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プレスリリース
2025.07.30
ノートルダム清心女子大学紺谷教授の調査チーム 都市出現期の100mにおよぶ『巨大円形建造物』発見か?ートルコ共和国キュルテペ遺跡発掘調査からー
ノートルダム清心女子大学 紺谷亮一教授(文学部現代社会学科・考古学)、徳島大学 山口雄治(総合化学部・考古学)をはじめとする研究グループは、人類史における都市の起源を探るため、フィクリ・クラックオウル教授(トルコ共和国・アンカラ大学・考古学、キュルテペ遺跡発掘調査隊長)と共同で、トルコ・キュルテペ遺跡で2015年より発掘調査を開始しました。今回は2023年に行った研究発表の続報である最新研究結果についてお伝えいたします。
〈発表のポイント〉
1.西アジア地域では人類史上初めて都市が生まれたと考えられていますが、その余韻をめぐる調査・研究は主にメソポタミア地方で行われてきました。都市誕生の要因として、高校の教科書等では、「都市の出現は、ティグリス、ユーフラテス川などの大河流域の乾燥地帯で灌漑農耕が営まれ、豊かな農業地帯が広がったのが要因だ」とされています。しかし、メソポタミア周辺の地域では、その状況がよく分かっていません。
2.そこで、我々日本隊は、2008年からトルコ共和国中央部カイセリ県(カッパドキア地域)にて遺跡踏査を行い、約130遺跡を発見しました。これらを分析した結果、メソポタミア地方とは異なり、スズなどの鉱物資源の交易によって都市社会が成立・維持されたメカニズムという仮説を唱えています。
3.そして、我々は2015年度から同県にあるキュルテペ遺跡(ユネスコ世界遺産暫定リスト、世界記憶遺産)において未発掘区域の発掘調査を開始し、2021年に紀元前3300年前後の大規模建築址を検出しました。本例はトルコ中央部最古の事例になるとともに、トルコにおける都市誕生の時期が、メソポタミアにおける都市出現時期である前4000年期の時期まで遡る可能性を示しています。
4.さらに当該建築址は日干しレンガからなるジグザグ形の特異な大型建築プランです。2024年度はこの建築址の東側コーナーを検出しました。地形的に当該建築は遺跡中央部の高台に形成されており、また兼特プラン等から総合的に判断すると、当該建物は、遺跡中央部高台を囲む、直径100mにおよぶ超巨大建築址である可能性が出てきました。これは、メソポタミアにおける人類出現期に、中央アナトリアにおいて想像を超える巨大建築物があったことを示します。人類史における都市誕生の説明モデルは一元的ではなく、多様な要因とプロセスの存在が示唆されます。
■発表内容
く現状>
人類史においてメソポタミア(テイグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域)は、最初に都市が誕生した地域とされています。それは、今から約5000年前の後期銅石器時代に相当します。 年間降水塁が 200mmに満たない当地域では、大河の水を利用する灌漑農耕を発達させるしかありません。その為には、農地に、川から人為的に用水路を引いてくる必要があります。 そして大規模な人的土木工事と水の管理が重層的な社会階層を生み出し、支配者・聖職者・軍人・市民・奴隷の出現を促したとされています。 この都市成立モデルは教科書でも取りあげられ、世間一般にも広く流布しています。その一方、同じ西アジアでありながらメソポタミア以外の地域では、その状況がよくわかっていませんでした。
く研究成果の内容>
紺谷亮一、山口雄治の日本隊は、フィクリ・クラックオウル(トルコ共和国アンカラ大学教授・キュルテペ遺跡発掘調査隊長)らの支援を受けて、西アジアにおける多様な都市誕生要因 を探るために、2008年からトルコ中央部に位置するキュルテペ遺跡(トルコ最大級の規模を持つ大規模遺跡・ユネスコ世界遺産暫定リスト・世界記憶遺産)とその周辺地域の調査を開始しました。本調査により、都市誕生期(後期銅石器~前期青銅器時代)における本地域の遺跡分布パターンは、メソボタミアとは大きく異なる事が判明しました。現段階では仮説ですが、遺跡踏査時に発見したスズ鉱山関連遺跡等の存在から、主として鉱物等希少資源の交易によって都市社会が誕生する可能性を提唱しています(Kontani et al.2014)。
そして、2021年から開始した発掘調査区において、学界で 農耕開始期と都市出現期を結ぶミ ッシングリンクとされてきた後期銅石器時代文化層をついに確認しました。特に中央調査区において検出した、紀元前33 00年前後の一辺26m以上を測るジグザグ形の大規模建築址は注目に値します。 これは、2024年度時点でトルコ中央部最古の事例になるとともに、トルコにおける都市誕生の時期がメソポタミアと同様の時期まで遡る可能性を示唆するものです。さらに2024年の発掘で当該建築址の東コーナーを確認し、おぼろげながら全体のプランが明らかになってきました。驚くべき事に直径100mにおよぶ円形プランの可能性が出てきました。さらに、当該建築址には埋納土器が多く付随し、何らかの儀礼と関わりがある特徴が見られます。
儀礼と結びついた巨大建築物の存在は、都市的要素の1つといえます。メソポタミアにおける都市出現期に、中央アナトリアにおける異なる都市社会の存在が見えてきたのです。これは従来の想像を大きく超えるものと評価できます。
く社会的な意義>
本調査の成果は、西アジア地域の中においても都市化の要因、プロセスは単純ではなかったことを意味します。
当該建築址が確実に巨大円形プランになるかどうかについて、判断するには、将来にわたる研究資金投入と発掘調査の継続が不可欠です。 そして膨大な労力、時間が必要です。 また、必ずしも今後我々が期待する発掘成果が得られるとも限りません。発掘調査では、その調査成果によって常に現状が修正されていきます。これこそが考古学のリアルな厳しさでもあり、一方で想像を超える発見もありえるロマンを持つ学問分野でもある所以なのです。
論文名:「中央アナトリアにおける銅石器時代解明へ向けてーキュルテペ遺跡中央トレンチ発掘調 査(2024年)ー」
掲載紙:2025『第32回西アジア発掘調査報告会報告集』22-25頁 日本西アジア考古学会
著者:紺谷亮一・山口雄治・フィクリ・っクラックオウル
論文名:Discovering the Late Chalcolithic Period at Kültepe: Excavation of the Central Trench(201-2022)
掲載紙:Subartu(2024年度刊行済)
著者:fikri Kulakoğlu,Ryouichi Kontani & Yuji Yamaguchi
■研究資金
本研究は、日本学術振興会化学研究費(JSPS科研費JP24K04360、JP24H00098、MEXT科研費JP21H00009)、ノートルダム清心女子大学研究助成金、RIDC共同研究、公益財団法人高梨学術奨励基金、公益財団法人三菱財団法人三菱財団の支援を受けて実施しました。
・現代社会学科(学科紹介)
・研究分野
・教員紹介
・紺谷亮一教授(教員紹介)
・山口雄治准教授(教員紹介、徳島大学HP)