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日本語日本文学科

2014.01.01

インドで考える「もうひとつの9・11」―宮沢賢治研究から宗教共生へ|山根知子|日文エッセイ123

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日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第123回】2014年1月1日
【著者紹介】
山根 知子(やまね ともこ)
近代文学担当

宮沢賢治・坪田譲治を中心に、明治・大正の小説や詩および児童文学を研究しています。
            
インドで考える「もうひとつの9・11」  宮沢賢治研究から宗教共生へ
             
宗教共生と9・11
 2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件、いわゆる「9・11」をめぐる人々の宗教的感情には、イスラム教とキリスト教の宗教対立の構図が拭えないものとして存在する。そうした感情が消えない現代社会そして将来世代の平和において、宗教共生は極めて重要な課題だ。
 今年2013年7月に参加した上智大学共生学研究会のシンポジウム「宗教的共生と将来世代」は、宮沢賢治を研究する私にとって大変刺激的だった。というのも、宗教的偏狭から宗教間の思想の違いを包み込むような宗教的深みへと達した賢治の人生とその作品に、真の宗教共生のあり方が見出せないかと模索していた日々だったからだ。
 そのシンポジウムでは、神学、哲学、イスラム思想、公共哲学など様々な分野における研究者がそれぞれの専門を生かし合う画期的なコラボレーションによって「共生」という課題に向き合うその姿勢に、研究者のあるべき姿を想った。
 この研究会に啓発されながら、2ヶ月後の9月に開催されるインドでの「宮沢賢治と共存共栄の概念」をテーマとする宮沢賢治国際学会での研究発表の準備に向かった。
            
もうひとつの9・11と宮沢賢治
 その過程で、私は賢治研究を通して「もうひとつの9・11」の重要性を認識するようになった。それは、遡ること1893(明治26)年9月11日に、アメリカのシカゴで開会された「万国宗教会議」である。世界の宗教者が一堂に会した初の宗教会議は、諸宗教の代表者とともに宗教共生について考えようとする画期的な試みであった。その意味でこの会議は、宗教的・文化的偏狭さによって生じた9・11の悲劇を克服しうる可能性を、私たちに提示してくれる「もうひとつの9・11」だ。かつて賢治も、その万国宗教会議にまなざしを注いでいた。

 そのことが明らかとなる作品に童話「ビヂテリアン大祭」がある。賢治は万国宗教会議の参加者による演説集や著作等を読んで、心動かされる思いを抱いたと察せられるのだ。
 これまで私の研究では、前半生において偏狭な宗教思想にとらわれていた賢治が、愛する妹トシの死を契機に、トシの思想とその学びの方向を辿る魂の遍歴の旅のなかで、自らの信仰を宇宙意志とつながる宗教性に拡げ、宗教間の差異を包み込む思想へと展開するさまを解明してきた。今回着目している「ビヂテリアン大祭」が書かれたのも、まさに喪の悲しみのなかで亡きトシとのつながりを探求する旅を歩み出した時期にあたる。万国宗教会議については、トシの学んだ日本女子大学校時代の教員がその会議参加者であることから、賢治は生前のトシから聞いていて、死後の亡き妹との対話のなかで胸に甦らせ想起したのではなかったか。
 この万国宗教会議は、シカゴを中心とするキリスト教徒、なかでも自由主義神学の立場にあるユニテリアンがリードして、寛容の精神を通して宗教の調和、人類の連帯を模索するものであった。そこに、日本からは仏教、神道、キリスト教の代表が参加しており、それぞれが宗教の垣根を越えた精神を熱く語る演説を行っている。この当時、世界においてはキリスト教が圧倒的優位に立ち、他の宗教はその宗教的深みについて、あまり知られないまま軽蔑の目を向けられていた。その時代においてこの会議が導いた成果のひとつは、仏教(日本とインド)とヒンズー教(インド)が脚光を浴び、キリスト教文化圏にアジアの宗教について知ることをはじめ、あらゆる宗教に通底する普遍的精神が世界で探究され始める絶好の機会がもたらされたことだった。
 賢治は、万国宗教会議の際に残された多くの記録を目にし、インドの仏教代表として参加したダルマパーラが、のちの明治35年に来日して、賢治も入会していた国柱会を訪れていたことを知り、一方インドのヒンズー教代表者ヴィヴェーカーナンダが、賢治の慕うタゴールにも普遍宗教に関する影響を与えた人物であることに思いを寄せたであろう。万国宗教会議は、賢治の後半生の宗教性の拡大と切り離せないつながりを持っているのだ。
                
インドで受け取る賢治のメッセージ
 そのような内容を反映させた研究を、インドのネルー大学での宮沢賢治国際学会で発表した。その発表日が9月11日と決まったときには、驚きつつ大きな導きを感じた。その日が「もうひとつのもうひとつの9・11」、しかも120周年記念日だったからだ。120年前のこの日にヴィヴェーカーナンダが〈地球上のすべての宗教を寛容の精神によって受け入れた国〉と語ったインドの地において、私も発表を通してインドの人々との交流や諸宗教との接触を得たことで、かつての万国宗教会議の成果が120年ぶりに現代において実感された思いだった。賢治の張ったアンテナを通じてもたらされた、過去に生きた人々の宗教共生への願いを、私たちは現代にあってさらに切実な願いとしてどのように実行してゆけるか、追究し続けたい。

*画像(上)は、1893(明治26)年9月にシカゴで開催された万国宗教会議(Ananda Guruge, Return
to Righteousness, Ceylon:Government Press, 1965)。
画像(下)は、2013年9月11日にインド・ネルー大学で開催された宮沢賢治国際学会の様子。

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