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日本語日本文学科

2018.07.01

「人の形見には手跡に過ぎたるものぞなき」|木下 華子|日文エッセイ177

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ

【第177回】 2018年7月1日

【著者紹介】 木下 華子(きのした はなこ)

 古典文学(中世)担当

平安時代期・鎌倉後・室町時代の和歌や、和歌をめぐる様々な作品・言説について研究しています。

「人の形見には手跡に過ぎたるものぞなき」

だだをこねた話

 30年以上も前のことだが、子どもの頃、家族を困らせた記憶がある。
 皆が、祖父の思い出を楽しそうに話していた時のことだ。父方の祖父は私が生まれる5年前に死去したため、私は写真でしか祖父を知らない。当然ながら、話の輪に入ることができない。私自身は5人きょうだいの末っ子で、上の4人は兄、加えて少し年の離れた子どもだったため、話についていけずに黙って周りを見ているなど珍しいことでもなかった。普段ならば、そのことで何かを思うわけでもなかった。しかし、どうしてだろう。その日に限って、祖父の話がわからないことがひどく悲しくて、泣き出してしまったのだ。泣きじゃくりながら、「私にはわからない」と訴えたようにおぼえている。
 子どもながらに気付いてはいたのだが、誰にもどうしようもないことだ。後から生まれた私にわからないのは当たり前。祖父とともに生きた時間を共有する家族には、話したい思い出がたくさんあるだろう。それらをともにすることができないのは、私にとっては悲しいことだが、生まれた時期の問題なのだから本当にどうしようもない。泣いて周囲を困らせることでは、決してないのだ。叱られてよい話だったと思うのだが、その時、家族の誰一人として私を咎めなかったことも、よくおぼえている。
 そのやさしさのおかげだろう。私にとっては、ほろ苦いながらやわらかい思い出である。

祖父の手跡

 さて、数ヶ月前のことだが、その祖父の50回忌の法要があった。そのために実家に帰ったところ、準備の途中で、仏壇の抽斗(ひきだし)から私の名前を記した紙が出てきたのだという。書き手は祖父、しっかりした和紙に筆で「華子」と書かれている。
 両親は、最初の子どもが生まれる折に、男の子と女の子と名前を一つずつ決めておいたらしい。その時に祖父が双方の名前を墨書しており、女の子のほうのものが仏壇から出てきた私の名前なのである。長兄の生まれ年は昭和37年(1962)だから、平成30年(2018)の今年から数えると56年も前に書かれたものということになる。
 さすがに驚いた。こんな形で半世紀以上も前の祖父の手跡と対面することになろうとは、思ってもみなかったのだ。しかも、書かれているのは私の名前である。正直なところ、時間も理屈も飛びこえて、祖父が自分の名前を呼んでいるような、語りかけられているような気分になったのだった。
 とはいえ、私も研究者の端くれだから、用例を探し出して、ちょっとした理屈くらいはこねてみたい。字に性格が出るというのはよく言われることだが、筆跡・手跡はその人をまさしく象徴する。
 例えば、『平家物語』巻三の「少将都帰」という章段には、次のような一文がある。丹波少将と言われた藤原成経が、配流先の鬼界ヶ島から都に帰る途中で、故人となった父・成親が籠居していた備前国有木の別所(現岡山市北区の吉備中山周辺)を訪れる場面である。


父大納言殿の住み給ひける所を尋ね入りて見給ふに、竹の柱、ふりたる障子なんどに書き置かれたる筆のすさみを見給ひて、「人の形見には手跡に過ぎたるものぞなき。書き置き給はずは、いかでかこれを見るべき」...(略)...

[成経は、父の大納言殿(成親)が住まわれていたところを探して、有木の別所に入ってご覧になると、竹の柱や古びた障子などに故大納言殿が書き置いている慰み書きがある。成経はそれをご覧になって、次のように言う。「人の形見として、筆跡にまさるものはない。父上がこのように書いておかれなかったら、どうしてこの形見を見ることができただろうか」...(略)...]


 「人の形見には手跡に過ぎたるものぞなき」という成経の一言は、目の前に残された筆跡が亡くなった父・成親その人をまざまざと思い起こさせるものだったことを意味する。そこから、成経が生前の父を偲び、涙したことは想像に難くない。筆跡・手跡というものは、時間も場所もこえて、それを残した者と見る者とを強く結び合わせるのだろう。人の手で書かれた文字には、それほどの力が宿るのだ。
 数ヶ月前、私に起こったことも、そういうことなのだと思う。

『平家物語』巻三「少将都帰」(表記は「少将都還」)

『平家物語』巻三「少将都帰」(表記は「少将都還」)

吉備中山・藤原成親供養塔

吉備中山・藤原成親供養塔

手跡に過ぎたるものぞなき

 今でも、私は、写真と思い出話でしか祖父を知らない。祖父のことを話す人たちの口調や雰囲気から、その人となりをうかがうばかりだ。ただ、数ヶ月前に、祖父が私の名を記した手跡を見た時、芯のあるやさしい字だと思った。そういう人柄だったのだろうか。いずれ生まれてくる孫への思いなのだろうか。半世紀の時を経て、そこに触れたような気がしたのである。物理的な時間や経験はどこまでいっても共有のしようがないが、それらをこえるものが思わぬ形で到来したのだった。
 祖父の手跡は、私の手許にある。泣きじゃくっていたかつての私には想像もつかなかったことだろうが、今の私にはこれで十分なのである。
 

※『平家物語』の引用は、新編日本古典文学全集『平家物語』(小学館、1994年)に拠る。
※画像(上)は、下村時房という人物によって慶長年間(1596~1615)に刊行された古活字本の『平家物語」巻三・「少将都帰」(国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/)。なお、本文の章段名は「少将都還」と表記されている。画像(下)は、吉備中山(岡山市北区)中腹にある藤原成親供養塔。画像の無断転載を禁じます。
 

 

 

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