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国際交流

2023.03.20

【今週の言葉~selection~19】たかが英語 されど英語|英語教育センター

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英語教育センターでは、セルフスタディ・ルーム横のホワイトボードに英語教育センター教職員が週替わりで担当する「今週の言葉」を掲示しています。言語は英語のみならず、日本語の言葉もあり、英語教育センター教職員が感動したり、元気をもらったりした言葉を学生の皆さんへのメッセージも込めて掲示しています。2020年度より、学生の皆さんからも「今週の言葉」を募集し、掲示しており、今年度も募集を受け付けていますので、在学生の方は是非応募してみてください。

2021年度より、「今週の言葉」をブログという形で大学の公式ホームページに掲載し、2021年度は第9回まで掲載されています。2022年度も引き続き「今週の言葉」をブログで発信し、少しでも皆様の心が温かくなり、前向きになれるような言葉をお届けできたらと思います。「今週の言葉~selection~」を通して英語教育センター教職員の思いが少しでも皆様に届きますように。

それでは、2022年度最後のブログは、英語教育センター長であり、英語英文学科で18年間勤務され、この3月でご退職される伊藤豊美先生の論考で締めくくりたいと思います。伊藤先生が18年の在職期間に出会った学生とのエピソードや有名人が英語学習の悩みに答えるインタビュー記事等を交えながら、学生が主体的に学ぶことや教員の指導技術の重要性について述べられています。「英語が苦手だけどわかるようになりたい!」「英語力に自信はないけど、話せるようになりたい!」そのような方に是非読んでいただきたいと思います。

 
たかが英語 されど英語
 伊 藤 豊 美 

 はじめに
 全学部学科の学生を対象に英語学習を支援する教育機関として設立された当センターでは、日々、教材開発並びに教育施設・設備の充実に努めているが、本稿ではそうした大学での講義を受けている学生の中から、筆者の記憶に残る学生を取り上げて紹介したい。

1 提携大学での語学研修に参加したある学生のこと
 本学では、夏期休業を利用しておよそ1か月間、毎年30名前後の希望する学生たちを本学の提携大学であるビクトリア大学(カナダ)に送っている。学生たちはビクトリア大学語学センターでの講義を受講し、当地のカナダ人家庭にホームステイをさせていただきながら、英語の習得に励んでいる。
 数年前になるが、本学の海外留学制度に関する担当者をしていた時に、この語学研修に参加申込をした学生対象に説明会を開催したが、説明会終了後に1人の学生が目に涙をためて私のところへやって来た。事情は次のとおりであった。
「私は中学時代、高校時代ともに英語が苦手で成績も悪い生徒でした。英語という教科が大嫌いでした。しかし、大学に入学して清心の英語の講義を受講してから、もう一度やり直してみたいと思うようになりました。そこで今後の自分の英語学習に対する動機づけにと思い、カナダでの語学研修を受講してみようと考えて今回の説明会に参加しました。今日の大学からの説明の中で、参加者は全員、ビクトリア大学到着後すぐにクラス分けの試験を受けなければならないと聞いてショックを受けました。参加する予定の学生の半分は英語を専門とする英文学科の学生で、他学科の参加希望学生も皆TOEICの点数の高い人ばかりです。私なんかが参加できる研修ではなかったと分かりましたので、今回の研修は辞退したいと思います。」 
 涙をためながら、それでも私をまっすぐに見て話すこの学生に私は次のように答えました。
「君は自分の英語の成績が悪いと言っていますが、英語の成績が悪いとあなたは命を取られるのですか。日本に、TOEICの点数が低い学生は死刑にされるというような馬鹿げた法律でもあるのですか。私はあなたが何か大きな勘違いをしているように思えてなりません。たかが英語に何をそんなに悩む必要があるのですか。仮にあなたの英語力を嘲笑するような学生や、カナダ人がいたとしたら、笑わせておきなさい。あなたを笑うような学生が仮にいたとしたら、そのような学生は外国語を学ぶ資格のない学生ですよ。同じようにあなたの英語力を笑うような英語の母語話者が仮にいたとしたら、そのような母語話者は、自国語しか知らない視野の狭い可哀想な人たちですよ。
 だけどあなたは、そのような「たかが英語」でも、英語を学ぶことに何かがあると感じているのではないですか。だからビクトリア大学に行ってみたいのでしょう。「されど英語」なんですね。もしそうであれば、私はあなたに是非ビクトリアでの語学研修を受けて欲しいと思います。先ほど私が言ったあなたの勘違いは、あなたが英語というものに価値を置きすぎていることから生じているのではないかと思います。英語そのものには何の価値もありませんよ。その証拠に、カナダに行けばカナダ人の子どもは誰でも英語をしゃべっていますよ。英語は異文化間のコミュニケーションの道具にすぎないし、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。たかがツールにすぎない英語に悩むのはやめて、ビクトリアでの語学研修にチャレンジしてみてはどうですか。」
 この学生は無事に研修を終了したばかりではなく、帰国後には次の年度の参加学生たちのために有志を募り、ビクトリアお助け隊を立ち上げて後輩たちの語学研修がより有意義になるよう支援をしてくれました。そして、1年後、私の研究室を訪ねて次のように報告とお礼を述べました。
「先生、今日はご報告に来ました。昨日、教員採用試験の結果が通知され、おかげさまで中学校家庭科教員に合格しました。募集人数の少ない家庭科教員の採用試験は、現役合格が大変難しいと先輩たちからも聞いていましたが、無事合格できました。これも先生から「たかが英語、されど英語」と背中を押していただき、ビクトリア研修に参加したおかげです。自信が持てない中で採用試験の準備をしている時、私は常に「たかが採用試験、されど採用試験」と自分に言い聞かせてがんばりました。どんなに困難なことでも「たかが〇〇、されど〇〇」と考えると、肩の力が抜けて立ち向かうことができました。本当にありがとうございました。これからは、来年の春から教えることになる生徒たちにも、私が学んだこの精神で、彼ら彼女たちがそれぞれの困難に臆することなく立ち向かうことの意義を教えていこうと思います。」
 
