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日本語日本文学科

2018.02.23

授業紹介|古典文学入門(その1)

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日本語日本文学科

授業紹介

授業紹介|古典文学入門(その1)

 日本語日本文学科では、その名の通り日本文学も日本語学も、また書道も国語科教育も学べます。
ただ、そういう所に進学してきた学生の全員が、もとからこの分野に自信を持って来ているわけではありません。特に「古典」という分野は、興味を持つ人も多い一方で、ハードルの高さを感じることも多いのではないでしょうか。

 本学科には、そういう学生にこそ受けてもらいたい「古典文学入門」という授業があります。
どのような授業なのか、2017年度の講義内容(担当、木下華子准教授)をもとに、2回にわたってご紹介したいと思います。
「授業紹介|古典文学入門(その2)」はこちらをごらん下さい。
 
「第1回 導入・古典文法」
 この授業の目指すところを説明する第1回で、木下准教授が言ったことは「まずこれまでの"試験のための読み方"をやめてみましょう」ということでした。「今までは古典文学作品を読む動機は試験のためで、授業でも受験勉強でも、45分とか90分とか、集中して正確を期して、読んできたと思います。でも、普段私たちが小説やマンガを読むときは、好きなときに好きなだけ読むはず。人生の色々な段階で、各自のペースで古典を読めるようになってほしい」
賛成! でもそこが難しいのよね。
と思っていたら、続けて木下准教授が言いました。
「確かに古典を読むのには壁があって、必須ツールが3つある。1)単語量、2)文法、3)古典常
識。でもこれは別に覚える必要はなくて、分からないときに調べたらよい。この授業も、別に古典文法を覚え直す授業じゃないよ」
「古典文学作品は、自然に残ったものではない。人々が書き写し、火事や戦災を経る中で必死に残し
てきたもの。江戸時代には、火事の時に本を井戸に沈めて保護したこともあった。それを読まないなんてもったいない。『それだけの価値があっておもしろいものなのだ』と、まず信じてみましょう」
この後その「おもしろさ」を、『源氏物語』の夕顔を例にとって説明してくれました。
夕顔は「内気、頼りなげ」とよく言われるけど、作品は本当にそう語っているだろうか。
むしろ彼女の話は怪しげな危ないミステリーで、現代でいったら深夜ドラマ枠の話なのではないか。
夕顔は光源氏を逆ナンしちゃってるけど、そもそも「逆ナン」って何だ?...と、どんどん話は進んでいきました。
ぜひ一度、生で木下准教授の話を聞いてみてほしいと思いました。

「古典文学入門」の授業風景

「古典文学入門」の授業風景

「第3回 和歌を読む2 恋」

第2週から、授業は本格的に古典文学を読んでいくことになります。
具体的には、次の通りです。

和歌を読む
 1 四季    2 恋      3 雑(ぞう)  4 祈り

説話を読む
 1 世俗説話  2 仏教説話

物語を読む
 1 歌物語   2 作り物語   3 歴史物語   4 軍記物語

漢文を読む
 1『白氏文集』 2 日本の漢詩(菅原道真)     3 日本の漢文説話
 4 日本の漢詩(森鴎外・夏目漱石)

どれもおもしろそうなんですが、2回目の取材は「和歌を読む2 恋」に行って来ました。
「今こむと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな」(古今集・恋四・六九一)という和歌が取りあげられていました。「今行くからねというあなたの言葉のおかげで、私は、九月の夜長、夜明け方の月が出るまであなたを待ち続けてしまった」という内容です。
作者は素性(そせい)法師。
では、男性の僧侶をこの和歌の"主人公"(授業では「作中主体」という言葉で説明されていました)とイメージしてこの歌を理解してよいか。
「否」というのが木下准教授の説明です。

助動詞の説明もありますが、「文法を覚え直す授業ではないよ」!

助動詞の説明もありますが、「文法を覚え直す授業ではないよ」!

「当時は女性のもとに男性が通う形がとられていた。この歌は『すぐ行くよという言葉をあてにずっ
と待っていたら夜明け方の月が出るまでになってしまった』というのだから、女性の立場の歌。作中
主体と作者は、必ずしも一緒だとは限らない。物理的限界を超えることができるのが、文学の良さの
一つです。」
なるほどと思っていたら、話は意外なことに俵万智の「サラダ記念日」に移っていきました。
俵万智の有名な短歌「「この味がいいね」と君がいったから七月六日はサラダ記念日」ですが、作歌事情を本人がツイートしたものによると、実際に俵万智が作ったのは「七月六日だったわけでも、サラダだったわけでもない」のですね。ならば、この歌は虚構(ウソ)だからこそ、長い年月にわたって多くの人々を魅了してきたことになります。
そのことを紹介しつつ、次のように説明していました。
「この歌が虚構によって組み立てられながら、いかに作為を感じさせない工夫が凝らされているか。
見たもの、思ったことをそのまま表したものがよい作品とは限らない。ほころびの見えない作為に意
味がある場合もあるのです。」
「恋の歌」の授業だから「なんとロマンティックな愛情の表現か」とかいうのをイメージしていくと、良い意味で裏切られる講義です。
(つづく。「授業紹介|古典文学入門(その2)」もぜひごらん下さい。)
 
文:日本語日本文学科広報小委員会・星野佳之

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