2015.12.04
学生の作品紹介|第20回(2014年度)書道卒業制作展(1)の続きを掲載します。
―――――
田中 希実(咲陽) 『福笑い』より
【所感】 『福笑い』は、シンガーソングライターの高橋優さんが作詞作曲し、二〇一一年に発表した楽曲です。私は三年前に初めてこの曲と出会い、「きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う」という歌詞に衝撃を受けました。卒業制作では漠然と歌詞を書きたいと考えており、この曲で歌われている笑顔の大切さを書で表現してみたいと思いました。漢字仮名交じりの書を通して、佐野先生や三宅先生にご指導いただきながら作品の構成を自分で一から組み立てて書き上げていくことで、言葉の表現の難しさを改めて感じました。
―――――
田中 希実(咲陽) 『福笑い』より
【所感】 『福笑い』は、シンガーソングライターの高橋優さんが作詞作曲し、二〇一一年に発表した楽曲です。私は三年前に初めてこの曲と出会い、「きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う」という歌詞に衝撃を受けました。卒業制作では漠然と歌詞を書きたいと考えており、この曲で歌われている笑顔の大切さを書で表現してみたいと思いました。漢字仮名交じりの書を通して、佐野先生や三宅先生にご指導いただきながら作品の構成を自分で一から組み立てて書き上げていくことで、言葉の表現の難しさを改めて感じました。
檀 侑里(白泉) 臨『中務集』
【解説】 平安時代の三十六歌仙の一人である中務による歌集である。西行による「一条摂政集」や「山家心中集」などと類似する書風であることから、筆者は西行とされているが確証はないため西行風の書跡群と見なされている。本紙である楮紙の折り目から一センチの位置に穴が開けられ薄黄色の撚り糸で綴じられた、大和綴の冊子本である。
【所感】 中務集は、仮名書法Ⅱの授業で課題に出されたことがきっかけで知り、とても綺麗な線で書かれているなと印象に残っていました。それで、書道卒業制作では中務集を書いてみようと考えました。連綿体で書かれているものが好きだったことも理由の一つです。全体的に細い線質ですが、細いだ
けではなく太さも出さなくてはなりませんでした。三宅先生から「一枚に一時間はかけて書いてみて」と指導いただき、練習に励みました。時間と気力をかけた作品です。
【解説】 平安時代の三十六歌仙の一人である中務による歌集である。西行による「一条摂政集」や「山家心中集」などと類似する書風であることから、筆者は西行とされているが確証はないため西行風の書跡群と見なされている。本紙である楮紙の折り目から一センチの位置に穴が開けられ薄黄色の撚り糸で綴じられた、大和綴の冊子本である。
【所感】 中務集は、仮名書法Ⅱの授業で課題に出されたことがきっかけで知り、とても綺麗な線で書かれているなと印象に残っていました。それで、書道卒業制作では中務集を書いてみようと考えました。連綿体で書かれているものが好きだったことも理由の一つです。全体的に細い線質ですが、細いだ
けではなく太さも出さなくてはなりませんでした。三宅先生から「一枚に一時間はかけて書いてみて」と指導いただき、練習に励みました。時間と気力をかけた作品です。
西谷 友希(香月) 少字数の書「帰一」
【所感】 私は卒業制作をするにあたり、家族を表現する作品を何か一つ残したいと思っていました。帰一の意味は、別れていても最終的には一つのところに戻ってくるという意味で、普段は思い思いに活動していても、最終的には自然と家族が集まっていく。という思いを込めて創作しました。半切の細長い紙を活かして二字を書くのはバランスや収まりがなかなか取れず、苦労しましたが、字形を変えてみたり、行き詰まった時は仲間の意見を参考にしたりと、創意工夫していく点はとてもわくわくし、心躍る作品作りでありました。
【所感】 私は卒業制作をするにあたり、家族を表現する作品を何か一つ残したいと思っていました。帰一の意味は、別れていても最終的には一つのところに戻ってくるという意味で、普段は思い思いに活動していても、最終的には自然と家族が集まっていく。という思いを込めて創作しました。半切の細長い紙を活かして二字を書くのはバランスや収まりがなかなか取れず、苦労しましたが、字形を変えてみたり、行き詰まった時は仲間の意見を参考にしたりと、創意工夫していく点はとてもわくわくし、心躍る作品作りでありました。
疋田 早紀(緑帚) 臨徐三庚『天発神讖碑』
【解説】 天発神讖(てんぱつしんしん)とは、天帝の発した神のお告げの意である。天発神讖碑は、その神のお告げと、神のお告げを解読に至るまでの経過と、あわせて呉国の永遠の安寧を祈念して、天璽元年(西暦二七六年)に刻されたものである。
【所感】 徐三庚によって臨書された天発神讖碑を初めて見たときに、抑揚のある伸びやかな運筆、うねりのある筆勢、すそを左右にはでやかに広げた姿勢に魅力を感じて、臨書することに決めました。ひとつひとつの文字が、伸びやかでありながら、点画の強弱や太細の細部にまで神経を働かせた繊細さも持ち合わせていたので、両方の要素が出るように奮闘しました。何度書いても満足はできませんでしたが、今まで臨書した作品の中で一番思い入れの深い作品となりました。
【解説】 天発神讖(てんぱつしんしん)とは、天帝の発した神のお告げの意である。天発神讖碑は、その神のお告げと、神のお告げを解読に至るまでの経過と、あわせて呉国の永遠の安寧を祈念して、天璽元年(西暦二七六年)に刻されたものである。
【所感】 徐三庚によって臨書された天発神讖碑を初めて見たときに、抑揚のある伸びやかな運筆、うねりのある筆勢、すそを左右にはでやかに広げた姿勢に魅力を感じて、臨書することに決めました。ひとつひとつの文字が、伸びやかでありながら、点画の強弱や太細の細部にまで神経を働かせた繊細さも持ち合わせていたので、両方の要素が出るように奮闘しました。何度書いても満足はできませんでしたが、今まで臨書した作品の中で一番思い入れの深い作品となりました。
頼信 聡美(汀月) 臨『毛公鼎』
【解説】 清の道光年中に、陝西省岐山県から出土した。幾度も持ち主を替えて秘蔵された末、現在、台湾の中央博物院にある。高さ約五四、口径約四八センチメートルで、器形は雄壮である。銘は三二行、四九七字。文辞は典雅で、古朴、深沈と評されるが、難解な字句も多い。
【所感】 今まであまり書いたことのない書体を書きたいと思い、金文を選びました。毛公鼎の銘文は器の内側に刻されており、拓を取るとこのように行が湾曲します。この行の曲線を表現するのが難しく、下敷きの作成も骨が折れました。あまり書きこむことができなかったのですが、自分なりに楽しんで書けました。
【解説】 清の道光年中に、陝西省岐山県から出土した。幾度も持ち主を替えて秘蔵された末、現在、台湾の中央博物院にある。高さ約五四、口径約四八センチメートルで、器形は雄壮である。銘は三二行、四九七字。文辞は典雅で、古朴、深沈と評されるが、難解な字句も多い。
【所感】 今まであまり書いたことのない書体を書きたいと思い、金文を選びました。毛公鼎の銘文は器の内側に刻されており、拓を取るとこのように行が湾曲します。この行の曲線を表現するのが難しく、下敷きの作成も骨が折れました。あまり書きこむことができなかったのですが、自分なりに楽しんで書けました。