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日本語日本文学科

2005.08.01

文学と笑い|綾目 広治|日文エッセイ22

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第22回】2005年8月1日

文学と笑い
著者紹介
綾目 広治 (あやめ ひろはる)
近代文学担当
昭和~現代の文学を、歴史、社会、思想などの幅広い視野から読み解きます。

ドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」について、皆さんはどのようなイメージを持っていますか。おそらく一般には、人間存在の深淵に鋭いメスを入れた深刻な小説というイメージが持たれているのではないでしょうか。事実、そういう問題が語られていると言えますが、しかし、それだけではありません。これらドストエフスキーの小説にはけっこう笑えるところがあります。登場人物の滑稽さ、馬鹿馬鹿しいとしか言いようのない場面など、ドストエフスキーの小説には〈笑い〉が数多く盛り込まれていて、かつ〈笑い〉は小説の中で重要な要素になっています。ドストエフスキーの小説だけではなく、世界の近代文学の傑作には、意外に多くの〈笑い〉が語られています。

それらの〈笑い〉には、社会通念や制度に対しての諷刺があったり、また人間のどんな悲劇も見方によっては笑えるものであること、もっと言うなら、笑い飛ばすことによってその悲劇を乗り越えることができる、というようなメッセージが込められています。いわば生きていく活力を与えてくれるものとして〈笑い〉が語られているのです。

日本の近代文学はどうでしょうか。残念ながら深刻な物語が主流を占めています。江戸落語の骨法を取り入れて、大いに笑える夏目漱石の「吾輩は猫である」などは例外的な小説です。その漱石も〈笑い〉の文学を貫徹させることなく、後には深刻な小説だけを書くようになりました。これは残念なことではないでしょうか。

もちろん、日本の近代文学にも笑える小説はあります。しかし、それは傍流です。少なくとも傍流と思われています。文学の世界だけではなく、普通にも〈笑い〉は価値の低いものであり、時には不真面目とさえ思われています。しかしながら、そうでしょうか。〈笑い〉は高度な精神作用であって人間にしかないものです。私たちはもっと〈笑い〉の価値と効用を見直す必要があります。日本の近代文学の世界は、たしかに〈笑い〉は少ないですが、しかし観点を変えれば、笑える物語は意外に多いと思われます。日本近代文学の研究を通して〈笑い〉を考えてみませんか。

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