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著者・刊行物
われわれが災禍を悼むときー慰霊祭・追悼式の社会学
学科・機関 |
文学部 現代社会学科 |
教員名 |
福田雄 講師 |
著者情報 |
福田雄 著 |
出版社 |
慶應義塾大学出版会 |
発行日 |
2020年3月14日 |
サイズ・頁数 |
四六版 244頁 |
金額 |
3,000円+税 |
- 内容紹介
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本書は、災害や事故、戦争といった災禍のあとに行われる慰霊祭・追悼式・記念行事に関する研究調査の成果である。その特色は、「災禍の儀礼」という枠組みを設定することによって、スマトラ島沖地震、東日本大震災、長崎市原爆といった災禍をめぐる苦難へのコーピングを社会学的に明らかにした点にある。苦難という古典的主題を、具体的事例をもとに捉え返すことで、現代社会の苦難との向き合い方が描写されている。
※ 本書は著者が前職在職中に「指定国立大 災害科学 世界トップレベル研究拠点」の助成を受け、発行したものです。
はじめに
序 章 災禍の儀礼の社会学に向けて
1 はじめに
2 ディザスターリチュアル論の可能性と課題
「災禍」と「儀礼」という概念の社会的前提/儀礼の詳細な記述と比較可能性/
諸々の論点とパースペクティブ――苦難へのコーピング
3 ディザスターリチュアル論から災禍の儀礼の社会学へ
4 現代社会の苦難へのコーピングの比較考察に向けて
インドネシア共和国アチェ州(スマトラ島沖地震、2004年)/宮城県石巻市および南三陸町(東日本大震災、2011年)/長崎市(原子爆弾、1945年)
第1章 苦難へのコーピングと宗教
1 「なぜ」をめぐる問いと災禍の宗教的意味づけ
2 ディザスターリチュアル論における災禍と宗教
3 世俗化論と苦難の意味論の不可能性
4 津波の叡智――「試練」としてのスマトラ島沖地震
アメリカのムスリム知識人における災害理解/Syaikh Gibrilの場合/Ustaz Mursalinの場合
5 アチェ固有の文脈と背景
6 苦難へのコーピングの日常的文脈と歴史的経緯の考察に向けて
第2章 苦難の神義論における集団と個人
1 苦難の神義論再考
2 インドネシアの災害観
地震・津波への神の関与/イスラーム神学における神義論
3 分析対象としての記念式典
4 インドネシア・アチェのツナミ記念式典
調査対象地の概要と歴史的背景/「神に近づく」ための式典/死者の救いと生者の試練
5 ツナミの教説が生きられる日常的文脈
救いを約束するアチェの悲嘆の文脈/救いの教説との対比から明らかになるリアリティ
6 苦難の神義論とアチェを生きること
第3章 苦難の神義論から「救いの約束」論へ
1 マルティン・リーゼブロートの宗教論
2 実践的応答としての救いの約束論
3 ヴェーバーとリーゼブロートにとっての苦難の問題
4 苦難の神義論から救いの約束論へ
第4章 救いの約束のバリエーション
1 救いの約束論からみるアチェの苦難へのコーピング
2 「救いの約束」の両義性
3 東日本大震災の記念行事における救いの約束
石巻市の慰霊祭・追悼式の「無宗教」性/慰霊・追悼の場における救いの約束
4 災禍の儀礼の比較社会学の可能性
第5章 「無宗教」式の慰霊・追悼と「儀礼のエキスパート」
1 ディザスターリチュアル論における「儀礼のエキスパート」
2 南三陸町の概要と東日本大震災
3 町主催の慰霊祭と追悼式
4 アートとしての「きりこプロジェクト」
震災以前の「きりこプロジェクト」/震災以降の「きりこプロジェクト」
5 「南三陸町の海に思いを届けよう」
6 「記念の作業」と苦難のコレオグラフ
第6章 儀礼のディレクション(演出/方向)と「われわれ」のダイナミズム
1 非常な死への社会的応答
2 儀礼の変容を記述する
通時的観察からみる死者と生者の関係/長崎市原爆慰霊における政治性
3 長崎市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
現在の式典――生者に向けた平和のメッセージ/GHQ占領期――慰霊祭と文化祭のジレ
ンマ/市と奉賛会の共催期――儀礼のなかの民族と政治/式典の拡大と多元化――視
点の転換
4 なぜ死者は生者からまなざされなくなったのか
5 「われわれ」という死のあり方
われわれの死の変遷/われわれの過去―現在―未来
6 儀礼によって位置づけられる死と生
終 章 遇うて空しく過ぐること勿れ――災禍の儀礼の社会学的諸特質
註
謝 辞
初出一覧
参考文献
索 引
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