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日本語日本文学科

2017.09.01

落ちてくる言葉|星野 佳之|日文エッセイ167

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日本語日本文学科

日文エッセイ

星野 佳之 (日本語学担当)
古代語・現代語の意味・文法的分野を研究しています。
  
 私は国文学科というところを卒業し、今は日本語日本文学科というところで働いている。専門は語学だが、文学と語学の隣り合う幸いな環境のお陰で、恐らく人並み以上に歌や物語というものに近しく接してきたと言えるのではないだろうか。しかしうろ覚えというのもあるもので、最近確認するまで、次の歌を私は挽歌、つまり亡き人について詠んだ歌だと思い込んでいた。

玉の浦の 沖つ白玉 拾へれど またそ置きつる 見る人を無み (万葉集・巻15・3628)
(玉の浦の底の白玉を拾ったがまた元の所に戻した。見せるべき人がいないので。)
(本文は、小学館『新編日本古典文学全集 萬葉集 四』による)

この歌は、次のように終わる長歌に添えられたものである(反歌という)。

...海神(わたつみ)の 手巻きの玉を 家づとに 妹に遣らむと 拾ひ取り 袖には入れて 返し遣る 使ひなければ 持てれども 験を無みと また置きつるかも(万葉集・同・3627)
(海の神の腕輪の玉を土産として妻に送ろうと拾って袖に入れはしたが、届けてくれる使いがいないから、手にとったものの、しかたがないとまた元に戻したのだった。)


明らかに家に残した妻を想う歌であって、どうしてこれを挽歌だと思ったものか。それでも挽歌であるなしにかかわらず、いい歌であると思う。
 ただ、このような歌や物語の一節やを幾つか持っていたとしても、それが人生の節目にふと思い浮かんだりするものでもないらしい。先頃母を亡くしたときに立ち現れたのも、歌などではなく、少し意外な言葉であった。
 
 
 母の発病の少し後、医者の先生から「どこまで延命治療を施すか」を問われた時のことである。その時母は意識はなかったものの、自発呼吸を回復して人工呼吸器がとれていた。あれは喉に太い管がずっと入っているので、相当に苦しいのだそうだ。なので父と弟と、「再度人工呼吸器をつけることはお願いしない。それまでは治療の継続をお願いする」というところで線を引くことにした。そのことを母の父親代わりのような伯父に伝えると、「そんなところだろうな」といって次の話をしてくれた。
 母は7人きょうだいの末っ子で、早くに父親、すなわち私の祖父を亡くしている。そして彼女が高校生の時に祖母も倒れ、伯父が長兄として、当時には相当困難な処置であった胃瘻(いろう)を断念するという判断をしたという。この判断に母は、「それがいいね、兄ちゃん。母ちゃんは、ここまでの生命力だったんだね」と言ったそうだ。「だからお前の母親も、人工呼吸器までは要らないと言うんじゃないかね」と、伯父は言った。
 私たちの判断を伯父が尊重してくれることは想像もできたが、50年も前の、意図せざる母本人の言葉が、「それがいいね」と肯うような形でぽとりと落ちてくるとは、思いも寄らぬことであった。母は母に許されたまでの生命を果たして行った。彼女の言葉や行動が、私の生きている間にまたぽとりぽとりと落ちてくる折もあるだろう。
 

 こういうわけで少し意外なことに、このような場合に立ち現れたのは、今まで親しんできた文学の一節などではなかったのである。では文学は私にとって意味のないものとなったかというと、そうでもない。
 平生も今も、別に私は文学の中にわざわざ自分の境遇を見出そうとしないし、また文学は私にとって折よく気の利いた言葉を示してくれるような差し出がましいものでもない。挽歌だと思っていた例の万葉歌の歌い手とて、誰か他人の慰めの為に歌を詠んだのでも、まして詠めば何かが解決されると無邪気に信じていたのでもあるまい。彼が目の前や自分の中にあるものと向き合った結果が、歌と成ったまでである。そう思うので、この歌にふれて私が気になるのも、割と単純なことだ。その後彼は世を去るまでにまた妻に会えたろうか。美しいものを見た充足や辛い目に遭った時の失望が共有できる相手を、再び持てたろうか。そうであってほしいなと思うだけである。それでよいのではないかと思うし、それで文学は十分に貴い。

『萬葉集』(本学特殊文庫・正宗敦夫文庫蔵本、正二〇-三五)

『萬葉集』(本学特殊文庫・正宗敦夫文庫蔵本、正二〇-三五)

● 画像の本学蔵『萬葉集』の本の特徴については、本学科・東城敏毅教授による「N.D.S.U. Collection〔36〕正宗敦夫文庫 古活字版『萬葉集』(活字無訓本)」をごらん下さい。
● 本学の特殊文庫については こちら をごらん下さい。

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