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日本語日本文学科

2004.05.31

作文がうまくなりたい人のために|田中 宏幸|日文エッセイ8

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日本語日本文学科

日文エッセイ

日本語日本文学科 リレーエッセイ
【第8回】2004年5月31日
作文がうまくなりたい人のために
著者紹介
田中 宏幸(たなか ひろゆき)
国語科教育担当

日本語表現法・国語科教育法について理論と実践を通して研究しています。
―「本当の学力」は作文で劇的に伸びる

新聞第一面の出版広告に、『「本当の学力」は作文で劇的に伸びる』(芦永奈雄著、大和出版、2004年3月)という題の本が出ていたので、タイトルに惹かれて注文してみることにした。「劇的に」というキャッチコピーは、誇大広告めいていて少々怪しい。だが、「学力」という語にカギ括弧をつけ、さらに「本当の」と修飾しているのだから、ひとかどの学力論が展開されていそうである。

届いた本を見ると、著者は学習塾の塾長らしい。本の帯や裏表紙には、「漢字はボロボロ。それでも国語の偏差値は66になった! いままでは人に言えないような成績だったのに」「国語はもちろん、算数・理科・社会の文章問題が解けるようになって通知票の成績が一気に上がった!」「たった1日で偏差値42から70になった高校生も誕生!」など、絶賛する言葉がびっしりと書き込まれている。ダイエットを勧める折り込みチラシのような宣伝文句の連続に、警戒感が募る。でもまあ、せっかく買ったのだからと、一通り読んでみることにした。このあたりは、私の貧乏性のなせる業である。
結果はどうだったか。存外おもしろい。無駄な買い物ではなかった。

―「ストーリー作文」の提唱

著者の提案内容は、一言で言えば、「ストーリー作文」を書けということである。聞き慣れない言葉だが、おおよそ想像ができるだろう。つまり、「最初から結果を書いてしまうのではなく、ストーリー性を持たせて書け」というのである。自分の経験していることは自分自身しか分からないのだから、書かなくても分かりきったことだと考えずに、読み手が想像できるように詳しく書く。例えば、「とっても哀しかった」と書いても、その気持ちは他者には伝わらない。「涙がとまらなかった。拳を握りしめ、歯を食いしばり、壁に何度も何度も頭をぶつけて泣いた」と書けば、その場の様子がよく分かって、書いた人の哀しさも伝わって来る、というのである。

これは、要するに時間軸に沿って述べるという方法だから、実に書きやすい。作文指導の基本原理にかなった伝統的な方法だ。その場を思い出しながら、いかにもその場にいるように書いていけばよいのだから、小学校中学年くらいになれば充分に応用できる。だが、ややもすれば単調になる。どの場面を切り取る(焦点化する)か、どのように描写するかが問題となる。

―意外とオーソドックスな表現テクニック

そこで、次のような表現テクニックが用いられることになる。
(1) 書き出しは、「会話の途中のセリフ」にしてみる。
つまり、意外性のある書き出しにして、読者を引きつけようという提案である。例えば、交通事故をよく起こす交差点の話をするときには、次のように書き出す。
「あ!またやった!」
「おいおい」
......数年前のことだ。
ここは環七通り。
今、江戸川区にあるおばあちゃんちに向かっているところだ。(小三の作文、p.78)

(2) ストーリーの展開部では、「過去形」のなかに「現在形」の文末表現を織り交ぜる。
これは、いわゆる「歴史的現在」という修辞法だ。臨場感を持たせる表現方法として有名である。例えば、寝坊して、公園でいつも一緒に行く友人と待ち合わせをしているという場合、次のように書く。

急いで家を出た。走る。汗が出てきた。
走る。角を曲がった。
公園だ。どんどん近づく。
いない。誰もいない。
友だちはもういなくなっていた。(p.98)

(3) 結びには、「おとなの一行描写」を書き加える。
気持ちを表す形容詞で締めくくるのではなく、その気持ちを表す行動を描写して、小説風の余韻を持たせようというのである。日本語には、そもそも形容詞の数が少ないのだから、形容詞を多用すると、類型的な文章になるし、気持ちも伝わらない。それを避けるための方法だ。
例を挙げよう。入学式の日の不安な気持ちを書くときに、「不安だった」で終らせるのではなく、そのときの情景を一言添えてみる。それだけで次のようにひと味違った文章になる。
「公園のとなりには大きな団地が広がっている。中学に行くときに公園と団地の間の道を通っていく。入学式の日、同じ小学校からの友だちが誰もいないので、どんな友だちがいるか不安で歩いていた。公園の横の八重桜が綺麗に咲いていた。」(中一の作文、p.177)
 
―練習してみよう

このテクニック習得を「畳の上の水練」に終らせぬために、練習問題に取り組んでみよう。(この本の内容を借用して作ってみた。)簡単な問題だが、ありふれた表現を避けようとすると、けっこう難しい。でも少し考えれば、次々と思い浮かぶようになるだろう。少しの苦労と大きな達成感。これがこのトレーニングのミソだ。

《練習問題》次のような気持ちになったとき、どういう行動やしぐさを取りますか。
《例》 安心したとき→ずっとこらえていた涙が、あふれだした。

腹が立ったとき→思い切りドアを閉めた。こぶしでドアを何度もたたいた。
《問》 こわいとき→
うれしいとき→
哀しいとき→
《注意》ありがちな表現にならないように、工夫して書いてみましょう。
 
―「ストーリー作文」の限界

ただ、この手の作文がどんどん書けるようになったからといって、すべてがうまくいくとは限らないということにも、留意しておくべきだろう。
一つは、論理的な文章やビジネス文書にまで、この手法を応用するわけにはいかないということだ。入門期は、このような「ストーリー作文」でよいが、中学生・高校生ともなると、結論や結果からはじめる文章も書けなければならないし、議論する文章を書く力も必要となる。議論文のなかに証拠事例を挙げるときには、こうした表現技法も大いに役立つが、それ以上のものではないということを自覚しておくべきだろう。
 
―大事にしたい読書

もう一つ用心しておかなければならないのは、この「ストーリー作文」は、一歩間違えると、劇画調の作文に堕しかねないということだ。テレビしか見ない、マンガしか読まないという人は特に気をつけた方がよい。画像に頼った劇画調の表現に慣れてしまうと、言葉が貧困になり、描写はたちまちパターン化してしまう。思考を深め、言葉を磨いていくためには、読書を通して自分以外の存在と出会い、葛藤し、他者の発想や表現から学んでいくという過程が欠かせない。

試験のための目先の技術ではなく、5年後、10年後を考えることのできる「本当の学力」を身につけようという著者の提案には大いなる共感を覚える。文章を書くことによってこそ、「考える力」がつくというのは確かなことだ。

だからこそ、書くことによって自分自身をしっかり見つめるとともに、読書の量を増やし、視野を広げて、実感のこもった適切な言葉で表現できるようになっていきたい。作文と読書と、この二つがあわさってはじめて、「本当の学力」が身に付くのである。

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