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日本語日本文学科

2005.01.06

猛者どもが夢の結晶(あと)|佐野 榮輝|日文エッセイ15

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第15回】2005年1月6日
猛者どもが夢の結晶(あと)
著者紹介
佐野 榮輝 (さの えいき)
書道担当
書の実技・理論を通して多様な文字表現を追求しています。


手探りで始めた書道卒業制作展が、十指すべてを折り畳むとは。
書道免許の必修科目にはしなかったので、毎回これを最期と覚悟しつつも、年度が改まるごとに展覧会開催に名乗りを挙げた猛者(つわもの)どもが集(つど)ってこの十年間を歩んだ。総計八十五名、総出品点数約四百。一人ひとりが四年間の思いを込め、「自分にとって書とは何か」を問いながら先達の遺産を礎(いしずえ)として積み上げ築いた未完の金字塔(ピラミッド)。

四年次生の一年間は平坦な日々ではない。今までの自分これからの自分を見極めながら行動しなければならない、心理的振幅の最も大きかろうその狭間(はざま)の一瞬一瞬をさえ筆を執って紙に向かう一途(いちず)な姿に、若さへの羨望とともに担当する者としての至福を感じてきた。「書道Ⅳ(現、書道卒業制作)」は本学科が誇りとする科目と自賛しよう。


書の道は 遥かかそけく 果てし無く
何時如何にして 関を越えけむ

「やや道の奥にて」と題し、今年度新入生の夏季課題プリントに認(したた)めた戯(ざれ)歌。書に限らず、続けるうちには自ずからその可否に行き詰まる。幾重もの無門の関を透得して、年齢に生きざまを加味できればこそ、絶対の自己の風韻も出てこよう。自己の一作一作がすなわち無門の関なのだから。先ずは常に古典を拠り所とし、手を練り目を耕して感性を磨(と)ぎ、現在(いま)の自分を燃焼昇華する熱意―志―があれば、何時とは知れず不可能の関を透得できている日もあろうかと。

書は個々の「散(表現)」であるが、この書道卒業制作展は同志一丸となって未知の深奥(おく)に挑戦した、人生一度限りの十顆(つぶ)の夢の結晶。「一人は皆のために、皆は一人のために」自身の任務を遂行し、各期の色(カラー)を出すべく同じ瞬間(とき)と体験とを共有した同志、価値観を同じくした者たちは、誰一人欠くことのできない生涯不滅の金剛石(ダイアモンド)。

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