2018年12月、映画『メアリーの総て』(原題:Mary Shelley, 2017)が日本でも公開されました。18歳という若さで小説『フランケンシュタイン』を書いたイギリスの作家メアリー・シェリー(1797-1851)の半生を描く映画です。16歳で出会って駆け落ちした著名な詩人パーシー・シェリーとの関係、そして彼女が「怪物」の物語を生むに至った経緯に重点が置かれていて、見応えのある内容でした。
ゴシック小説の金字塔「フランケンシュタイン」の著者。メアリー・シェリー、わずか18歳。
— 映画『メアリーの総て』 (@maryshelley_jp) 2018年9月11日
なぜ彼女は愛を乞う孤独な〈怪物〉を産み落としたのか――?
エル・ファニング主演最新作『メアリーの総て』✝️
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映画では、『フランケンシュタイン』を出版社に持ち込んだメアリーが、「若い女性が書くにしては奇妙なテーマ」だと言われ、夫が書いたのではないかと仄めかされ、「これは私の物語」だと怒りをあらわにする場面があります。ヴィクター・フランケンシュタインが死体の部位を寄せ集めて「人間」を造り、醜悪なその「怪物」が博士の大切な人たちを次々に殺していくというこの物語は、当時の社会規範に照らせば間違いなく「女性らしくない」ものであったはずです。この作品は当初、匿名で出版されました。
『フランケンシュタイン』は怪奇小説ですが、その怪奇性と同じくらい、あるいはそれ以上に印象的なのは、怪物の苦悩と孤独です。「親」であるヴィクターに、この世に生を受けた直後に置き去りにされた彼は、その並外れた体格と不気味な容貌ゆえに差別され、友人もできず、一人で生きるしかありませんでした。彼はひそかに言葉を覚え、拾った鞄の中にあった本を読み、その内容について考えをめぐらせることで、腕力とは違う強さを身につけていきます。そして、ヴィクターと再会した際には、激高する「親」とは対照的に、理路整然と自身の主張を展開してみせるのです。
メアリー・シェリーもまた、言葉によって強さを手にした人でした。自分の出産によって命を落とした母の墓で、少女時代のメアリーが読書をしていたのは有名なエピソードです(映画の冒頭もこのシーンでした)。シェリーと駆け落ちした後も、彼女は多くの苦悩や喪失を経験しますが、書くことは止めませんでした。孤独の中で言葉を覚え、自身の考えを訴え、理解者を求める怪物は、おそらく作者自身でもあります。さらに言えば、怪物は「女性らしさ」を押し付けられる時代にあって、言葉という武器を手に道を模索したすべての女性作家たちの姿とも重なるのかもしれません。
次年度の3年生の演習(ゼミ)では、この『フランケンシュタイン』をじっくり読み、いろいろな視点から考察する予定です。メアリー・シェリーとほぼ同年代の女子学生たちは、この作品をどのように読むでしょうか。彼女たちとのディスカッションを、今から楽しみにしています。