であろう。

 多くの人々は、誰にも道徳的な本能や善性が備わっていると思いがちである。そのために、将来の災害にあっても救護者になれると想像している。だが、国家が失われ、自分の住む地域の施設が破壊され、経済的に追い込まれたときに、他人のために立派にふるまえる人はほんのわずかしかいないだろう。(Snyder 320)

杉原や小辻が置かれた戦時中は正にそうした破壊・貧困・生と死の時代であった。であったからこそ二人ともに「諸国民の中の正義の人」賞にふさわしいのだろう。


引用参考文献
Hirschprung, Pinchas. The Vale of Tears. (Fun Natsishen Yomertol: Zikhroynes fun a Polit, 1944). Translated by Vivian Felsen. Canada: The Azrieli Foundation, 2016.

Kotsuji, Abraham. The Origin and Evolution of the Semitic Alphabets. Tokyo: Kyo Bun Kwan, 1937.

---------. From Tokyo to Jerusalem. Bernard Geis Associates. New York, 1964.

Levine, Hillel. In Search of Sugihara. New York: Free Press, 1996.

Snyder, Timothy. Black Earth--the Holocaust as and Waring. New York: Tim Duggan Books, 2015.

Warhaftig, Zorach. Refugee and Survivor--Rescue Attempts during the Holocaust. Jerusalem: Yad Vashem and OT VAED, 1984.

Yamada, Jundai. The Man Who Anchored the Transit Visa Lifeline: Setsuzo Kotsuji's Aid to Jewish Refugees. Tokyo: NHK Press, 2013.

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