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日本語日本文学科

2004.04.30

未完成の前進|工藤 進思郎|日文エッセイ6

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第6回】2004年4月30日
未完成の前進
著者紹介
工藤 進思郎(くどう しんじろう)
古典文学(平安)担当

『源氏物語』を中心に、平安時代の物語・日記文学を研究しています。


 『徒然草』の第八十二段に、次のような一節がある。
すべて何も皆、事のととのほりたるは悪しき事なり。し残したるを、さてうち置きたるはおもしろく、生き延ぶるわざなり。「内裏造らるるにも、必ず作り果てぬ所を残す事なり」と、ある人申しはべりしなり。
「生き延ぶる」(命が延びる)の箇所は、「息延ぶる」(ほっとする、安心する)の意に解する注釈もあるが、後続の「内裏造らるるにも......」の文意に照らして、私は「生き延ぶる」の方に従いたい。

物事が完全に整っているのはよくない。し残してあるのをそのままにして置くのは興趣があり、寿命が延びるような気持がするというのである。兼好法師はその例として内裏(御所)造営の場合を挙げているが、これは民家においても同様であった。床の間の正面の壁の内側を粗塗りのままにしてある家は、今もまだ多く残っているに違いない。あえて完成させぬことによって、家の生命が将来にまで延びていくようにと願ったのである。完全無欠なものは滅びに通じる。完成品はもはや欠けるしかない。進化しつくしたものが必ず滅びるという事実は、ダーウィンの進化論をまつまでもなく、すでに歴史によって証明済みである。

人間たるもの、各自それぞれの目標に向かって、生涯にわたり歩み続けたいものである。ただし、「完成」することを決して急いではならない。いやむしろ、いつまでも「未完成」のままで前進を続けることが大切なのではなかろうか。

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