2017.03.22
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
(ルカによる福音書10章41節)
イエスを迎え入れた家で給仕に忙しく立ち働くマルタは、妹のマリアが手伝いもせずにイエスの足下に座って話に聞き入っていることに苛立ち、手伝うように言って下さい、と訴えます。するとイエスは、まあまあ落ち着いて、といったふうにマルタを諭しました。
何だかマルタに同情したくなりますが、イエスはマリアを贔屓しているわけでも、マルタに冷たく当たっているわけでもないと思います。むしろイエスはマルタを信頼していたからこそ、そう言ったのではないでしょうか。マルタ、マルタ、と二度呼びかけているのは、イエスの共感と愛情の現れなのです。ヨハネ書(11 章)には、この姉妹の兄弟ラザロをイエスがよみがえらせる場面がありますが、そこでも泣き崩れるマリアに対して、毅然としてイエスを迎え、支えるマルタの姿が印象に残ります。
思い悩み、苦しみに心乱されることは、人間が人間であるかぎり、逃れることのできないものでしょう。イエス自身もそのことを本当によく分かっていたはずです。しかし、その中でこそ人はそれぞれに与えられた「使命」に気づくことができるのだと、イエスは言いたいのではないでしょうか。マリアはその弱さを通じて与えられる祈りと聴従に、マルタはその気丈な健やかさに委ねられるケアの働きへと、それぞれに招かれているのです。
マルタも良い方を選んだのだよ、それでいい。イエスはきっとそう続けたに違いないと、私は思います。
人間生活学科准教授 﨑川 修