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日本語日本文学科

2005.11.01

訳と文脈|星野 佳之|日文エッセイ25

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第25回】2005年11月1日

訳と文脈
著者紹介
星野 佳之 (ほしの よしゆき)
日本語学担当
古代語の意味・文法的分野を研究しています。

この夏に利用したアメリカの空港で、次のような標識を見た。

Locked the baggage?
荷物の鍵をかけましたか?

その時は何も考えなかったので写真を撮ってこなかったのが残念だが、今思うにこれは、ある種の"誤訳"であると思う。"lock"は「鍵をかける」、"the baggage"は「荷物」であるから、寧ろほとんど直訳で誤りとは一見思われないだろう。しかし、この注記の意図するところを考えると、訳の不自然さが理解できると思う。

最近アメリカに旅行した人には馴染みだと思うが、テロを警戒する今日日のことで、アメリカ政府は旅行者の手荷物検査を厳重に行うという。そして、必要があればたとえ施錠されているスーツケースを壊してでも中をあらためることがあると、我々旅行者は警告されているのである。私もレンタルのスーツケースを壊されたくはないので、チェックインの際に鍵は開け、あやまって荷物が開かないようベルトを巻いておいた。

つまり上記の標識は、鍵をかけておいてほしくない立場からの、呼びかけなのである。そういう場合に、私達は「鍵をかけましたか?」とは普通言わない。「ご飯食べた?」と言えば、普通は「食べてないならこれから食べよう」とか、「健康のためにはちゃんと食べて置いた方がいいのに」という文脈であろう。だから、鍵をかけてほしくない立場からの注意喚起としては、「鍵をかけてはいませんか?」とでもある方が、自然であろう。

私達の疑問文には、「Aしましたか?」と聞いたときには、どうやら「A」を期待しているような前提があるもののようなのである。こういうことはなかなか気づかないものであって、「見えない文法」とでも言うべきだろうか。同じ状況で"Locked the baggage?"といえる英語には、このルールがないのであろう。文脈を離れれば「荷物の鍵をかけましたか?」というのは立派に成立する文なのだから、訳とは難しい作業である。

上の話とは余り関係ないが、「訳と文脈」ということで思い出す英会話学校のCMがある。その学校に通う人物が、学校に近づくと日常会話も鼻歌も英語になってしまう、というもので、その歌が次のように歌われていた。

カラス、why do you cry?

「七つの子」(作詞:野口雨情)の歌い出しが、「カラス」の後から英語になるのだ。そもそも「七つの子」を歌いながら街を歩いているところからおかしみがあったが、CMとしての出来はともかく、この訳も私にはしっくり来なかった。カラスが"なく"のを"cry"というか、といった問題は寧ろ脇におく。私なら"you"は"she/he"もしくは"they"にして、絶対に二人称にはしない。

これは歌の解釈に関わるものである。"you"を用いる訳では、子どもがカラスに問いかけていることになる。カラスへの問いを横にいる母親が答える、という迂路の必要を、私は感じないのである。

「可愛い 可愛いと 啼くんだよ」というのが、カラスの啼く理由である以上に、母の我が子への思いそのものでなくて何であろうか。それを母がカラスに託して話すのなら、これは最初からすべて子と母とのやりとりと理解した方がよくはないか。子どもがカラスのことを尋ねたから、母はカラスのこととして答えるのである。付け加えれば、この子は必ず七歳で、丸い眼をしたいい子に決まっている。

母と子が向き合っているのなら、カラスは三人称である。これは誤訳と言うより、歌の理解の相違が訳に現れる例であるが、歌全体の「文脈」から、私はここは"you"ではないと思うのである。

訳は本当に難しい。こちらの言いたいことがうまく当該の言語に映せていない、という場合だけではなくて、こちらの意図する文脈に乗らない文を作ってしまったり、こちらが文脈をどう把握しているかをそれと知らず露呈してしまったりする。それは言語が、実際には私達が思っている以上に多くのことを表現しているからに他ならない。

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