2 目標は「成績」よりもっと先に
 最近、上記で紹介した学生のことを思い出させてくれた記事を、月刊誌「アエラ」の小中学生向けニュース月刊誌「ジュニアエラ」で目にすることがあった。この月刊誌の人気連載「Sexy Zone のQ&Aステーション」では、毎回Sexy Zone(ジャニーズグループの一つ)のメンバーが読者からの質問に答える形式になっている。筆者は2020年1月号に記載されていたマリウス葉さんの回答に大変感銘を受けたので、以下に、全文を引用して示す。
【質問】
 私は高校1年生です。英語が苦手で、成績も英語が足を引っ張ってしまい、思うように伸びません。
3か国語を話せる話せるマリウスくん。母国語以外はどのように勉強しましたか?(いつも幸せを STYさん・15歳)
  【回答】
 中国語を入れると、今は4か国語ですね。フフフ。でも、僕も真剣に英語を勉強するようになったのは、日本に来てからなんです。ドイツの小学校で軽くやってたけど、国際的な大学で学びたいと思うようになって……高校1年か2年のころからかな。だから、STYさんも全然遅くない。
 語学力を身につけるために一番大事なのは、実際に使うことと、使い続けること。言葉って勉強したからって話せるもんではないんだよね。インプットした分、アウトプットしないとなんにも変わらない。そういう意味でオススメなのは、単語を一つひとつ覚えるより、フレーズで覚えることかな。最近だと、日本語と英語が両方書いてある『ハリー・ポッター』の本とかもあるから、本が好きな人は簡単な英語の本を読んで覚えるのもいいと思うし、海外の映画やドラマが好きな人は吹き替えにしないで、英語で字幕を見つつ、何度も巻き戻しながらリアルなフレーズを覚えるのもいいと思う。どういう手段で覚えるのが自分に合うのか、人それぞれ違うから、読む、聞く、書くとか、脳のいろんな部分を稼働させながら探してみて。僕もいろいろトライしました。
 伸び悩んでもうヤダってこと?ないなー……そう思うのは目的が「成績」だからじゃない?「英語なんか使わないのに」と思いながら勉強だけするのは、やっぱりしんどいよね。だからちゃんと使うことと、その先を考えてみたらいいと思う。
 言葉って文化だから、多言語を使うと自分自身が多文化になって、世界がどんどん広がる。未来の可能性が2倍、3倍に広がるって楽しいでしょ?そんな自分を想像して頑張ろう!

  最初に述べた学生も、カナダという異文化の中に飛び込み、英語圏の様々な人々の中で切磋琢磨することにより、自分の持つ可能性を広げていったのであろう。その過程でこの学生は英語の成績を目的にするのではなく、その先を見つけることができたのではないかと思われる。

3 授業の在り方を考える―指導技術があってこそ
 冒頭で述べたように、当センターでは教材開発並びに教育施設・設備の充実に努めているが、同時に指導技術の研究及び研修に取り組んでいる。外国語教授法や教材開発の研究をするだけに留まっていては、授業を通して学生たちを英語学習へと衝き動かすことはできないのであり、各教員の揺るぎない指導技術があってこそ学生たちにとって授業が意義あるものとなるのである。McIntosh(1971)は、外国語教育における指導技術の重要性について次のように述べている。
    The art in language teaching lies in remembering that language is a human activity, and that no blueprint can exactly foresee the direction it may take.  We can sequence our sentences - and indeed we should.  We can structure our activities to promote efficient achievement of our goals.  But if we are not ready for the unexpected, if we are not eager to seize every opportunity to move ahead in language, we are overlooking a most important dimension.
    When we talk about having a language lesson begin with the manipulation of structures, and have it progress through careful stages to the moment when communication takes place, we may be suggesting that every lesson will work out that way, and if we hold a stop watch on each activity, we will prevail in a final burst of human interaction.  But the classroom teacher knows that often it does not work out that way.
    The art of language lesson lies rather in detecting the first possible moment when the learners want to break out of the mold and use the language for themselves.  They may not be accurate , but they are using language as it should be used- to say something, to communicate. *下線部は筆者による

おわりに
 大学には日々の講義の他にクラブやサークル等の活動があり、さらに学生自身による自由で自発的な活動や研究がある。学生たちの様子を見るにつけ、彼女たちのサークル等での熱気とエネルギーは平素の講義の比ではない。要するに人間は学生たると教員たるとを問わず自分の成したいことをする場合は、人から強制される場合の数倍のエネルギーでそれに対していくものである。大学の講義時間よりもずっと長い日常生活において、彼女たちの心の中に英語を学習しようという思いをかき立てることこそが教員の使命であろう。講義が、学生たちにとって終点ではなく、日常の自己向上に向けての強い動機づけになることを目指したい。今回紹介した学生が、「大学に入学して清心の英語の講義を受講してから、もう一度やり直してみたいと思うようになりました。」と語ってくれたことは、当センターの取り組みがそれぞれの授業の中で活かされていることを証明してくれており、筆者にとって望外の喜びであった。

出典:月刊「ジュニアエラ」2020年1月号(朝日新聞出版)
     McIntosh, Leis, "The Art of Language Lesson," ETF, 9,3, May-June 1971, 278-279

【今週の言葉~selection~】英語教育センター
英語教育センター
伊藤豊美教授(教員紹介)

 

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