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日本語日本文学科

2004.07.31

心を捕らえる文学に出会って|山根 知子|日文エッセイ10

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第10回】2004年7月31日

心を捕らえる文学に出会って

著者紹介
山根 知子(やまね ともこ)
近代文学担当
宮沢賢治・坪田譲治を中心に、明治・大正の小説や詩および児童文学を研究しています。

思い返せば、文学の勉強をしてみたいと考え始めた高校から大学にかけての時期、私にはこんな問題意識がありました。
文学とはなぜこの世界に存在するのか。そして、人間にとってどのような意味をもつのか。
このような疑問は、もちろん文学が無用の存在であると考えているからではなく、むしろ文学が他の学問領域では汲み上げられない人の心の機微や深さを表現するものではないだろうかと思い、また文学に心を揺さぶられていたからこそ出てきた疑問だったのです。 夏目漱石は、高等学校の教科書にも掲載され有名な小説『こゝろ』の自筆広告文(大正三年)に、「自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む」と述べています。
高校生であった当時の私にとって、さまざまな人間関係の波のなかでどうしたら人の心をわが事のように理解することができるのか、また自分自身でもわからなくなる混沌とした心をいかに掴むことが可能なのか、といった日常の生の問題と文学の問題とがつながって思われたのです。しかも、それまで経験したいくつかの読書からも、おぼろげながら文学というのは目に見えない心の機微をとらえて表現できる奥深いものであるという予感がしていたのです。
そのいくつかの読書のなかに、井伏鱒二の『黒い雨』があったことが思い出されます。広島の原爆投下によって、生活がたちどころに崩され、内面まで屈折してゆくなかで、生きる意味を問うて病気や苦しみから立ち上がろうとする登場人物の姿が痛々しく心に残りました。
また、その後に井伏と師弟関係にある太宰治の『斜陽』を読んだとき、戦後の敗戦という時代の犠牲者を描いている点では『黒い雨』と重なる要素がありながらも、その内面の苦しみ方においては全く違う様相に直面し、とまどいさえしました。それでもそのなかで、私はそれぞれの作者にとって文学という形でしか表わし得ない心が表現されているのだと感じ、先の問題意識が心に生じたのでした。
そうした問題意識をもって、大学生になり日本文学を専攻するようになって、三年次には卒業論文のために一人の作家の創作行為とその作品を綿密に追う研究を始め、そこで見えてきた世界がありました。そのとき、私が卒業論文の対象として選んだ作家は、宮沢賢治でした。それから現在に至るまで、宮沢賢治の文学は私の研究対象の中心になっています。

では、宮沢賢治の創作行為とはどのようなものだったのでしょうか。宮沢賢治は詩でも童話でも自分の創作した作品を、「心象スケッチ」と呼んでいます。つまり、そのときそのときの自分の心に映し出された風景やイメージをありのままにスケッチしたものが、自らの作品であると言うのです。
例えば、宮沢賢治は野山を歩きながら「歩行スケッチ」をよくしていました。賢治が書斎をもたない詩人だと言われる所以です。その「歩行スケッチ」では、賢治は紐をつけたシャープペンを首にぶらさげ手帳を持って、まさに歩きながら移りゆく心象をスケッチします。
賢治はその「心象スケッチ」について、童話集『注文の多い料理店』の「序」で、「ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです」と述べます。
では、賢治にとって、こうして心象でキャッチしたありのままの世界を映し出した文学とは、どのような意義ある存在として位置づけられるものだったのでしょうか。同じく「序」では、自らの作品について「これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません」と祈りにも似た願いが書きつけられています。
私にとって、大学で卒論を手がけ、こうした宮沢賢治の創作行為の意義づけについて考えながら文学作品の研究を深めるごとに自分なりの作品解釈上の発見を積んでゆく充実感は、大きいものでした。ただし、研究という一方向だけでは飽き足らず、私自身もこうした創作の実践を試みることで、そうした作家の心境に少しでも近づきたいと思うようになりました。
こうして、創作も卒論研究と並行しながら進め、とにかく宮沢賢治の手がけた俳句・短歌・詩・童話を自分なりに創作してみました。そうして、「どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふこと」を心に映して、それが「ほんたうのたべもの」につながるのかもしれないと感じながら、自らの作品を生み出す内的感覚の経路を探ったものでした。
その後も研究の道を歩むなかで、研究と創作の双方向の営みを続けることは、たいへん難しい面もありました。ところが、すでにそのように研究と創作を車の両輪のように良き循環をもって同時進行させている恩師に出会うことも叶い、大きな励ましと刺激をいただきました。
小川洋子さんが、作家の立場からこのような人間の心の営みと物語との関係について思いをめぐらしながら、創作を進めているという事実に、私の感銘もひとしおでした。
これからも、客観的な研究を深めることが文学の奥深さの発見につながるという文学研究に加えて、創作についても学生たちと一緒に学びと体験を深めながら、文学とはなぜこの世界に存在するのかという初心の問いを、さらに深く探ってゆきたいと思っています。

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