マタイによる福音(マタイ5・9)
「イエスは、この群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。...『平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる』...」
『平和を願う祈り』
神よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛を
いさかいのあるところに、ゆるしを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、喜びを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように。
神よ、わたしに、慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも、理解することを
愛されるよりも、愛することを望ませてください。
自分を捨てて初めて自分を見いだし、
ゆるしてこそゆるされ、
死ぬことによってのみ、永遠のいのちによみがえることを深く悟らせてください。
今日一緒にお祈りをした、「平和を願う祈り」は、1913年に作られたと言われています。1914年は第一次世界大戦が勃発しました。戦争の雰囲気の漂う中で、わたしたちが先ほど祈った祈りが作られました。1916年、教皇庁(バチカン)はこの祈りを公認して、全世界で祈るように定めました。困難な状況、たとえば、1945年、国際連合が結成されたとき、サンフランシスコの会議でこの祈りを唱えられたと伝えられています。また、国連事務総長ワルトハイムは、この祈りを1981年、大切なものとしてご自分の演説書簡に使いました。さらに、1997年には、マザー・テレサがノーベル平和賞を受けたとき、授賞式でこの祈りを唱えました。このように、平和を希求する多くの人たちによってこの祈りは祈り続けられています。特に戦争の雰囲気が漂うときに全世界でこの祈りは唱えられていきます。
また、ローマ教皇ヨハネ23世は、1963年、東京オリンピックの前年、色々な国が独立していく時代、回勅『地上の平和』を出されました。その中で、平和を実現するためには、四つのことが必要だと述べています。ひとつは「真理」、これはお互いに誠実で、実直であること。「正義」、他人の権利を尊重し、おかさないこと。「愛」、お互いの幸せを望み、自分の幸せを惜しみなく他人に分け与えること。「自由」、誰も他人を抑圧してはならないこと、そして誰も抑圧から身を守るために暴力を用いてはならないこと。
キューバ危機、ケネディアメリカ大統領暗殺、ベトナムでも動乱が続き、日本では東京オリンピックを控え、高度経済成長のもとに開発が優先される、そのような時代にこの四つの真理、正義、愛、自由の大切さを教皇ヨハネ23世は全世界に向けて発表されたのです。
同じように、1981年、教皇ヨハネ・パウロ2世は、広島を訪れ、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を負うことです。広島を考えることは、平和に対しての責任を担うことです」と平和メッセージを全世界に向けて発表されました。この時代は、モスクワオリンピックを、旧ソ連によるアフガニスタン侵攻に対抗して西側諸国がボイコット。アメリカはイランと国交断絶、ポーランドでは労働者のストライキが拡大し、自由管理労働組合連帯の結成など、東西冷戦の危機にある時代でした。
このように世界が危機にあるとき、わたしたちは、ほんの小さい力かもしれませんが、祈ることを行ってきました。祈りが人々の心を動かして、世界に平和をもたらすと思うからです。「平和の祈り」にあるように私たち一人ひとりが平和の道具となることができるように、今日ともに祈りたいと思います。
原田学長のお話 -2017/07/05 キ文研デー「思いを一つにして歩む」
原田神父の聖書朗読とお話より