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日本語日本文学科

2020.08.01

牛窓の神功皇后伝承の古代に思いを寄せて|東城敏毅|日文エッセイ202

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日本語日本文学科

日文エッセイ

【著者紹介】
東城 敏毅(とうじょう としき)
古典文学(上代)担当
               奈良時代の文学、『万葉集』『古事記』について研究をすすめています。

 
牛窓の神功皇后伝承の古代に思いを寄せて


1.瀬戸内の牛窓神社

 現在、新型コロナウィルス感染症の影響がいつ終わるともなく続く中、本エッセイでは『万葉集』から見る天平時代のパンデミックについて語ろうと考えた。が、研究室に閉じこもり、日々遠隔授業の続く今だからこそ、逆に風光明媚な瀬戸内の牛窓の古代に思いを寄せ、一つの伝承を追い求める方がふさわしいと考えるのである。
 現在、本学大学院日本語日本文学専攻の花谷美紅さんは、岡山県牛窓における神功皇后(じんぐうこうごう)伝承について研究を進めている。本エッセイでは彼女の研究の一端を、指導教員の目を通して紹介し、今後の研究の発展を祈念するものである。
 

図1:牛窓神社(撮影:東城敏毅) 

図1:牛窓神社(撮影:東城敏毅) 

2.牛窓と神功皇后伝承

 牛窓神社は、岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓の海沿いに位置する潮騒の音が聞こえる由緒ある社である。柿本人麻呂の万葉歌碑のある牛窓海水浴場のすぐ横、364段の長い石段を登りきったところにあり、神功皇后・応神天皇・武内宿祢(たけうちのすくね)が祀られている東備の鎮守である。社伝によると長和年間(1012~1016)に宇佐八幡宮より勧請したとあるが、一説には、石清水八幡宮より勧請したとも伝えられる。石清水八幡宮の古文書には「牛窓別宮」の名があり(1158年)、当時牛窓が石清水領であったことが確認できる。現代においても、かつて神功皇后が活躍したと伝えられる聖地である。牛窓神社は江戸時代には井上家が代々引き継いできたが、その後、一代限りの宮司が続き、現在は岡﨑義弘氏が継いでおられる(岡﨑義弘氏直話。なお、岡﨑義弘氏のあとは、ご子息が継ぐご予定だそうである)。                  
 牛窓の地は、「備前国風土記逸文」(『本朝神社考』)には以下のように記される。

神功皇后の舟、備前の海上を過ぎたまひし時、大きなる牛あり、出でて舟を覆(くつがへ)さむとしき。住吉の明神、老翁(おきな)となりて、その角を以(も)ちて投げ倒したまひき。故にその処(ところ)を名づけて牛転(うしまろび)と曰(い)ひき。今、牛窓と云ふは訛(よこなま)れるなり。

 また、牛窓神社の摂社には五香宮(ごこうぐう)がある。この宮は、以前は住吉社と呼ばれていたが、池田光政が京都伏見御香宮(ごこうのみや)を勧請し、住吉三神のみならず、神功皇后・応神天皇の五柱の神をお祀りし、五香宮と呼んだものである。牛窓神社文書の「五香宮記録」にも、以下のような記録が残されている。

其御凱旋の御時、一つの牛鬼海庭より出(いで)つ。潮を蹴立(けた)て焔を吹掛(ふきかけ)、御船をなやます。其時住吉明神出現ましまし其角を捕らへ、轉(まろばし)投倒したまふ。(略)その牛鬼の体三つの嶋と成る。

