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現代社会学科

2018.09.21

現社で歴史に出会うとき:学科の紹介【42】

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現代社会学科

現社で歴史に出会うとき

西尾和美教授

 列島各地で地震、豪雨、猛暑、台風などの被害が相次いだ今年の夏から秋。思いもかけず失われた多くの人びとの命。生活再建への厳しい道のり。人びとの負った痛手はどれほど深いだろう。当面の被害を免れた地域でも、いつどんな災害に見舞われるかと不安を抱く。

 大学では、例年通り後期授業が始まったが、今年はその貴重さを思わざるを得ない。そこで、今回のブログでは、授業の話をしてみようと思う。

 歴史も学べる現代社会学科には、「史料講読」という科目がⅠからⅣまである。日本中世史専門の私が担当している「史料講読Ⅰ」では、かつて岡山県の北西部にあった新見にいみの荘しょうという荘園の史料を読んでいる。高校までの日本史では、京都や奈良、鎌倉、江戸・東京以外の歴史に触れることは少ないが、新見荘は、京都の東寺とうじ領となって「東寺とうじ百合ひゃくごう文書もんじょ」(2015年10月、ユネスコ世界記憶遺産に登録)などに膨大な史料が残る、中世有数の荘園である。

写真1. 新見荘を知る。              右から、近藤義郎・吉田晶編『図説 岡山県の歴史』河出書房新社、1990年。                             岡山県史編集委員会『岡山県史』中世Ⅱ、1991年。                             藤井学ほか『岡山県の歴史』山川出版社、2000年。

写真1. 新見荘を知る。              右から、近藤義郎・吉田晶編『図説 岡山県の歴史』河出書房新社、1990年。            岡山県史編集委員会『岡山県史』中世Ⅱ、1991年。             藤井学ほか『岡山県の歴史』山川出版社、2000年。

授業で読んでいる史料は活字だが、日本史ながら漢文で、平仮名があっても旧仮名遣いで濁点もない。今どき珍しい通年4単位の科目である。果たして1年間やっていけるのか、4、5月の学生のリアクションペーパーは不安の声が占める。「あーら、大丈夫よ!」と励まされても表情は固い。それが6、7月頃だろうか。「難しい、難しい」に、控えめながらも「楽しい!」という声が混じり始める。今年も、読み方や意味を学生同士で相談し合って、あたっては盛り上がり、はずれても盛り上がり、ときに超少人数クラスとは思えないにぎやかさを見せる。

 それは、なぜだろう。高校までは、教科書に書いてある、暗記すべき単語がちりばめられた1つの決まったストーリーが歴史であった。しかし、自ら史料と格闘して知る歴史はちがう。名前も存在すらも知らなかった人間とその営みに、自分たちの力で近づき、それぞれの感性で何かを思う。

 新見荘の農民たちは、過酷な代官を追い出し、荘園領主である東寺が直接に支配してくれるよう、使者を上京させて粘り強く交渉する。

やがて祐ゆう清せいという東寺の僧侶が現地支配のために京都から下ってくるが、農民たちは一筋縄ではいかず、異常気象で作物が大きな被害を受けた年には、近隣の村の情報も収集して一歩も引かずに年貢減免を要求する(写真3・4)。

写真3.寛かん正しょう3年(1462)12月13日新見庄代官祐ゆう清せい注進状ちゅうしんじょう(え函33。部分)                                           農民たちの強い年貢減免要求を領主の東寺に注進し、対応を相談している(一条目)。

写真3.寛かん正しょう3年(1462)12月13日新見庄代官祐ゆう清せい注進状ちゅうしんじょう(え函33。部分) 農民たちの強い年貢減免要求を領主の東寺に注進し、対応を相談している(一条目)。

現代の状況とも重なりつつ、学生たちは気づくのかもしれない。自分たちが困難や違和感と格闘しつつ読んでいる史料の向うにいるのは、時代は違っても、頑張って生きようとする、ときにはかけ引きもする、今の自分たちと変わらない人間だった。

 史料がもたらす気づきは大きい。それは、間接的で迂遠だが、史料の向うにいた命たちと現代の私たちの命が出会うゆえに生み出される力だ。学生たちよりはるかに長い年月、史料とも現代の現実ともささやかながら格闘してきて、私はそう感じている。

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