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日本語日本文学科

2018.05.01

波兎│佐野 榮輝教授│日文エッセイ175

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日本語日本文学科

日文エッセイ

佐野 榮輝 (書道担当)
書の実技・理論を通して多様な文字表現を追求しています。

 

波兎文様
 私の机上に横幅3寸(9㎝)ほどのガラス製の紙鎮【写真Ⅰ】がある。何時だったか東京国立博物館のミュージアムショップで購ったもの。身体よりも耳の長い兎が三羽波の上を奔走している。解説書に、波兎蒔絵文様、英文でRabbit and Waveと題して、

 この文様は波兎蒔絵旅櫛笥(寸法ほか略)から写したしたものです。荒ぶる波の間を 兎が飛ぶ意匠は、江戸時代初期に流行します。謡曲『竹生島(ちくぶしま)』の一節、 「月海上に浮かんでは兎も波を走るか おもしろの島の景色や」に由来するものです。

とあり、さらに英文では17世紀としています。

【写真Ⅰ】紙鎮

【写真Ⅰ】紙鎮

 謡曲『竹生島』の一節を『日本古典文学全集41 謡曲集下』(小学館)で閲して見ると、

......浦を隔てて行くほどに、竹生島も見えたりや。
緑樹影沈んで、魚 木に上る景色あり、
月 海上に浮かんでは、 兎も波を走るか、
面白の浦の景色や。


といい、「湖岸を離れて進みゆくうちに、竹生島も見えてきたではないか。木々の緑の影が湖面に映り、湖底に沈んで、水中に泳ぐ魚はあたかもその木々に登るかのよう。月が湖上に影を映すと、月の中の兎も波の上を走るのかと思われる。なんとまあ面白いこの島の景色であること。」と訳されています。注に、「緑樹影沈魚上木、清波月落兎奔浪」、あるいは下句を「月浮海上兎奔浪」とするなど、典拠に諸説があるようですが、ストーリー展開として、この幻想的な情景描写は視聴するものを別世界に誘うプロローグです。

 下句「月浮海上兎奔浪」が冒頭に記した紙鎮の絵柄となったもので、解説書が時代を江戸初期に特定していますが、この紙鎮の波に兎の図は、波兎文様、波うさぎ文様、波のりうさぎ文様あるいは竹生島文様とも呼ばれます。同様の絵柄として同時期の著明なものを二つ挙げておきます。一つは、国宝「婦女遊楽図」(大和文華館蔵)。この屏風は九州・平戸藩の松浦家旧蔵だったので「松浦屏風」とも称され、六曲一双に遊女18人が画かれ、その右隻最も左の遊女の小袖に波の上を走る兎が描かれ、屏風は江戸前期の作とされるもの。
 もう一つは、「黄金色地葵紋波兎文羽織」(徳川美術館蔵)で、「辻ケ花染衣服残缺帖」に貼り込まれた断片を分析し、徳川家康の羽織を、平成17年に復元したもの。だとすればこの文様も戦国から江戸前期の遺品ということになります。余談ですが、家康は天文11年(西暦1542年)壬寅生まれとされていますが、この羽織から推察して、翌12年癸卯の生まれだともいわれているようです。
 二点ともインターネットで検索できます。
 
阿智神社の波兎
 私は、旧倉敷総鎮守の宮・阿智神社が鎮座する鶴形山の東の麓に住んでいます。岡山県倉敷市中心部は、古くは無数の島々から成り、戦国時代から江戸時代にかけて干拓が進められ、陸続きとなったと言われています。
 阿智神社の名称は、四世紀・応神朝の帰化人・阿知使主(あちのおみ)に由るもののようです。「知」と「智」は音通で用いられしばしば標記に異なりがありますが。その社の山門・随神門の、鴨居というのでしょうか、表裏両面に耳の長い兎の像が二体嵌め込まれていて、どちらも下の鴨居には波紋が彫られています【写真Ⅱ】。これは「波兎」に相違ありません。

【写真Ⅱ】随神門内面

【写真Ⅱ】随神門内面

このことを若い社人に尋ねてみましたが、門の建立は江戸期、兎の由緒は不明とのこと。時代をもう少し限定できないものかと門の右側に柵となっている石柱には寛政12年(1800年)、門の石段下の狛犬は左右ともに文化14年(1817年)と刻されており、どうやら門は江戸後期に建てられたものかと想像します。
 そしてまた私は想像します。その頃には、兎は、浪の上を奔ることから、海難除けの象徴となり、同社が祭神とする「宗像(むなかた)三女神」とともに、海上交通の守護神となったのだ、これは阿智神社の波兎だと。
 五月には岡山県指定天然記念物「阿知の藤」が見頃を迎えます。アケボノフジとしては日本一の巨木だそうです。ぜひ倉敷探訪を。
参考文献
 黄 韻如「日本の染色意匠と中国―波兎文様を中心に―」(2008)
 インターネットで検索できるが、引用図は省かれている。

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