 また、以下の文書も残る。

  三韓御征討御凱旋の御時、住吉の神殿に御鎧・御太刀・御腹巻・御馬具等を籠めさせたまひし

 現在、本宮には、上記で記されているように、神功皇后が着たとされる黒葦威(くろかわおどし)の大鎧や、応神天皇を産む際の腹帯、また馬具等、さまざまな物が、伝承とともに引き継がれている(現在は岡山県立博物館に寄託)。
 また、牛窓神社には、「八幡大菩薩御縁起」という、八幡縁起絵巻が残されている(所蔵は東原家)。現存する最古の八幡縁起絵巻とされる出光美術館蔵本(1322年成立)にもすでに牛窓の伝承が記されているが、牛窓神社の「八幡大菩薩御縁起」は、在地のきわめて重要な資料として注目に価する。ここにも興味深い詞書と絵巻が記されているが、絵巻の前半には、「ひせんのとまりにつかせ給し時 たけ十丈ばかりなる牛きたって」と、やはり上記の伝承が記されているのである。
 

図2:牛窓「八幡大菩薩御縁起」(複製:実物は東原家所蔵)(撮影:花谷美紅)

図2:牛窓「八幡大菩薩御縁起」(複製:実物は東原家所蔵)(撮影:花谷美紅)

 住吉明神によって投げられた「牛」は、先述した「五香宮記録」には「その牛鬼の体三つの嶋と成る」とあり、牛窓神社宮司の岡﨑義弘氏は、この海に投げ倒された牛の体はバラバラに飛び散り、牛窓神社の前に広がる瀬戸内海の景観、前島・黒島・青島・黄島・鼠島(ねずみじま)ができたと語る(図3)。このように、現代でも神功皇后伝承は、牛窓の地に根付いているのである。

図3:「牛鬼」としての島々(牛窓神社宮司 岡﨑義弘氏直話)(作成:東城敏毅)

図3:「牛鬼」としての島々(牛窓神社宮司 岡﨑義弘氏直話)(作成:東城敏毅)

図4:頭と角二本(撮影:東城敏毅)

図4:頭と角二本(撮影:東城敏毅)

3.2020年度の牛窓神社の秋季例大祭

 牛窓神社では、10月の第4日曜日に大祭が執り行われるが、2020年度は10月25日に当たる。また、紺浦地区にある摂社の疫(やく)神社(素盞鳴男神社・すさのおじんじゃ)では、唐子(からこ)踊りという珍しい踊りも祭礼の一つとして奉納される。これは十歳前後の男の子二人が対舞するものであり、踊り子は朝鮮風の鮮やかな色の衣装を着て、頭には唐人笠(とうじんがさ)をかぶっている。この唐子踊りは神功皇后が朝鮮から帰朝する途中に牛窓に立ち寄り、朝鮮から連れてきた童子に躍らせたのが、その起源とされており、この疫神社に唐子踊りが奉納されることになった契機は、疫病などの疫災除去であったと考えられている。したがって、本年2020年度こそ、盛大になされることを期待するものである。
 大学院生の花谷美紅さんは、牛窓の地における神功皇后像を見出そうと研究を進めているが、その研究に頭を巡らせ、また古代に思いを寄せながら牛窓の地を眺めてきたが、図5の新型コロナウィルス感染症後の観光キャンペーンのキャラクターのように、現代には現代の「絵巻」を獲得しながら、神功皇后は、この牛窓の地に再生し続けるのだろう。

 

図5:「飲食店 安心・安全認定証」に描かれる神功皇后(瀬戸内市観光協会提供)

図5:「飲食店 安心・安全認定証」に描かれる神功皇后(瀬戸内市観光協会提供)



(参考文献)
  牛窓神社所蔵「牛窓神社文書」
  牛窓町史編纂委員会『牛窓町史 民俗編』(牛窓町、1994年)
  刈屋栄昌『牛窓風土物語』(日本文教出版、1973年)
  木村朗子「海を渉る女―描かれた神功皇后」『日本文学からの批評理論』(笠間書院、2014年)
  倉地克直『近世日本人は朝鮮をどうみていたか』(角川書店、2001年)


※様々な資料をお見せいただき、多大なご協力・ご教示を賜りました牛窓神社宮司の岡﨑義弘氏に、この場を借りて、感謝申し上げる次第です。また、画像の使用許可を賜りました瀬戸内市観光協会にも厚く御礼申し上げます。



画像の無断転載を禁じます。


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