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英語英文学科

2018.06.04

「惑星的視座から考えてみる」|中村善雄准教授

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英語英文学科

エッセイ

グローバリズムという言葉が世に出て久しいが、至る所でその語は枕詞のごとく使われ、今なおその命脈は保たれているようである。しかしながら、良く指摘されることであるが、この用語は「アメリカニズム」の類語として、あるいはその隠れ蓑として機能している。グローバリズムを象徴する企業と言えば、マイクロソフト、アップル、フェイスブック、コカ・コーラなど、アメリカ籍のグローバル企業が多く思い浮かぶことからも分かるであろう。つまり、アメリカ的な自由主義経済の推進と波及を表す言葉として理解され得る。その影響は当然経済や商業に限ってことではない。言語にしたところで、アメリカ英語中心の語学教育は日本の学校教育からも一目瞭然である。もちろん、言語ではEnglishes、文化では「サラダボール化」や「モザイク化」といった、複数性を志向する多元主義の流れがあることも無視できないが、通信・交通・流通による地球のボーダレス化の大きな流れの中で、アメリカ的価値観が大きな影響力を及ぼすのは自明の理であろう。しかし、これに対する修正主義的提言がないわけではない。その一つとして、「惑星的思考」という考え方が比較文学の領域から提起された。提唱者は、サバルタン研究でも有名な文芸批評家G・C・スピヴァクである。この惑星的思考(スピヴァック自身、この考えを一度は破棄しているが)は、乱暴な言い方をお許し願えれば、地球を一つの惑星として見て、人間を地球上の主体というよりはむしろ惑星上の一生物と考えることで相対化し、これまで看過されてきた他者の存在に着目するという考え方である。もちろんglobeも「球体」や「地球」を表し、地球全体を見るという視点が内在しているが、この語が地球上から地球を想像するというニュアンスを有しているのに対して、planetは他の惑星との関係性のなかでよりマクロ的に地球を捉える見方と言える。文字通り、宇宙から地球を眺めた宇宙飛行士土井隆雄氏は「アメリカも日本もウクライナもインドも、それらの国がどこにあるかは見えなくとも、この地球が私たちの故郷なのです」と語っているが、そこには、経済的・政治的強者であるアメリカの姿は不可視であり、ましてや国境を隔てる「壁」など問題にもならない。加えて、地球上の強者である人類とてその存在は確認しえず、むしろ海や大地、緑の存在が際立っているであろう。

グローバリズムがアメリカニズムのメタファーとして、実質、地表レベルの経済的・商業的・社会的陣取り合戦を意味したとしても、惑星的レベルの視点に立てば、それは不可視な事柄である。むしろ可視化しうる海や空、大地といった自然環境や、人類と共に生きている動植物のことに思いを馳せ、一つの惑星として地球全体の繁栄を願う視点を有してこそ、グローバリズムの本当の意味を問うことが出来るのではないだろうか。

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