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日本語日本文学科

2018.06.01

勤勉さと眼鏡の関係 ~江戸時代の浮世草子から~|野澤 真樹|日文エッセイ176

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ

【第176回】 2018年6月1日
【著者紹介】
 野澤 真樹(のざわ まき)
 近世文学担当
 主に上田秋成の研究をしています。
 
  勤勉さと眼鏡の関係 ~江戸時代の浮世草子から~

 この4月に本学に着任しました。初めての「日文エッセイ」ということで、エッセイにしては少し堅い内容なのですが、これまでの研究対象のことを書いてみたいと思います。現在、私は主に浮世草子と呼ばれる江戸時代の読み物を研究しています。浮世草子を精読していると、これまで意識していなかった江戸時代と現代との違いに気づかされることが何度もあります。
 次に挙げるのは、『雨月物語』の著者として有名な上田秋成の浮世草子『世間妾形気(せけんてかけかたぎ)』の一部です。

砂川といふ辺りに小店をかりて、夏冬なしに油扇の絵千枚画て一匁五分。筆の命毛はかなくも親子四人口。さのみむさふも住あらさず、背戸の朝顔葉鶏頭を、目鏡ながらのながめに渋茶のたのしみ。心は貧しからねども、鼻のさきの桃山のさかりを見る事なく、大路の往来にのみ春を知りていくとせをか過ぬ。(上田秋成『世間妾形気』巻四の三)

 この物語の主人公は浪人の「伊右衛門」です。彼が「小店」を借りて住んでいるという「砂川」は京と伏見とを結ぶ伏見街道の途中、いわば町外れにあります。浪人が内職で金を稼ぐ場面は時代劇にもしばしば描かれますが、伊右衛門も当時伏見の名産だった油扇の絵を描く「賃仕事」で生計を立てています。扇絵を千枚描いてやっと得られるという「一匁五分」は、西鶴の浮世草子などによれば家族が一日を送るのに必要な最低金額です。「命毛」は筆の先端部分を指し、さらにその「命」から「はかなし」という言葉を導きます。その筆でなんとか親子四人を養っているというのです。

 彼はいつも家の裏手の「朝顔」と「葉鶏頭」を、「目鏡ながら(眼鏡をかけたまま)」に眺めています。江戸時代の俳諧に「蕣(あさがほ)は世帯くづさぬ詠哉」(『俳諧東日記』)、「広からぬ庭綺麗なり葉鶏頭」(『蕪村翁評発句五十章』)などとあるように、これらは質素な家に植えるものでした。植えるというよりは、どちらも前の年に落ちた種から勝手に芽が出てくる、とても育てやすい植物です。この伊右衛門、心は貧しくないけれど生活は質素で、近所にある桃の名所「桃山」の花盛りを見に行くこともなく、伏見街道に花見客の往来が増えるのを見て春の訪れを知る、といった具合です。人々が好む桃の花ではなく、ささやかな朝顔・葉鶏頭を楽しんでいるのも、彼の清貧さを示すポイントでしょう。

 さて、先の文中に伊右衛門はその朝顔や葉鶏頭を眼鏡のまま眺めているとあります。これは内職にいそしむ伊右衛門の勤勉さを表す一節です。なぜ眼鏡をかけたままでいることが、勤勉であることに繋がるのでしょうか。

 現在では眼鏡をかけて一日の大半を過ごす人が一定数います。その感覚で行けば、眼鏡をかけたまま花を眺めるのがむしろ自然と感じるかも知れません。しかし、江戸時代の眼鏡は現代のように普段ずっとかけているようなものではなく、何か手元をしっかりと見るときにだけ使用するものでした。逆にその必要がない時には眼鏡をはずすのが普通だったのです。今の老眼鏡に似ていますが、当時は若い人もこれを使用したそうです。つまり、ここでの伊右衛門の眼鏡は「油扇の絵」を描く作業のためのもの。それをかけたままいるということは、彼が眼鏡をはずして休憩することもせず、仕事に精を出しているということを表しています。

 『世間妾形気』より少し前の浮世草子『武遊双級巴(ぶゆうふたつどもへ)』にも次のような表現があります。

摂州難波潟、安久寺町といふ所に、目自慢の太次右衛門といふ両替屋あり。...ふだん眼鏡はなさず、そろばんひぢにつゐて、天秤の前をはなれぬ心がけから、自然と勝手も宜しく、手代の四五人も置ならべてくらしける。(『武遊双級巴』巻五の一)

 ここで両替屋の「太次右衛門」は「ふだん眼鏡はなさず」、十露盤を肘のそばに置いて、商売道具の天秤の前を離れぬことを心がけたので、金回りもよくなり四五人の手代を雇って暮らしていたといいます。どうやら伊右衛門よりは懐があたたかそうですが、ここでも眼鏡を手放さないことが彼の仕事熱心な様子を表現しているでしょう。

 享保17年に刊行された『万金産業袋(ばんきんすぎわいぶくろ)』という本に、当時の眼鏡の種類や作り方についての説明が載っています。それによると、眼鏡のレンズには朝鮮から輸入された「白びいどろ」の茶碗の割れたのをリサイクルして使うこともあったそうです。限られた材料を有効利用する職人の工夫がうかがえますが、当時の眼鏡が現在よりも粗末な作りだったことは言うまでもありません。それを一日中かけていたら、かなり目が疲れたのではないでしょうか。

 少し眼鏡に深入りしてしまいました。このような小さな違いに気づくことで当時の人々の生活が身近になった気がして、それが私の研究上の楽しみでもあります。この小さな発見を原動力に、これからも様々な作品を読み解いていきたいと考えています。

伏見街道「第二橋」の跡(2017年3月野澤撮影)

伏見街道「第二橋」の跡(2017年3月野澤撮影)

『万金産業袋』巻之三

『万金産業袋』巻之三


《引用文献》
『世間妾形気』...『上田秋成全集』第七巻(中央公論社、平成2年)
『武遊双級巴』...『八文字屋本全集』第十五巻(汲古書院、平成9年)
『俳諧東日記』『蕪村翁評発句五十章』...『俳文学大系』(古典ライブラリー)
『万金産業袋』巻之三(画像2、国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/より)

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